真実はいつもひとつなのか
そろそろ真実の実体を捉えることについて話したい。
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自分の決まりごとのひとつに、
「異なる2つ以上のルートでオススメされた作品はチェックしてみる」
というのがある。
最近では中国のSF小説「三体」とか
ミーア氏が紹介していた&別な方からも薦められた「ミステリと言う勿れ」
が当てはまる。その他リストにしてメモをとっているが、のめり込むタイプなので必死に自制している。
「ミステリと言う勿れ」を読んで印象的に残ったのが
「真実は人の数だけあるんですよ、でも事実は一つです」
というセリフ。
示唆があっておもしろいと感じたのでココから思考を広げたい。
真実と事実の違いって?
平素よりお世話になっているwikipediaへ相談すると
- 真実
嘘や偽りでない、本当のこと。真実は事実と同様で、皆が一致する一つの場合もあり、人それぞれに複数存在する場合もあるが、一般的には、他者との関係性を前提に社会で合意して共有できる皆が一致する、より公的で社会性を有する事柄を真実と言う。
- 事実
ことの真実。真実のことがら。本当にあったことがら。
[wiki]
とあり、同じ意味じゃん...!と動揺した。しかし実際の用法としては、
- 真実
個人が観測した事実に対する解釈。
- 事実
定量的、自明であること。誰の目からみても「そうである」と言える。
を指すような気がする。ということは"真実"≒"事実をもとにした意見"と言えると思う。なお、この解釈も私の"真実"だ。
事実と意見を分けるのは大切
コンサル会社の研修で「クライアントの説明をきいて事実と意見に分類せよ」という訓練があった。実際の業務ヒアリングや要件整理などクライアントと会話するシーンで事実と意見を分けて説明してくれることは皆無でこの訓練は非常に役立った。
同時に自分のアウトプットも事実と意見を分けて説明せよ!と口酸っぱく言われ、伝える能力も多少高まったと思う。素地が相変わらずポンコツだが。
関係性を図示してくれていた
「事実...真実...意見...」とぼそぼそつぶやきいていたときにQuora(QA共有サービス)を覗いていて、事実と真実の関係性を一発で示した図を見つけた。コレである。
[Quora/Why do people deny the truth?]
僕はこの図から
- 観測の視点によって事実は歪曲される
- 観測そのものがひとつの視点だけでは事実の観測を見誤る
と学びを得た。
要するに、事実を求める努力をしろ?
要するに「事実を求める努力をしろ」と受け取った。
誰かが言った意見(≒真実)に右往左往したり一喜一憂したりせず、なるべく多くの視点と視座で物事を捉えようとするれば自分の意見が限りなく事実に近づいていくのだろう。そのための探求をやめてはいけない、と感じた。
一方で同じ事実を見ているのに異なる真実をもつこと自体がユニークだし、クリエイティブの一端なのでは?と感じたりもして、事象や論理と向き合うときは事実を求める努力をしつつも、各々の真実の多様性を楽しむことも大切かもしれない。
というわけで
「真実はいつもひとつじゃないけど、真実はひとつじゃなくてよい」です。
なにとぞ。
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