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路上に座り込むのはよっぽどの時だろう

「あの時こうしていれば」の後悔を修正することを重ねて生きている。行動の修正のチャンスは何度も訪れる。少しずつブラッシュアップして行けていればいい。最初の後悔は消えない。

「立てなくなっちゃったんだって」
何も聞いていないのに小学生が解説してくれる。
その小学校沿いの歩道は簡単な柵で車道と隔てられており、言われて目線を落とすと杖と小さな買い物袋を持った上下ジャージにサングラスの長い白髪の男性。その両脇に先述の小学生と、私の目の前を走行していた自転車の女性が駆け寄っていた。少年の友達2〜3人も見守っている。
座り込んでしまった男性は手刀で「大丈夫大丈夫、ごめんね、サンキュー」と謝っている。
なるほど。意識もはっきりしている。怪我もなさそう。
その少年と自転車を降りた女性が左右それぞれ男性の脇を抱えて立ち上がらせようとし始めた。気持ちは分かるが、それは左右の高さもタイミングも違ってかえって危ない。
「あ、ちょっと待ってくださいね」
少年と女性を一旦制止して男性の正面に回って念のため聞いてみる。
「立てなくなっちゃったとお聞きしたんですけど、大丈夫ですか?お怪我されてませんか?」
「ああ、大丈夫大丈夫、サンキュー」
「今痛いところはありませんか?」
「うん、大丈夫」
「お家はお近くですか?」
「ああすぐそこ」
男性は杖を使って立ちあがろうとするが掴まる場所がなくてうまくいかない。正面にしゃがんでいる私の両肩を掴んでもらい、
「両肩持っちゃってください。全然大丈夫なんで。支えにしてご自分のタイミングで立ってみましょうか」
なかなか力が入らない。
「よし、じゃあ、せーのでいってみましょう。ちょっと支えるので脇失礼しますね」
私の両肩を掴んでいる男性の両脇を下から支え、「せーの」でゆっくり立ち上がる。なんとか立ち上がれた。
「立った」と小学生。
「歩けますか?」と女性。
「ああ、ありがとう。サンキュー」手刀する男性。
車道と歩道を隔てている柵に少し寄りかかっている。そうだよな、立ったばかりですぐ歩けないよな、と思い、その状態で少しお話しする。
「お家はご家族の方いらっしゃいますか?」
「ああ、いるいる」
「後で痛くなったりするかもしれないので、“さっき道で転んだ”と念のため伝えてくださいね」
「オーケー。サンキュー」
「今(立ったばかりで)すぐ歩くのはしんどいと思うので、まあ、少し休まれてから、気を付けて帰ってくださいね」
「ああ、サンキュー。サンキューね」
少年と女性は見守っているが、こうも全員に見守られていると彼もすぐ歩かなきゃというプレッシャーになるだろう。ということで、先陣を切って「それでは」とその場を去った。
ある程度歩いてからバレないように後ろの様子を伺うと、男性は杖をついてゆっくり歩き始めていた。よかった。どうぞ家までご無事で。

可能なら「もし夜になって痛みが強くなるとか気分が悪くなったら迷わず救急車呼んじゃって大丈夫ですからね」まで言いたかったが、ご家族がいるとのことなので言わずに止めた。なお、この言葉は以前目の前で自転車ごと老女が転倒した際に一緒に助けた看護師の卵の女性が言っていたものだ。その人の日常のその場でこれ以上「助けられた人」として拘束するのは彼の名誉や自信のためにもここまでだと判断したが、それが正しかったかについてはずっと考えている。


路上に座り込んでしまった老人を助けなかったことがある。
遅刻気味の私は自転車で急いでいた。
駅から少し離れた、車は通るが歩道の人通りはさほど多くない道で、反対側の歩道で胸の辺りを抑えて路上に膝をついてしまった老女が景色として流れていった。
「あれ?今、路上に座り込んでた?何かの発作とかだった?」
自転車を漕ぎ距離とともに思考が進むにつれ後悔と恐ろしさが私を襲った。Uターンすれば良かった。命に別状がないとしても、路上に膝をつく時点で具合悪いに決まってるだろう。安全な場所に移動させるとか、何かできただろう。私の遅刻なんて後でどうにでも取り返せただろう。
あの時Uターンしなかった自分を今も許していない。
埋め合わせにもならないが、私は路上で座り込んでしまう老人を必ず助けていく。
そういないと思うだろ?見てさえいれば、いるもんですよ。


サンキュー兄貴はカッコいい空気を纏ってる人だった

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