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西伊豆古道を歩く〜戸田ー井田編〜

2022年10月13日。すっかり季節は移ろいで、ススキが秋の風に揺られている。今朝は空が重い。雨雲は近くまで来てるのかも、なんて思っていたら一粒、二粒。

気づいたら雨が降っていたのでどうなるかと思ったが、車を停める頃にはすっかり雨は止んでいた。

9時 井田(いた)に到着。今回は伊豆半島の北西部、戸田ー井田の道を踏査する。

この区間は公共の交通機関が限られており、電車はもちろん定期運行の路線バスもない。唯一この区間を結ぶのは、デマンド式(予約制)ジャンボタクシー「ふじみgo!」だけ。

当たり前のことなんだけど、この地域には実践的な助け合いが根付いている。不便は人の心を豊かにするのか、はたまた夕日が人の心を照らすからなのか。毎度ながら西伊豆に来ると、利他をベースとした人の営みを肌で感じる。

というわけで、井田に車を停めて、ふじみgo!に戸田まで乗せてもらうので、井田海水浴場前にある集落唯一の駐車場へ。

前払いを済ませコンパクトな駐車場ボックスに目をやると、欄間のように施した木彫り彫刻が置いてある。気になったので聞いてみると、駐車場の管理人さんは仏師だという。会話は弾み、帰りに集落のお寺にある仏像を見せていただくことになった。

前回までの道はこちら↓


戸田(へだ)

10時 道の駅 くるら戸田からスタート。

本日の踏査は、戸田ー井田間。全長7.5kmの古道。整備された自然歩道と古道がほぼ一致してるルートであり、コースの案内板も設置があるので、道しるべ通りに歩けばゴールできる予定だ。

ペリー来航で開国した下田を玄関口とするならば、戸田は勝手口といえる。日本にはもう一つの国が交渉に来ていたことはご存知だろうか。

嘉永7年(1854)ロシアのプチャーチン提督は日露通商条約締結にやってきた。ところが、日露交渉を約束した次の日、プチャーチン一行の乗船するディアナ号は、M8.4にも及ぶ突然の大地震とともに大津波に巻き込まれた。安政の大地震だ。

プチャーチン(右)と来航を描いた瓦版/wikipediaより引用

大破して遠洋航海が不能になったディアナ号は、修理のため大きな船も停泊できる戸田港へと向かうも、強風と大波のため戸田港に入ることは出来ず。

漂流して富士川沖まで流され、地元漁民の助けもあり曳航を試みるが、ついに駿河湾で沈没。500人のプチャーチン一行は新しい船が完成するまで小さな戸田村に滞在することになった。

道の駅くるら戸田 歴史・文化展示コーナーより引用

ロシアの乗組員が500人。言うまでもないが、鎖国していたので当時の日本人にとって大事件だったに違いない。一目みようと戸田に人々がやって来るから幕府は関所を設け、戸田村をロックダウン。

滞在中のロシア人に対しては、「もらうな、やるな(与えるな)、つきあうな」という禁制があったにもかかわらず、戸田村民は人情豊に面倒をみた。

マホフ神父の記録の中にも、「かれらは客好きで善良である。オランダ人以外の外国人を入国させないという法をまげてまで、私たちを愛想よく迎え、住居を提供して、生活に必要なものをすべて持ってきてくれた。かれらは友情に厚く同情心に富み、私たちは滞在中、誰一人として侮辱を受けた者はいない。常に好意と尊敬を示し、日本を去るときにも友情を示し別れを惜しんでくれた」と記している。

ちなみに地元の口伝によると、一部の娘たちはロシアの若者たちに熱をあげたそうだ。やがて恋に落ち、お子を授かった娘もいたという。その話を裏づけるように西伊豆にはグレーの目をした漁師さんがいたりする。

道の駅くるら戸田 歴史・文化展示コーナーより引用

ロシアの技術者と近隣の村々からも加わった船大工たちは設計図をもとに、言葉や長さの単位の違いを乗り越え、わずか3ヶ月で100トンの帆船「ヘダ号」を造りあげた。

船大工たちのすぐれた技術と道具は、ロシア人を驚かせたという。こうして、日本ではじめての本格的な洋式帆船「ヘダ号」が建造された。以降、今日においても戸田とロシアは友好な関係を築いている。

