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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集03『夜明けから夜へ』

 あくる朝、カレンは夜明け前に目を覚ました。他の3人は、まだ夢の中にいるようである。東の空の地平だけはうっすらと彩雲に彩られていたが、その他の方角はまだ宵闇にとざれていた。南向きの窓辺には、昨夜、常夜灯のかわりに呼び出しておいた鬼火が青白い光をゆらゆらと揺らしている。カレンはそれをそっと消した。刹那、部屋の中は東側からさすほのかな光だけとなる。まだ星の瞬く南向きの窓から外を眺めて、カレンはひとつため息をついた。
 そう言えば、昨晩のやり取りは不思議だった。いつものように、暖炉上の飾り棚(マントルピース)に常夜灯として丈の短い蝋燭を焚こうとしたところ、不審火の心配があるからとしてユンがそれをしないようにと強硬に求めたのだ。
 石造りの暖炉の上に設置された大理石造りのマントルピースに常夜灯として蝋燭を置くのは常の習いであった。しかし、ユンはそれをいけないというのである。なぜそこまで不審火を心配するのか気にはなったが、真っ暗ではリアンが怖がるのでなにかしら常夜灯と灯したいと言ったところ、南の出窓に鬼火を置くのであれば構わないというので、それ以上問うことはしなかった。
 あとで、手洗いに赴く際にミリアムから聞いた話では、ユンは小さいころに火事で両親を失った経験があり、そのため特に不審火を警戒しているのだということだった。窓辺の鬼火を消すと、僅かに室内は暗くなったが、それでも東面の窓から差し込む朝陽の欠片は思う以上の明るさを内包してるようだ。
 昨夜のいきさつを窓越しにぼんやりとカレンが思い出しているその間にも、初夏の朝陽は少しずつその高度を上げていく。

* * *

 しばらくして、みな起き出してきた。リアンはベッドの上で上半身だけを起こし、両手を高らかにあげて大きなあくびをしている。ミリアムはユンより先に起き出して早速着替えにとりかかっていた。ユンは寝床を抜け出ると、シャワー室に入って目覚めの湯浴みを楽しんでいる。
 やがて、室内は見る間に明るくなり、すっかりと南部都市の朝の気配に包まれていた。リアンは、部屋に備え付けてある通信装置で受付と連絡を取り、朝食を注文している。カレンはその姿をあたたかく見守っていた。
 しばらくして、ユンがシャワー室から出て来る。扉が開くと、彼女と一緒にあたたかい湯気に乗ったシャボンの香りが漂い出てきた。タオルで髪を乾かしながら、着替えを始めるユン。リアンも隣で着替えを始めた。ほどなくして全員、朝の準備が整った。
 その時にはすでに太陽は、東の地平のかなり上に顔を出していて、南側や西側の窓からも朝陽が差し込むようになっていた。そして、時計が8時を指す頃、ドアをノックする音が聞こえてくる。
「お客様、朝食をお持ちしました。ここを開けてよろしいですか?」
 その給仕の問いかけに、カレンが応えた。
「どうぞ、開いています。お願いします。」
 応答を受けて、朝食を載せたカーゴを押す給仕が入室してくる。給仕はテーブルの上にそれを人数分並べてから、部屋を後にした。食事は一般的なトーストとスープにコーヒーで、特段の変哲もなかったが、その温かな香りは、起き抜けの空腹を思い出させるのに十分なものもののように感じられる。

変哲ない宿の朝食だが、朝の空腹を満たすには十分であった。

 朝食を囲んで、みなテーブルに着いた。甘いハニートーストの香りが心地よい。食事を進めながら4人は今日の予定を話し合った。

 悪魔や堕天使は通常、陽があるうちは来客に応じない。そのため、アザゼルの居城である『アルカディア城』へは日没に至る必要があった。そこで、夕方17時に宿を立つこととし、それまでは計画を綿密に練るとともに入念な準備をすすめるということで話が決まった。
 めいめい、空いた食器をカートに戻しながら、片付きつつあるテーブルの上にタマン地区全域の地図を広げて会議に入っていく。

