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南伊豆町・白水城址〜発掘調査③

子浦の朝。穏やかな朝を迎えます。集落は、寂れた漁港というよりどこか懐かしさがあります。時間軸は違えど、かつては活気があった地域であったからなのか退廃的な美しさを感じます。

南史会を訪ねた際、かつて子浦は風待ちの港として賑わい、遊郭まであったことを"ころばし地蔵"の話を聞いて知りました。そう言われると、昔の赤線地帯と似た妙な雰囲気があるような気がしてきました。

昔の言葉で「妻良の七坂、子浦の八坂、逢いに来たのに帰さりょか」というのがあるように 妻良ー子浦間は、わずか2キロの道なんだけど、海へ降りて、山を登って、そんなことするよりも舟で渡った方が早い。それくらい道が険しかったそうです。

この区間だけでも3つの山を抜いています。西洋普請でダイナマイトが入ってきて、コンクリートを使う技術が入ってきて、やっと道が開通したのは明治になってからの事なのです。

9じ 本日は南伊豆教育委員会、南史会、それからジオガイドさんたちが参加です。昨日から始まった白水城址発掘調査の情報を聞きつけて駆けつけてくれたのです。頼もしい限りです。

そして、南伊豆教育委員会の桑原さんから拝受しました。当時、観光課にいた時に制作したという、今はもう出回ってない南伊豆の遊歩道ガイドブック「南伊豆を歩く」を特別に持ってきてくださいました。

このガイドブックに掲載されている遊歩道と、國學院大学で深澤太郎先生から拝受した「伊豆修験の考古学的研究」の拝所マップと照らし合わせると古道に重なりそうです。

子鹿社の田邊詩野さんが静岡新聞社時代に企画編集した「伊豆半島ジオパークトレッキングガイド」もこのガイドブックを参考にしたというから、南伊豆路の三種の神器が揃ったことになります。これで南伊豆を歩く条件が十分に整いました。

本日も張り切ってトレンチ調査です。今日は表層から20cm弱までを並行に掘削していきます。みんな慣れてきたので出土品の見分けがつくようになり、作業ペースが早くなってきました。

お昼ごはんは本日も ふじや。店主のみっちゃんは石廊崎に嫁いで50年以上経つそうです。みっちゃんの元気で明るいその性格から、自然に情報が集まってきたのでしょうね。

生き字引とは良く言ったもんだ。石廊崎にまつわる人の営みや歴史についてとても良く知っています。郭にある椿の植林の時期や、長津呂の文書についてなどお話を聞くことが出来ました。

今日は食後に石廊崎名物・ところてんを頂きます。三杯酢で食べるところてんは苦手なので遠慮したら、きな粉蜜のところてんを作ってくれました。寒天みたいにブロックになってる!よく考えたら寒天もところてんも原料は同じテングサでした。

今回、なぜここにトレンチ発掘の区画を設定したのか。金子先生が解説してくださいました。その理由は、この郭が城内の者にとっては最も頻度高く使用された、在留する時間が費やされているであろうと推定したからだそうです。

おそらく上の郭は城主がいて公式の場所。部下が上がってきて契りを交わすような場所だったりするので、出るとしても少しの出土物であるのではないか。

それに対してこの郭はおそらく、城主の奥様がいた場所だと推定しました。であるが故にお料理の道具とか朱器の類がいっぱい出てくるだろうと予想していました。そしたら案の定、出土物が出始めました。ではどういう奥様であったか、陶磁器の種類をより多く見つけると具体的にわかってきたりするのです。

河津町の教育委員会から、中伊豆のジオガイドさんたち、町の議員さんなど、多くの人が見学にきてくださいました。今日までで陶磁器片が約50点出土しました。

まだ続きます。。


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