(財)東洋文庫蔵 露艦建造図巻ヘダ号の図/wikipediaより引用

道の駅で買った手作りおにぎりを頬張りながら大川沿いを歩く。

大川橋を渡り、まっすぐ松城家住宅へ。ここまでがプチャーチンロードだ。

松城家住宅前の古道を歩く。江戸時代後期から廻船業者で財を成した松城家は明治初期の擬洋風建築であり、全国的に見ても相当古いの遺構であり貴重な建物だ。この時代に栄えたという擬洋風建築は全国で観れるけど、大半の生業は廻船業者。時代のトレンドに合ったビジネスチャンスだったのだろう。

名勝と名高い松崎町の左官職人「伊豆の長八」の漆喰こて絵も見ることができるそうだ。現在はまだ工事中、11/3にオープン予定。

外側からも見える東土蔵は屋根漆喰、伊豆名物の海鼠壁(なまこかべ)まで黒漆喰塗となっていて、意匠が格式高く整備されている。

県道17号線を歩いて200m。「この先通り抜け及び転回できません」の看板通り、通り抜けできない左の道が古道。車では通れないが、歩く道は繋がっている。

整備された自然歩道・西伊豆歩道「井田コース」の起終点となる沢海(たくみ)の集落へ。160m先を右折、程なくして左側に延びた階段道を登る。

200mほどで再び県道を跨ぎ、山の中へ続く古道へ。石積みの壁、石の階段の山道を登る。山に足を踏み入れて早々「キョン」と鳴き声が響き渡った。

鹿だ。山を駆け上がる姿も目で捕らえた。山に入ってきた人間の存在を仲間に知らせてるのか。ここ1ヶ月くらい、歩いてきた道は街中の古道ばかりだったので、山の仲間たちとの再会に懐かしさを覚え、心がほっこり。

11時半 山を登りきるよく整備された東家があったので小休止。

どれくらいの年代の石碑だろうか。道祖神が道案内をしてくれる。

登りきれば一転、下り坂。静かな山道を歩く。

時折、大風が吹きはじめると、ダイナミックな大自然に畏怖を覚えると同時に、大いなる方が共におられることを感じる。何か語られているようで、意識と耳を傾ける瞬間でもある。

また石積みの階段が現れた。

途中、分かれ道があるけど井田コースの道標とおりに歩く。砂利が敷き込まれ、車を通せる道のようだ。

見晴らしの良い道があると、海越しの富士山を望むことができる。西伊豆、北伊豆古道のお勧めポイントであり、大きな特徴でもある。

しばらく県道を歩き、再び山道へ。ここから650m程の区間は日本一のアブラギリの群生地だ。

アブラギリは高さは10mに達する落葉樹。毎年5月下旬〜6月中旬にかけて白い花を咲かせる。この実から絞った桐油は、明治初期まで行燈の燈油や唐傘の防水用具として利用されていたそうだ。

道は足の踏み場がないほどにアブラギリの実で埋め尽くされてる。3cmほどの黒い塊は、少し大型の草食動物の糞を想起する。どんな動物が生息しているのだろう。

それにしても、この資源。一粒あたりから搾れる油はどれくらいの量なのだろう。現代で何か利用できないのだろうか。

アブラギリコースを終えると県道を歩いて300m、再び山の中へ入る道が井田コース。

200mしないうちに舗装道路に出る。Googleマップには存在しない道だ。

煌めきの丘まで1.29km、軽快に下ると分かれ道が現れた。左へ下りていくのが明神池に繋がる古道なんだけど、今回は朝の乗合タクシーの運転手さんがお薦めしてくれた「煌めきの丘」を目指して伊田コースを歩く。

県道の一段上を歩くのが自然歩道。

県道に下りて煌めきの丘まで1km歩く。

井田(いた)