タマン地区の地図。中央を走るのがタマンストリート、それが東西にそれぞれデイ・コンパリソン通りとルート35に分岐している。その分岐点の南に位置するのが中央山地である。

 地図上を指さしながら、ユンが説明を始めた。
「地図の中央を南北に走るのが、南大通りから続くタマンストリート。そこから東西に、それぞれデイ・コンパリソン通りとルート35に分岐するわけだよ。そして、その分岐点から南に広がるのが、目的の中央山地ってわけだね。」
 それを受けて、ミリアムが話を続けていく。
「中央山地はそれほど険しい場所じゃなくて、どちらかと言えば観光地だから、アクセスは比較的容易だけど、目指す『アルカディア城』はそれなりに険しい場所に位置しているわね。」
 そう言って、ミリアムは地図をなぞった。
「螺旋する随分急な山道を行かないといけないけど、山道に入ってしまえばあとは一直線でたどり着くことができるわ。ここを17時に出るとして、19時過ぎには『アルカディア城』に入れると思うわよ。」
 アザゼルの居城は『公子の嘆き』と呼ばれる、日の当たらない山岳北側の谷間に鎮座していた。タマンの南西に位置する港湾地区側の登山口からおよそ1時間半あまりで到達できる場所にそれはある。『公子の嘆き』はすっかり著名な観光地になっていたが、その城がある側は主要山道からは外れていて、行政により進入禁止の措置が取られていて、今では人通りの稀な場所となっていた。

* * *

 初夏のこの時期、夕刻から日の入りまでにはそこそこの猶予があるはずだが、それでも、到着見込みの19時には陽がすっかり落ちていることが想定された。そこで、カレンの召喚する死霊に先導させ、ミリアムの焚く灯火をたよりに山道に挑むということでおおよそのことは決まったが、そうこうしている間にも、時刻は既に正午を迎えようとしている。
 またしても、戸をノックする音が外から聞こえた。給仕が昼食を運んできたようだ。ユンがそれに応じる。
「開いてるよ。どうぞ!」
 その声を受け、朝と同じようにして、食事を載せたカートンを押す給仕が入室してきた。湯気があたりの空気をぱっと賑やかにする。

 給仕は、食事をテーブルに配膳した。昼食は、ポルガノ族の肉を用いたもので、食器を兼ねた熱い鉄板から湯気が立ち上っていた。それにトーストとサラダ、スープが付けあわされている。

『ポルガノ族』を豪快なステーキにした料理。

 その麗しい香りに、ミリアムとユンの二人は虜となって早速に匙(さじ)を繰り出していたが、それが『ポルガノ族』のなれの果てと聞いて、シーファのことを思い出したリアンとカレンの二人は、とても手を付ける気になれないでいた。料理は徐々に熱を失っていく。すっかり冷たく固くなってもなお、二人の皿の上のその肉塊が重量を減じることはないままであった。

「うまいよ。食わないのか?」
 ステーキを頬張りながらユンが問うが、リアンとカレンは小さく首を振って応えるばかりである。結局、二人はトーストとサラダ、そしてスープを押し込んだだけでその日の昼食を終えた。いささか心もとない腹持ちではあったが、それでも夕方の作戦に支障はない程度には腹は満てたようである。鉄板に蓋を戻してそれをカートに乗せると、食器を下げて欲しい旨を通信機越しに給仕に伝えた。
 陽はまだ南の空に高く、その首をわずかに西に傾げたに過ぎない。食事を終えた後、4人はめいめいに旅支度にとりかかった。武具、防具は言うまでもなく、薬草に水薬、急速魔力回復薬と、考えつくものは何でも荷に加えた。なんといってもこれから交渉を試みるのは、悪魔の中でも特に名うての『三魔帝』の1柱なのだ。
 『三魔帝』と言えば、魔王の配下にあって冥府と煉獄を支配する各軍勢の王である。それぞれの名を、アザゼル、ベリアル、アスタロトといい、隙あらば地獄全体の支配を目論む有力者でもあった。魔王ルシファー亡き今、地獄の統治は第二の実力者であるベルゼブブとレヴィアタンが牛耳っていると伝えられていはいたが、彼らはその二柱にとって代わるべく、虎視眈々と機会を探っているのだと言う。そんな中で、アザゼルが人間の頼みをやすやすと聞き入れるとは考えられない。きっと、自身の覇権の足掛かりとして利用しようと目論むはずである。悪魔のことについては、アカデミーでも、『堕天・悪魔学』として学習するが、そこで学んだことを思い出すにつけ、4人は背筋に寒いものが走るのを感じていた。まずもって、無事にその隠された悪魔の居城にたどり着くことができるのか、また、たどり着けたとして、上手く交渉を乗り切ることができるのか、少女たちの胸中は俄(にわ)かに不安の暗雲に支配されかけている。
 少女たちの内心のザワメキをあざ笑うかのようにして、宿の窓の外に広がる初夏の空気は、晴れやかでさわやかな様相を変えようとしないでいた。夜もおそらく、天気に悩まされることはないだろう。着々と進められる準備を見守るかのようにして、太陽は今、天頂と西の地平のちょうど中間あたりに位置していた。まもなく時刻は15時を迎える。

