無知の知と魂の鍛錬
そろそろ、分かっているようで分かっていないことの話をしたい。
分かっているようで分かっていないことが多すぎる。
ちらっとぶらっと哲学に関連した本を読むと、
本質とは「その特性をもたなければそれではない」特性を指すらしい。
例えば、三角形すべての特性として「3つの頂点がある図形」がある。
よって三角形の本質は「3つの頂点があること」と言える。理解していると思っていた言葉の定義を考え直すと、あらたな発見が得られる。
「わび・さび」という表現がある。
枯れたり錆びたり古びたものが語源とされていると思われるが、枯れたり錆びたり古びたものすべてに「わび・さび」があるわけではない。「俳句」「龍安寺の石庭」はなんとなく直感的に「わび・さび」がありそうだけど、
「アンティーク家具」や「世界最古のボードゲーム」は魅力的だが「わび・さび」があるとは思わない。
ひょっとすると「わび・さび」の定義には「日本固有の文化の」とか「静寂」とか隠されたキーワードがあり、それを突き詰めると「本質」に辿りつけるのかもしれない。
「モデルの冨永愛氏は好きな食べ物はラーメンで食べるのは年2回」という話を耳にし、そのストイックさに感銘を受けるとともに「好きってなんだ」と疑問に感じた。
「好きな映画は」と訊かれたら、
視聴回数ならユージュアルサスペクツ、ファイトクラブ、エターナルサンシャインだけど、衝撃度なら時計じかけのオレンジ、ソウだし、ロマン度ならゴッドファーザー、アバウトタイムだし、ユーモア度ならウディアレン作品だし、あらためて「好きってなんだ」と心底疑問に感じ、自らが無知であることを知り、これを問い続けるのが魂の鍛錬か、かなりおおげさに受け入れた。
「本質」を捉えられていないことが多すぎてこれからも生きるのが楽しい。
なにとぞ。
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