13時 煌めきの丘に到着。太陽が反射して海面がキラキラと煌めいて見える事から命名されたこの丘は、トイレも自販機もないけど富士山が絶景のスポット。

煌めきの丘の眼下には井田の小さな町並みと、そばに広がる田畑が見える。南側には海に近いながらも真水が湧く池「明神池」だ。

井田集落はかつて入り江だった場所。駿河湾の海流に運ばれた周辺の岩や土砂は戸田の御浜崎のように帯状にたまっていった。このようにして出来た細長い岬を砂嘴(さし)という。

やがて海と切り離されたのがこの井田の集落。駿河湾がつくった三つの砂嘴が綺麗にフラクタルしてる。

煌めきの丘からデッキを降りると、伊豆半島で最大規模の石室がある松江古墳群だ。

古墳時代後期のものと推定される井田松江古墳群は、古墳時代の終わり頃(今から1400年頃)20数基の円墳がこの屋根につくられたという。

一番わかりやすい7号円墳

溶岩の割石を積んだ石室の中に、板石を組み合わせてつくった棺をおさめるものもある。玉や人骨、武器や装身具など、銀象嵌の太刀の柄頭も発見されているそうだ。

更に下へ降りると井田の集落へ。早春の井田名物・花文字はこの辺りから見ることができる。

沼津市ホームページより引用

明神池は〝池〟という名が付けられているが、砂嘴が発達して海から切り離され、次第に淡水に変わった海跡湖だ。

海流に沿って伸びる砂嘴が形作られた大瀬崎や戸田御浜岬とは異なり、井田では砂嘴の先端が湾を閉じていったのだ。二元性の中心は常に隠される宇宙の法則が顕現されている。

周囲約650mの明神池は、真近に海がありながら真水(淡水)の沸くこの池には、コイ、フナ、ソウギョ、ハゼ、ウナギ、ブラックバス、オオタニシなど。淡水魚をはじめ多くの生き物が生息している。

また、スカシユリ、ハマユウ、花ショウブなどが咲き、池の周囲は遊歩道として整備されているので、桜やツツジの時期にはお花見にも最適。実は私は明神池には季節を変えて訪れている。静寂に包まれて不思議なほどに癒されるスポットなのだ。

明神池の遊歩道から古道に戻る。

集積された道祖神が道を案内してくれる。

伊豆峯次第の208番目のチェックポイント・井田神社に到着。

続いて、伊豆峯次第の210番目のチェックポイント・祇園神社にて本日のゴール。名称もないので、鳥居と住所だけで特定した。伊豆峯次第には牛頭天王と書かれているので、古くは中東エラム王国、朝鮮半島から渡ってきたスサノオを祀っていたのだろう。

14時30分 駐車場に戻ると「帰ってきたな。車で行こう。ついておいで。」そう言って朝の約束通り、お寺へ案内された。

妙田寺へ。先程の祇園神社と同じ区画にあった。

16歳の時に捨てられた木片の中に仏が見えたという。はじめてなのに誰も師事することなく、彫ることができたそうだ。以来、仏師として彫り続けている。

しかも、仏像は一度も売ったことがない。人生に悩んだ人たちに全てくれ続けた。金で彫る仏像は意味がない、お金なんかもらった事ないと話す。

宇宙意識は全ての者に、常に語りかけている。問題は誰に語りかけるかではなく、誰が聴こうとするか。

宇宙意識とは人類の作りだした言葉であり、神、仏、大いなる存在だという。また宇宙を貫く目に見えないメッセージあり、宇宙を創造した全ての万物に宿る進化するエネルギーだと。

「自分を愛するごとく他人を愛せよ。苦しむ者に手を差し伸べよ。人生に疲れた人、心に潤いを求める人に、真理を語って聞かせよ。病に人を癒し、悲しみの人を慰め、不幸な人を訪ねてあげよ。」こうした考えは遠い昔から説かれてきた真実。

その通り。世界一のベストセラー聖書にも同じことが書かれている。自分のためではなく、誰かのためが大切。愛に勝るものはない。

驚いたことにジーザスの姿も。

心の故郷は今もそこにある。その静かなる郷に訪れると、幸せが訪れるという。私たちは、何か大事なものを思い出さないでいる。大切はものを忘れ去っている。


本をいただいたのだが、Amazonでみたら値上がりしてる!笑

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