彼女が伝えたかった5文字【イワシとわたし 物語vol.6】
暑い夏であることに変わりはない。
けれど、この日だけは何やらいろいろと考えてしまう。
あの人は今、何をしているのだろうか。
元気にしているのだろうか。
子供の頃は何も感じなかった遊具に、懐かしさを感じる。
ここでも一緒に遊んだような。
遠い記憶から幼い女の子の笑い声が彼女の耳をかすめた。
ノスタルジーに浸りながら
流石の暑さに涼を求め、
近くにあったイワシビルに足を踏み入れた。
カラフルな商品たちが彼女を迎え入れる。
そういえば、たしかここにあったような。
彼女は商品棚を見て回る。
求めていたものはすぐに見つかった。
イワシの形をした一筆箋、「薩男の一筆箋」。
なぜ今これを求めたのかは彼女もはっきりとは分からない。
それも今日という日の力なのだろうか。
――折角だから。
彼女はレジに一筆箋と隣に並んでいたペンを持っていき、
ついでにたい焼きと牛乳を頼んだ。
椅子に腰を据えて一息つく。
さて、何を書こうか。
限られたこの空間ともなると、言葉を綴るのも慎重になる。
今となっては、もう直接伝えることも叶わなくなってしまった。
伝えられないと気づいた途端、
伝えたかったことが次々と溢れて出てくるもので、
なんて、救いようのない願望なのだろうかと
肩をすくめてしまいたくなる。
いろいろ伝えたいことはあったが、
彼女が綴ったのは、たったの5文字。
ありがとう。
これでいい。
彼女は一つ頷いた。
いや、これがいい。
彼女はもう一つ大きく頷いた。
あの人に届くだろうか。
届くといいな。
でも、届いたら届いたで少し恥ずかしいな。
矛盾する気持ちは不思議と心地よいむずがゆさだった。
8月15日の今日。
たった一言でいい。
その一言を伝えたかった。
model:Kanon Instagram(@kanongoto)
撮影:こじょうかえで Instagram(@maple_014_official)
撮影地:番所丘公園/イワシビル Instagram(@iwashibldg)
文章:橋口毬花 (下園薩男商店)
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