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刃牙道(バキ道)の名言・格言から学ぶ努力論・成長のコツ【The Art of the Growth】

さて、記念すべきIYOの一発目の記事(思考の垂れ流しでもある笑)は、僕の上達するための座右の銘についてです。その座右の銘とは、

【努力する者が楽しむ者に勝てるワケがない】

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男性の中には聞き覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
これは、板垣恵介さんによる人気の格闘マンガ「グラップラー刃牙」の続編シリーズの1つ「刃牙道」に出てくる言葉です。

今回はこの「努力する者が楽しむ者に勝てるワケがない」という言葉について、様々な視点から考察、そしてIYOなりの捉え方についてまとめていこうと思います!

※それは違うよ!こういう見方もできるよ!僕/私はそうは思わない!という方はぜひ気軽にコメントしてください!ディスカッションしましょう笑

 

1.刃牙道を読んだ視点から

まずは、刃牙道でどのように述べられていたかについてざっくりと。
(画像はすべて刃牙道189話より引用)

それは、登場人物のうちの2人である本部以蔵と渋川剛気の修行についての対話から始まります。

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彼らは武術家として、武を意識し武に精進していて、なんとそれは日に数度だけ心から離れる程度だというのです。

そんな「武愛」に満ちた彼らの修行に関する価値観が、一変するような気づきを主人公である範馬刃牙から得たというのです。それが、「努力する者が楽しむ者に勝てるワケがない」ということ。

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このように、地下闘技場の最年少チャンピョンでもあり現チャンピョンでもある範馬刃牙は「武」を日常の中に「遊び」のように楽しんで取り入れていたのです。
本人には取り入れているという意識すらないでしょう。彼の人生・日常が「武」なんだと思います。

 

2.孔子の言葉から

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皆さん孔子は知ってますか?
僕は漢文の授業、基本寝ていたのであまり良く知りません。。

孔子は四聖人の一人で、釈迦、キリスト、孔子、マホメット、以上の四人の一人である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ただ、今回紹介した座右の銘に近いことが、彼について弟子たちが記した書『論語』の中で記しています。

『論語』(ろんご、拼音: Lúnyǔ)とは、孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である。『孟子』『大学』『中庸』と併せて朱子学における「四書」の1つに数えられる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

その一節とは、
『子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者』(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)

意味としては、
何かを知っているという人はそれを好きな人にはかなわない。そして、それを好きな人はそれを楽しむ人にはかなわない
ということですね。

時代背景が異なることや、あくまで孔子さん一個人の意見ではあることを踏まえても、時代を超えて同じように考えていた人がいるのは嬉しいですね。笑

「何かを習得すること」については、いつの時代も必要なことはあまり変わらないと思うので、参考になるのではないでしょうか。


3.ゾーン・フロー状態の視点から

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物事の習得に効果的な要因については、多くの研究が多くの側面からなされています。その中で「ゾーン」や「フロー」状態は比較的有名な超集中状態です。

例えば、人気バスケットボール漫画「黒子のバスケ」では、キセキの世代を中心に「ゾーン」に入っていますよね。

これらの心理学的概念の提唱者であるミハイ・チクセントミハイによると、フロー状態の構成要素は以下の6つ

1.専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
2.自己認識感覚の低下
3.活動と意識の融合
4.状況や活動を自分で制御している感覚。
5.時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
6.活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

また、これらに追加して、

1.直接的で即座のフィードバック(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
2.成功する可能性があると信じる(明確な目的, 予想と法則が認識できる)
3.経験に夢中になり、他のニーズが無視できるようになる

を挙げている学者もいる。

もし、なにか物事に対して楽しんで取り組めている場合は、努力している場合と比較して、上記のうち多くの要素を満たせると思います。


4.IYOの価値観や経験を踏まえて

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最後に僕の座右の銘としての紹介ですので、僕なりの捉え方についても書いていきます!

 

僕の周りには「努力」や「頑張る」ことを推奨・美化する環境が結構ありました。この記事をここまで読んでくれているあなたの周りではどうでしょうか。
僕の場合は、小学校のクラブ活動、中高6年間の部活動、大学受験のときに通っていた塾、大学のサークル活動など、例を上げればキリがありません。

そのような環境のときに言われていた言葉や、価値観・雰囲気には
「苦しくても頑張れ」
「泥臭く努力してきつくても努力し続けろ」
そんなものを含んでいました。

確かに努力は何かを上達するためには必要な側面だと思います。
トーマス・エジソンも

Genius is 1 percent inspiration and 99 percent perspiration.ーThomas Edison

と言ってますしね。(これは才能がないと100%にはなれないという側面もあるとは思いますが)

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しかし、僕は何かに取り組んでいる最中に「努力している」と思うことは良くないと思っています。なぜかというと次のような疑問点があるからです。

・努力している自分に満足していないか
物事に取り組んでいる最中に、「自分は今努力している」という感覚は、そのことに対する自身の能力の認知を歪めてしまう可能性があると思います。
「自分はこれだけ努力したのだから、とても成長しているはず」
「今日はこれだけ努力したからもう十分かな」
このようにもし思っているのならば、それは危険信号だと思います。

・努力=苦しいという認識があるか
もし、今頑張っていて「苦しい、きつい」そんな感情があったとして、それって長続きしますか?それも高い量と質をキープしたまま。
人間は苦しいことより、楽しいことや気持ちいいことを優先したくなる生き物です。それに歯向かってそれに取り組むエネルギー、他に回せるんじゃなきな、って思います。

・1度きりの人生、楽しめる部分は楽しみたい
苦しい人生と楽しい人生だったら僕は楽しい人生のほうがいいです。
今苦しければ将来必ず幸せになる、そう確約されているのなら迷いますが、現実はそう甘くありません。苦しい修羅の道を頑張って頑張って抜けた先が地獄の道ってこともあるでしょう。
ならば、楽しめるところは楽しみたい、僕はそう思います。楽しいということは「楽(らく)」でもあるということなので。


5.ただ考えなしの楽観的なだけじゃないの?

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はい、そうかもしれません。笑

しかし、気づいた方もいるかも知れませんが、僕は上記で努力の認識についてのみ否定的な意見をもっています。つまり、その行いや行動量については否定しているわけではないのです。

何が言いたいのかというと、

「上達のためには量・質をこなす必要があるけれど、それって我慢してこなすものじゃなくて楽しく集中して取り組めばいい。ふと振り返ったときに、苦しいこともあったけど多くの行動をしてきたプロセスに対して自分は努力したなと思いたい。」

ということです!

先程挙げた、僕が経験してきた”頑張ることが期待されている環境”においても、これを意識してきて結果も出してきたという自負もあります。

楽しむことのメリットとして、
・とんでもなく集中できる
・一日中そのことばかり考えている
・苦しいことがあっても楽しい方に目が向く

ということがあります。


じゃあ、どうやって今苦しい現状を楽しいと思えばいいのか
それについては、また次回の記事で書いていこうと思います!

今回の記事で言いたかったのは、「量・質が同じであれば楽しいほうがいいよね、楽しければ量・質も勝手に上がるしね」ってこと。
つまり、

【努力する者が楽しむ者に勝てるワケがない】

ってことでした!

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