見出し画像

「ミュートにしなくていいよ」とオンラインミーティングで言われ、軽い衝撃だった話


バンガロールの学校は小学生は休みになり、
昨日からオンラインでのVirtual Learningがはじまった。

その全容はまたの機会に譲るとして、いまはるさめ(5歳)が毎日12時にzoomで参加している、先生の絵本読み聞かせでの出来事。

昨日はそれぞれの場所からアクセスしていて中には車の中で移動中の子もいた。
10人ぐらいがみんなビデオ・音声オン。

絵本を先生が朗読している間、はるさめは内容がわからないので、日本語で私がなんとなく通訳しているのだが、はるさめ集中力なし・・・少し経つと画面から消え、おかしを探しにいってしまう。

「はるさめ、絵本読み聞かせやってるよ!」など私が日本語で言っているので、こちらの音がうるさいだろうと思って、絵本の朗読の間、ミュートにしてした。他の人はなんでミュートにしないんだろう(クラクションの音とかが聞こえてくる)、と思っていた。先生がみんなをミュートにすればいいのに、ぐらいに思ってた。

が・・・!

終わった後、先生から、ミュートにしなくていいよ、という連絡があった。
もちろん他の人の邪魔にならないようにという意図はわかるけど、と。
たしかに、絵本を読みながらなげかけを先生がしているので、それに応えるためには、ミュートにせずマイクをオンにしておいたほうがいい。

でもなんか、この「ミュートにしなくていいよ」は私にとって軽い衝撃だった。

「迷惑になってはいけない」という意識が、ものすごく自分に働いていた、ということに気づいたからだ。
そしてそれを、他の人にも求めていた(なぜミュートにしない?と)。
迷惑だけではなく、朗読をきちんと聞けるようにしたいという「効率性」とかも、自分の中に働いていたのかもしれない。

しかし、先生にとっては、多少雑音がはいろうが、子どもたちの生のリアクションを聞けるほうが大事なわけだ。絵本をみながら、ライブでやりとりをしたいわけだ。だから、ミュートにしなくていいよ、と。

いやー恐れ入った。

この「迷惑をかけてはいけない」メンタルモデル、日本人にDNAレベルで埋め込まれてるんじゃないかと思う。私自身レギュラーな日本人から少し外れていると自分で思っていたため、この発見は自分が嫌だと思っていた傾向が自分の中にもしっかりあることを認識させられた。

某ウィルスによる経済の影響は大きく、不透明さは増すばかりだけれど、オンラインという新しい方法でこれまでやっていたことをやる事によって、こんな風に自分の思い込みに気付ける(会社にはいかなくてはならない、とか)のは、良いことなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?