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まったく見えない世界を体験したことはありますか

15年ほど前に初めて、とても衝撃的で、でもとても不思議な感触をした体験をしました。
いまだにそのときのことをよく覚えていて、つい最近も体験しに行きました。

その体験の名は…

■ ダイアログ・イン・ザ・ダーク

この場は完全に光を閉ざした“純度100%の暗闇”。
普段から目を使わない視覚障害者が特別なトレーニングを積み重ね、ダイアログのアテンドとなりご参加者を漆黒の暗闇の中にご案内します。
視覚以外の感覚を広げ、新しい感性を使いチームとなった方々と様々なシーンを訪れ対話をお楽しみください。

1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれたダイアログ・イン・ザ・ダークは、これまで世界47カ国以上で開催され、900万人を超える人々が体験。
日本では、1999年11月の初開催以降、これまで24万人以上が体験しています。暗闇での体験を通して、人と人とのかかわりや対話の大切さ、五感の豊かさを感じる「ソーシャルエンターテイメント」です。

公式サイトより

まっくらやみの中をつい数分前に出会ったばかりの人と一緒にアテンドと呼ばれる視覚障害者の方のリードのもと、探検していく他の何とも似ていないまったく新しい体験ができます。

目を凝らしても何も見えない世界。
そこには普段の生活のシーンが再現されていて聴覚、嗅覚、触覚、味覚すべてをフル動員させることになります。すると見えないはずのものが見えてくる。

見えてくるというよりも、存在を発見できる、存在を認められるといいう感覚です。暗闇では鼻が利き遠くからぶどうジュースが運ばれてくるのが分かり、誰がどこにいるのかも耳が捉えてくれます。たくさんの気付きを得られました。

人がいることの安心感。
人の声やあたたかさはとても安心できるということ。
社会は多数派の都合によって作られていること。
「便利の果て」は誰にとっての都合なのかということ。
目でとらえることに頼り切っていること。
何かが使えないことは何かを工夫する余地が生まれるということ。
人間の持っている能力、感覚は超人的に高いということ。
相手の立場に立とうとするのではなく、相手そのものになるための一番の近道は同じ体験をすることであること。

などなど。

見る文化と見ない文化

「見る文化」と「見ない文化」があるのではとも思いました。
ふたつの文化です。私はもちろん「見る文化」。

仕事柄、言われることがあります。
例えばIllustratorというソフトで何かのデザインをしているとこのソフトを使えない人からすると、まるで魔法のように見えるようです。
私は紙の上の1度未満の図形の傾きもわかりますし、本来の文字をわずか1%押しつぶした処理をしたものも判別します。これは物の捉え方がそうではない人と違うからです。

たとえば楽器を使ってすばらしい音楽を奏でられる人を目の当たりにすると、素直にすごいと思うのです。
なぜ、この木でできた箱からこのような音の風景が生まれるのかと。

もちろん、あの真っ暗闇の中、まるで「見えて」いるかのように自由に動けるアテンドの方もすごい。
見えないのに、その部屋に何がどれくらいあるのかがわかる、壁がどれくらいの距離にあるのかわかる、どこに誰がいるのかわかる。
日常生活でも電車は左側通行をしているから、進行方向に
向かって立っていれば、右側はすれ違う電車、左側の
ドアが開く、こんなロジックを常に考えているそうです。

見る文化の住人である私は、見ない文化の世界に気付けません。
それはすぐそばにあるのに気づかないのです。
草木の匂い、土のぬくもり、虫の声・・。
すっかり感じ取れなくなっているのではと、ゾッとします。

「違い」というものはどういうものなのか、
「共鳴」していると感じるのはどういうことなのか。

それこそ”見かけ”に惑わされ、捉えている自分が
いることに最近よく気づきます。

そんなときは、その感覚を閉じてみる。
そうすると、他の感覚がとぎすまされてきます。

「○○とはこういうものだ」
と決めつけている感覚をちゃんと閉じてみることで
見えてくるものを大切にしていきたいです。


本当に貴重で大切な経験ができる場。この取り組みをここまで育ててきた方々、同行させていただいた方々に感謝したい気持ちであふれることに気づきます。

初めての体験以来、真っ暗闇は全然怖いものではないと思えるようになりました。
モノの見方が少し変わることで、大きく変わる世界を体験する。大人向けのエンターテインメントとしても素晴らしい完成度です。
ぜひ未体験の方に一度体験していただきたいと、よく人に勧めています。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク公式サイト

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