【英会話習得は人生を豊かに】想像もしていなかったマイストーリー①

シャイだった私が憧れた人


「ジュリちゃん、性格変わったね。」

2011年、冬。

アメリカ州立大学を優秀生で卒業し、
NY大手監査法人に就職決定後の一時帰国時
母に言われた一言。

英語が話せるようになって出会った方々からは、
「ポジティブ」「行動力がある」「はっきりものを言う」
と言われるが、過去の私はというと・・・

「シャイ」「周りの目を気にする」
「言われた通りにする」「人に合わせる」
「人前が苦手」

小学校の先生でとても厳しかった母のために
「良い子」で居たくて母親軸で生きていた私。

そんな私が憧れを抱いたのが、
中学2年生の時に転校してきた帰国子女の子。

英語がペラペラでかっこいい。
彼女はすぐにクラスの人気者になった。

それまでは、英語でわからないことは
ジュリに聞けばいいというクラスの認識が
一気に崩れた瞬間でもあった。

何も取り柄がなく、シャイだった私が
唯一自信が持てたのが小6から始めた英語だった。

憧れと同時に嫉妬と英語に対する執念が
芽生えたのもこの時で、私の英語学習地獄の始まりだった。

彼女に追いつきたくて、
ひたすら英検やTOEICに取り組む日々。

英語に力を入れている高校に入学し、
英語英文科の大学にも進んだ。

高校でも大学でも、
英語の成績はよかった。

「ちょっとは憧れだった彼女に
近づけたかな?」

自分の英語力を試したくて
カナダでのワーホリを決めた。

親には反対されたが、
資金は自分で稼ぐという条件で
なんとかOKをもらった。

きっと、私が自力で100万を貯めるほど
本気ではないと思っていたのだろう。

衝撃的な出来事

2005年、4月。

目標の留学資金が貯まったので
初めて親元を離れてカナダに渡った。

カナダの生活にわくわくしながら、
語学学校1日目。

衝撃的な出来事が起こった。

クラス分けテストで
下から2番目のクラス。

しかも日本人だらけ。

10年間英語を勉強してきたのに
初級クラスって。

その理由を知りたくて、
先生に英語で手紙を書きました。

先生からの回答は、
"This is the reason why you are in this class.
You need to practice speaking."
(あなたがこのクラスにいる理由は、これです。
話す練習をする必要があります。)

10年間の英語学習でしてきたこと。

  • 英語教材を使って単語や文法の暗記

  • リスニング教材の聞き流し

  • 洋画を字幕で見る

  • シャドーイング

  • 洋書を読む

  • ペンパルと手紙交換

  • 英会話スクールに通う

これら全てに費やした時間とお金は
無駄だったんだと。

こんなはずじゃなかった。

「私は今まで何をしてきたんだろう…」

語学学校に通って3か月。

カナダにいるのに、
日本人と英語で話している日々。

このままでは、
帰国までに話せるようにならない。

どうしよう…

英語に自信があったのに、
その自信を失った私は、

焦りばかりが募って
「私には英会話上達は無理だな」と
諦めて帰国することも考えた。

私の一番の理解者、
大好きなおじいちゃんに相談したら、

「ジュリのペースで頑張っておいで。
おじいちゃんはジュリの味方だから。
応援しているよ」

遠い離れた日本で
応援してくれる大切な人がいる。

2005年、夏。
私は、決心をした。

英語が話せるようになった理由

帰国まであと5か月。

私がしたことは、3つ。

1.語学学校を辞めた

日本人と英語で会話するために
カナダに来たのではないから。

2.日本人とのルームシェアを辞めた

日本語環境を断ちたかったから
カナダ人宅のルームシェアに変更した。

3.英語日記をつけ始めた

今日1日の出来事を書く日記ではなく、
未来の会話日記。

実は、これが1番効いた。

なぜかと言うと、
「明日これを話そう。」
「明日これを聞こう。」

自分が話したいことを
英文に書き出してみて気づいたこと。

「私、英語書けるじゃん!」

もちろん文法の視点からしたら
間違いだらけだったかもしれない。

でも、伝えたいことが伝わるレベル。

「書けるのになんで話せないんだろう」

!!!!!!!

「私の今までの英語学習って
全てインプットだった・・・」

英語を話すと言う
アウトプットをしてこなかった。

これに気づいてからの
私の英会話上達は半端なかった。

部屋で英語日記を書いては
ぶつぶつ読んでアウトプットの日々。

地味だけど、とっても効果的で
カナディアンファミリーから
"Your English is getting much better!"
(英語すごくよくなってる!)

嬉しかった。

この言葉がきっかけとなり、
「私は英語が話せる!」と
自信を持って言えるようになった。


帰国後、すぐにおじいちゃんに会いに行った。

「おじいちゃんが励ましてくれたおかげで
私は英語が話せるようになった、ありがとう。」

そして2年後。

アメリカ大学で会計学を学ぶと言う
チャレンジをするが、
再度英語への自信を無くすことになる。

ネイティブ学生との壁

ド田舎の大学で留学生は、
私が専攻した会計学部では、私含めて2人。

授業にはついていけていたが、
私には致命的な課題があった。

発言ができない。

30人ほどの学生がいるクラスで、
出席確認で名前を呼ばれて
"Here"と言うだけでドキドキしてた。

そして1番辛かったのが、グループ課題。

発言できない私は、相づちを頑張った。

そして、誰かが "How about you, Juri?" と
声をかけてくれることを待っていたのだが、、、

願い叶わず、一言も発せず終わった。

ネイティブ学生は、
私が留学生と言うことで
特別扱いなんてしてくれない。

意見を言わない人は、
存在しないのと同じ。

カナダで得た「英語が話せる」と言う自信は
ネイティブ英語環境では、通用しなかった。

そんな私にもちろん友達もできず
1人ぽつんとつまらない学生生活を送っていた。

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