* * *

 それから2時間弱、4人は再度綿密に作戦を確認してから、予定の時間に宿を出た。この季節は夕刻でも陽はまだ十分にあり、西側に影を長く伸ばしながら、少女たちは南西方向の登山口から『公子の嘆き』へと登山を開始した。観光地だけあって登山道はしっかりと整備されており、歩くのに支障はない。獣道も随所にみられるが、地図が示す限りでは、少なくとも『嘆きの谷』と呼ばれる場所までは、舗装された登山道を上って行くだけでよいようだ。谷に至ってからは、濃い霧に包まれたつり橋を行くのだと言う。その方角は観光地とは逆方向にあたり、入り口には立ち入り禁止の標識があるからすぐにわかると、宿の従業員が教えてくれた。とにかく、まずは『嘆きの谷』を目指さなければならない。20分ほど歩いたところで、夕陽が絶え始め、あたりが闇に覆われ始める。そこで、ミリアムが『魔法の灯火:Magic Torch』の術式を行使してあたりを照らした。気温が下がり始めていたところに幾分か温かさが戻り、あたりが明るく照らし出された。ただ、ユンだけはその火から不自然に距離をとっている。やはり、火について何かあるのか?しかし、ウィザードからは、ユン自身が火の天使の加護を受けており、火の魔術の使い手だと聞いている。どういうことだろう?火に対する彼女の不自然な態度を不思議に思いながら、カレンは他の3人と共に、夜を迎えゆく山道を進んでいた。

蛇行する山道を『嘆きの谷』を目指して登って行く少女たち。

 4人の前を、カレンが召喚した死霊が先導していく。目下のところ危険は特にないようだが、念を入れるに越したことはなかった。やがて、少女たちの前に『嘆きの谷』が姿を現す。左手には、これまでと同様の舗装された登山道が頂上付近まで伸びているが、右手方向は深い霧に覆われていて、その入り口には情報通りに、太い綱で道を遮る立ち入り禁止の措置が施されていた。その先は、当然のごとく舗装はされておらず、獣道よりは幾分かだけましといった感じの山道が霧の中へと続いていた。

山道の分かれ道。右側は立ち入り禁止とされており、濃い霧に覆われている。

「リアン、大丈夫ですか?」
 いつものように大荷物に潰されそうになっているリアンに、カレンが声をかける。
「大丈夫なのですよ。心配には及びません。」
 汗をふきふき、リアンが応えた。
「さあ、早くいかないと、先を行くミリアムたちに置いて行かれるですよ。急ぐのです!」
 そう言って、懸命に足を繰り出す彼女に頷きを返して、カレンも共に足を速めていった。陽は既に地平の彼方に沈んでおり、西の空には微かにその残滓が見えるものの、魔法の灯火がなければ何も見えないというほどにあたりは闇に支配されていた。加えて、立ち入り禁止とされる右側の道の先には濃い霧が立ち込めている。そこに至れば視界は一層悪くなりそうだ。少女たちは覚悟を決めて足を踏み込んでいった。

