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完全にする機会を享受する

そろそろ、作品を補完することについて話したい。


おもしろそ!と思い「茶の本」を読んでいる。
書かれたのは1906年。およそ120年前に書かれた本。

茶席の作法は何一つ知らないのだが、 この本は「茶」に限った話だけでなく、「茶」をとりまく日本の文化を西洋人へ理解してもらうために書かれた本だ。思想が強くておもしろい。

例えば、以下のような一節がある。

何者かを表さずにおくところに、見る者はその考えを完全する機会を与えられる。大傑作は人の心に強くて惹きつけてついには人が実際にその作品を見ての一部分となるように思われる。虚は美的感情の極致までも入って満せとばかりに人を待っている。

見る者はその考えを完全する機会を与えられる。
大傑作は人の心に強くて惹きつけてついには人が実際にその作品を見ての一部分となる。

一文一文が重厚で濃い。パワーセンテンス。

ひとりひとりが何らかの作品、言葉、行動を受け取ったとき、はじめて「考え」が完全になるわけで、心のなかで反芻している言葉や気持ちや誰にもみせていない作品はまだ不完全と定義している。さらに受け手は受動的になるべきではなく「完全にする役割」を担っており、作品が完成するためには受け手の存在が必要不可欠である。

例えば、有名な絵画を生で鑑賞したいと強く願う見る者がいる。これは切り取り方を変えると有名な絵画自身が自らを作品として完成させるために見る者を必要としているとも説明できる。

人を惹きつけてやまない作品がヒトの寿命を遥かに超え感動を生み出し続けるのは、ヒトに愛され続けているからではなく、作品が完全になるためにヒトに愛され続けている必要があるからなのかもしれない。これが正なら世に知られていない作品はすべて不完全ということだろう。

この本から日本文化の本質を世界へ伝えようとする意志と品格がスゴくて120年越しに大傑作を完全にする機会を与えられたことが嬉しい。

なにとぞ。

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