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孤児院で真摯に向き合うこととは? another story
以前、西アフリカのブルキナファソという国に渡航してきました。
色々な人に助けてもらいながら孤児院に行き、絵本の読み聞かせや寄贈。そして、全力で子ども達と遊んできました。
そこでこの記事は終わったんですが、孤児院では色々とありました。
絵本の活動と少し外れるし、長くなるからと省略しました。
でも、とても大切な経験だったので1つの記事にします。
絵本の活動した後は、院長に孤児院内を案内してもらったりお話をさせてもらいました。
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見学の最中、1冊のアルバムを持ってきてくれました。
“なんだこれ?”
と思いつつ写真を見ると、写っているのは孤児院の子ども達と職員、そして、どの写真にも必ず写っている外国人。
なんとなく予想がつきました。
今までこの孤児院に寄付やボランティアをしてくれた方々の活動写真を納めたアルバムだったんです。
たくさんの方がいました。
全員がこの孤児院のために何かしたのかって思うと、カッコいい。
仕事かも知れない。ボランティアかも知れない。バックグラウンドなんて写真1枚でわかるわけない。だけど、
全員がヒーローに見えた
そこに、私達の写真も入る。
自分のことをヒーローだとは思わない。
でも、いつかまた誰かがこのアルバムを見た時、私達のこともヒーローの1人として見てくれるならすごく光栄なこと。ちょっとむず痒いけどね。そりゃ嬉しいよ。
院長との話や院内を見せてもらい。苦しい経営や壊れた箇所、支給だけでは全然足りない食事の事情なんてのも理解できました。
たくさん話した後、相方が言った言葉
「ここに少しでも良いからお金を寄付しよう」
気持ちはすごくわかるよ…
痛いほど。
でも簡単には頷けない。
2年間活動していたのでわかる、お金の危険性。
ちゃんと孤児院へ還元される?
ネコババはない?
次の外国人に要求しない?
他の人からもらえなくてがっかりしない?
自分たちで頑張ろう!っていう意欲を削がない?
夢や希望の活動をしていますが、こういったことも考えなければいけません。嫌なことで、全然楽しくないし、人を疑うことだけど大事なこと思うんです。
キレイな表だけでなく、裏も意識することでちゃんとした活動になると思っています。
だから、相方とちょっとした言い争いになりました。
「ここに少しでも良いからお金を寄付しよう」
「…それはやめた方がいいと思う」
「なんで?」
「お金を置いてくってやっぱり良くないことだから。ポケットに入ったり、どう使われるかわかんないし、自分たちで頑張るっていう意欲そぎやすいし」
「この人たちはそんなことないだろ」
「それは俺も思うけど、お金は良くない」
「じゃあ、どうする?」
「何かしたいとは思う」
「その何かって?」
「……」
自分でも嫌になるほど人を疑ってると思いますが、清濁合わせのみましょう。物品や食料がベストと思いましたが、土地勘なんてないし、ここはかなりの街外れで近くに購入できる場所なんて見当たりませんでした。
「俺らが物を買えそうにはないけど、お金を職員みんなの前で渡して、食料に使ってくださいっていうのはどう?」
「…それがこの状況で出来るベストなことかもね。念押しして、後で電話とかも入れるよ」
お互いにこの孤児院のためを想っての行動や思考です。どちらが正しいとか悪いとか判断するものじゃなく、お互いが持つ正義や最善だと思うことを擦り合わせてるんです。
話し合った後、まとまった意見を院長に伝えに行きました。
「ここの孤児院に寄付をしたいと思ってる。でも、改めてみんなの前で渡して、子ども達や先生の食事なんかに使って欲しい」
「ありがとう。でも、お金は受け取れないよ」
「(断られた!?!?) なんで?!」
「こういったお金を受け取って、自分のために使う人が多すぎる。だから、私たちは元から受け取らないようにしているの」
…この人、絶対ネコババなんてしないだろ!
絶対正しく使ってくれる!
でも、そこは超えてはいけない一線があることで成り立っているのを感じます。私欲で簡単に線を超えてしまいやすいからこそ。
お互いがお互いを尊敬し合えるために。
経営は決して楽じゃない。修繕箇所なんて山ほどある。それでも、固辞した院長先生が眩しく見えました。もう後光がさしてる。アフリカの太陽だから強めのやつ。
ただ、こんなにも眩しくて頑張っているからこそ応援したくなるのも人の性。
何かしたいという思いはより強くなりました。
「何かしてくれるなら子ども達への食事が嬉しいかな」
「うん。だからその分にお金を使って欲しい」
「でも、お金は受け取れないから食料買いに行こう」
「どうやって?車はもうないよ」
「バイクで一緒に行こう」
………その手があった!!
原付だよ。2人乗りだよ。ノーヘルだよ。でも、ここは日本じゃないからね。
郷に入っては郷に従いましょう。
正式に活動していた時は禁止されてたから出来なかったけど、今はフリーだからね。
アフリカの大地をノーヘルってめっちゃ気持ち良い。
砂埃すごいけど。
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ほんのちょっとんお米と油と絵本。
あげたのは私たち。
でも、受け取った側より清々しくて、気持ちが良い自信がある。
これを自己満足とも偽善とも呼ぶかもしれない。
でも、この気持ちの正体はそんな俗っぽいものではない。
1回やってみ?
人生が充実するよ
希望に満ちるよ
無気力感なんてアフリカの風が砂埃と一緒に吹き飛ばしてくれるよ
大切なものはなんでか目に見えないことが多いから、やっぱりもらう側よりあげた側の方が得るもの多いと思う。
普段は言い争いなんてしたことがない私と相方。
遠慮というよりもお互いを尊重してるから話し合いのテーマによって一歩引くことも押すこともある。
この孤児院でお互いに自分の目で見て、聞いて、触って、感じたことがたくさんありました。
心から笑うことも。心が痛んで苦しいことも。
可愛くて小さくても、強く逞しく生きる子どもの姿に心を動かされることも、癒されることも。
そんな経験をしたからこそ、私も相方も自分の正義を持ち、ちょっとした言い争いになった。お互いの目が真っ直ぐだった。
それも新鮮だったし、今後も活動をしていく上で良い経験になったかなと勝手に思っています。
▶︎ 最後に
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簡単にヒョイっと高い高いできる子ども達。でも、その背景にあるものは日本人として普通と呼べる環境で育ってきた私たちとは比べ物にならないくらい冷たく重い。
ここを去る際、わかってるんです。
私たち、もう2度会うことはないよね。
さよなら。…どうか元気で。
祈ることしかできない無力さでごめんね。
もっと食料渡せばよかったかな。
そしたらちょっとは笑顔が続いたかな。
後悔なんて山ほどある
表面的なことだけで、根本的な解決なんて出来ない
だけど、悩んで苦しんで、自分たちができることを。
保育士✖︎デザイナーでできることを模索し、今後も笑って活動を続けます。
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