* * *

 やがて霧の中で、足音がざくざくという土や砂利を踏み染みめる音から、ぎしぎしと鳴る軋む音に変わる。つり橋に至ったのだ。足元を構成するその橋の木材はまだ十分な丈夫さを保っているようではあったが、暗さに加えて先ほどからあたりに立ち込める濃い霧のために、視覚でそれを確かめることは、実に難しい状況にあった。霧は濃くなる一方だが、それを形作るのは足元の湖から立ち込める水蒸気だけではないようで、なんとも鼻をつく異臭を含んでいた。その証拠に、霧と直に触れる手やローブには、何か粉状のものが付着する。どうやら、近くの水辺の森林部には、キノコ型の魔術的捕食動物である、野生の『ムシュラム族』が生息しているようで、それらが吐き出す瘴気が霧を一層濃くしているようだ。そのことに気づいたカレンは、皆に、ローブの裾で口元を覆い、あまり大きな息をしないようにと、そう伝えていた。瘴気が鼻腔や口に入ると、乾いた咳が催される。一時に大量に吸うとめまいや頭痛などを起こすことがあるのだそうだ。
 足元に細心の注意を払いながら、慎重につり橋を渡って行く4人。足を繰り出すたびに前後左右に揺れるその不安定さがなんとも居心地悪い。幸い、つり橋の両側には手すりにできる丈夫な綱が渡されており、それを頼みにすることで、おぼつかないながらもどうにか前進できた。リアンは両手で綱をしっかりとつかみ、全身を預けるようにしながら心細げに足を繰り出していた。それに対して、ミリアムとユンの二人は、こうした悪路に鳴れているのか、絶妙な足取りでどんどん前進していく。それらの姿を見守りながら、カレンは最後尾を進んで行った。数分それを繰り返した後で、ようやくその足元に石の安定感が戻って来る。どうやら橋がつり橋から石造りのものへと変わったらしい。霧も心なしか晴れてきたように感じられるが、大粒の豆をすりつぶしたような青臭ささは相変わらず。どうやら水以外の霧の成分の正体は『ムシュラム族』の放つ胞子のようで、絡みつく匂いと粉を払いのけるようにして、少女たちはまっすぐに伸びる石橋をずんずんと進んで行った。
 あたりは既に真っ暗で、もう魔法の灯火以外に視界を提供してくる光はない。死霊を先行させているので、ある程度の安心感はあったが、それでも立ち入りを禁止された霧深い山奥に分け入って行くというのは気持ちの良いものではない。周囲に広がる湖の立てるさざ波の音がその場の静寂を際立たせ、ときどき魚が水面を跳ね上げる鋭い音が、そこにリズムを加えていた。
 やがて、雲間の月から青白い光が差し込むようになり、俄(にわ)かにあたりの視界が開けてくる。ふと視線を上前方に向けると、そこには、山岳の深い中腹にはおよそ似つかわしくない、壮麗な古城が姿を現した!それが目的地たる『アルカディア城』に違いない。
 現世にひっそりと息をひそめて暮らす高位の悪魔の居城。そこはひときわ大きな中央尖塔の周りに、いくつかの尖塔を備える大きな城で、城主の悪魔の他にも息づくものがあるのだろうか、窓という窓には明かりが灯されていた。上空でか細く鳴く風が足早に雲を運び、その動きに合わせるようにして見え隠れする月光が、城の陰影を複雑に刻んでいく。

湖に囲まれた谷間にその姿を現す『アルカディア城』。

 進んできた石橋は、そのまま場内までまっすぐに続いているようだ。逸(はや)る気持ちと不気味な不安を綯交(ないま)ぜにして、4人は妖しい静寂の中、誰も守る者のないその城門をくぐって行った。両脇に設置されたガーゴイルの、月光に白く光る眼が緊張感をぐっと高めていく。
 少女たちのか細い喉が、恐怖と緊張で鳴っていた。

to be continued.

続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集03『夜明けから夜へ』完


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