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供給過剰。

どーも。
今思えば、コロナ禍は異常だったのだなぁ、と。
記憶にあった「配信アプリ」の最盛期が、本当にあの頃だったように思う。

どのアプリにもアクティブユーザーが多くいて、配信主も多くいて、さらに、新しいアプリがどんどん新サービスを始めていく。

新サービスで新たな配信者も現れて、その惑星の中で有名人になっていく。

そういう循環が、なんとなく、終わっていたのだなぁと気付く。

もちろん、その世界が好きな人もいて、友人関係ができて、その場所が遊び場所になっている人もいるだろう。

けれど、その世界だけが居場所ではない人は、もう、戻らないのだ。
他の世界に「推し」が欲しかった人は、代役では足りなかったのだ。

そんな世界に見える。
もともと、インターネットに入り浸る人は少なかったのだ。それが、強制的にインターネットの世界に入ってきていたのだから。

人には、合う世界、合わない世界がある。

その多岐にわたる選択肢のひとつに、インターネットに繋げて共通の時間を楽しむ遊びがあっただけで、それ以外の楽しみが解禁されたのだから、ダムが決壊するように、四方八方に広がっていくのだ。

健全な世界に戻ったのだと、改めて思う。

と、同時に、もともとインターネットの世界に住んでいた相性の良い住人たちは、引き続きそこに住み続けて、愛を語り、いざこざを起こすのだ。

それもまた、元に戻っただけなのだ。

ただし、過剰に供給されたサービスだけが、どこかで骨を折られていく。
過疎地にできた立派な音楽ホールのように、箱はあっても空洞だけが残るのだ。
残ればまだ良いほうかもしれない。
いつの間にか、終わりの計画が始まっていく。
民間の資本なのだから、いつまでも、利益の出ない箱は用無しになるだろう。

どれかが残り、どれかが消える。

経済は淘汰の波が定期的に訪れる。
VRゴーグルが不要な段階になった世界で、未知のウィルスが再び猛威を振るうことがありませんように。

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