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努力できない病


何も無いのに唐突にやってくる〝もう無理〟との付き合い方を私は知らない。いつも対処出来ない。
適当にやり過ごす、気分転換する、もできない。
というかなんで〝もう無理〟と思うのかすらわからない。だって私は幸せ。
ぐるぐる思考、服薬で少しは抑えられてるような気もするけれどなんというかそうじゃない、それじゃない。

こういう時自分がどうしたいか、何をしたいかも分からなくなってしまうので言語化することもできなくて、自分自身が分かっていないことを人に話せるわけもなくて、結局黙る。
でも普段の生活+‪αの負荷がかかっているのでイライラしやすくなって、そこでまたトラブルが起きて悪循環に陥ったりもする。

そういう時に限ってどうしてか、今の自分の気持ちも分からないのに将来の不安に押しつぶされそうになる。
こうすればいいのに、ああすればいいのにというのは分かるけれど出来ない。努力不足。結局私は何をしてもダメなんだと思い知らされるようなことばかり。日常生活もままならない、社会生活にも適応できない。
でも生きていくにはお金がかかる。働かなくちゃ生きてけない、のに働けない。
何も優れたところがないどころか人並みレベルまで達している能力、ひとつもないと思う。
いつか誰かに言われた「社会的に死んでる、女としての賞味期限も切れてる、死ね」を思い出す。

毎日、生きるのに精一杯。日常生活でさえも些細なミスで何かが削られていく。
1日に何回もスマホを失くす、料理をすると高確率でキッチンが水浸し、コップもひっくり返す、掃除や整理整頓もできなくて床に落ちてる何かで躓いて転ける、気付いたら知らない痣がいっぱいできてる。洗濯機を回しても何かが入ってたり。事前にカバンの中身をチェックして外に出ても絶対に忘れ物をする、マンションの駐輪場に降りてから忘れ物に気付いてを繰り返して部屋と駐輪場3往復なんてザラ。
仕事をしていた時はタスクが多すぎて毎日昼頃から目元の痙攣が止まらなくて困ってた。毎日頭が痛くて、聴覚過敏が酷くなって家に帰ると毎日謎の大号泣だった。

親が悪いからこうなったんじゃない、社会が悪いからこうなったんじゃない、環境が悪いからこうなったんじゃない、きっと然るべき時に努力できなかった私が悪い。

今からでも努力すれば?という話なのだけれど気力が残っていなくて、とまた言い訳してしまう。
そうやって言い訳に言い訳を重ねて生きてきた結果が今なんだろう。

人に言えない。慰めのカツアゲをしたくない。
気を使わせたくない、無価値な私に。とか言っちゃうのやめたい。

このしんどさはお金や薬や人間関係では埋められないどころか誤魔化すことすらできないものなんだと思う。

不安な気持ちでいっぱいになって、何も考えられないのに不安だということは理解できる。
ずっと不愉快な場所に閉じ込められてるような感覚。
抜け出したくて逃避する、逃避したってどこにも行けない。なにもできない。わかってる。
せめて現実的に、解決出来る問題から解決していきたいのだけれど。今はどうしようもないやと思ってしまう。

私は私から逃げたい。

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