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東京を生きる

この本をはじめて手に取ったのは大学一年生の時だった。

大学ではじめて地方から上京してきた人たちと出会って交流した。

そんな時に私はよくその上京組から「あなたは思っていた東京の人とは違う」と言われた。

まあ、要は華やかでもなければ洗練されているようなタイプでもなかったってこと。

それでも私は東京生まれ東京育ちだ。なんだったら自慢じゃないけれど、繁華街の中心地で育った。よくあんなところで生活できるねと言われるような場所。 

普段から煩くて夜はもっと煩くて眠れなくて。
でも、私はその場所を愛していた。

この本の著者、雨宮まみさんは私が初めてこの人になりたいと憧れた人だった。この人の人生を歩んでみたいと。
そんな憧れの人から見た「東京」を知りたかった。

東京ってわたしにも分からない。
都会人らしさってなんなんだろう。
ブランドものを身につけること? 化粧が洗練されていること? 毎月エステと美容院に行くこと?

私は大学にでっかいリュックを背負って、姉から勝手に借りたサイズの合わない服を着て、化粧もトンチンカンで、サークルにも入るタイミングを逃して、なんだか出遅れた状態で生活していた。多分側から見たらかなりボサボサだった。

そんな私に「東京」ってこういうものだと教えてくれたのは数少ない友達だった。彼女たちは上京組だった。
上野公園の桜は夜が格別だってこと、ラフォーレのセールは大学生にとってはありがたい掘り出し市であること、ちょっとお洒落なバーやバルにだってもう自分の意思で足を運べること。

雨宮まみさんはこの本の中で大学受験のタイミングで地元福岡から上京したと述べている。
これにどこか親近感を覚えた。

私の家は小さな小さな旅館を営んでいた。
もう10年以上前に店は畳んだ。
駅前にあったそこには受験シーズンの頃、現役生浪人生問わず何日間か泊まりにきていた。
「明日青学受けるんですけど、渋谷ってどうやって行くんですか? 」と父に聞いていた男子学生のことを憶えている。新潟から来たのだという。
彼はその次の年も泊まりにきた。
「去年全然ダメで…」と話していた彼は次の年には来なかった。

もう10年以上前の話だから、もしかしたら彼は東京で働き、結婚し、家族を作っているかもしれない。
10代の頃に過ごした地元よりもここ東京の生活のほうが長くなっているかもしれない。
いや、もしかしたら地元に帰っているかもしれない。
そんなことはわかるはずもない。

雨宮さんの東京への執念は怖い。
絶対にここから離れるものかという呪いのようなものが本の中からギラギラと伝わってくる。一種のブックカースのような。 
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以前にもnoteに書いたけれど、友達の一言がどうしてもこびりついて、頭から離れない。

彼女は卒業したら地元に帰るのだという。
私はせっかく大学で出会えたのに、またなかなか会えなくなることが寂しくて「なんで? 東京のほうがいいのに」と軽々しく聞いてしまった。
そんな私に彼女は、

「東京で死にたいとは思えなかったから」

と一息で答えた。
東京の人に触れ、だからこそ東京出身であることに慢心している人にも多く出会い、中には地方を蔑む人もいて。そんな人たちと関わることがしんどくて。
そう語る彼女に対して私は申し訳なさを感じた。

私は、彼女を東京に引き止める「理由」になれなかった。

私の故郷は此処だけれど、誰かの故郷はまた別にあって。その故郷に優劣なんかないのに、そうやって蔑んで彼女を傷つけた人を私はひどく憎んでいる。今でも。
もしかしたら、私だって無意識に彼女を傷つけたこともあるかもしれない。
私の学生時代の後悔の中でこれが一番大きい。



東京というこのだだっ広い受け皿は、今はこの緊急事態宣言の影響で息をしていないみたいだ。
始発待ちの、午前3時のような空気がずっと街に残っている。
東京が息を吹き返し、以前のような活気が戻る日は来るのかな。
私がいた東京ってどんな感じだったっけ。
そろそろ東京に発情しそうだよ。

東京を生きる https://www.amazon.co.jp/dp/4479392742/ref=cm_sw_r_cp_api_i_HbXQEbYGNJGEG


雨宮まみさんが遺したブログ記事貼っておきます。
私は死にたい夜(今)にこれを繰り返し読んで生きてきました。


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