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校則のかわりに「心得」がある母校 【 #みらいの校則 】

■ 参加企画


#みらいの校則

 私の出身高校には校則がありません。それは高校時代の誇りの1つでもありました。今回は、そんな学生時代の思い出を書いてみようと思います。


■ 校則がない!

1 この学校に入りたい

 校則がないことを知ったのは、中学生のとき。受験に備えて学校説明会に参加すると「校則がないこと」の説明を受けました。「校則がないことは学校の教育方針に従えば当たり前のことです」というような趣旨でした。

【 教育方針 】
本庄高等学院の教育の目的は、本庄キャンパスの豊かな自然環境で逞しい心身を養い、自由と自立の校風のなか、「自ら学び、自ら問う」という教育方針のもと 「進取の精神」に満ちた活力ある生徒を育てることである。

早稲田大学本庄高等学院
学生生活のしおり P2より

 自由と自立の校風。高校生を子ども扱いしません。社会的ルールは法律があるのだから自分で考えて行動してね、というような話。

 「かっこいい!」と興奮しました。中学生の私にとっては、他の高校よりも大人な高校に見えて「ここに入ったら大人になれるぞ」という感覚でした。

 なぜ20年以上も前のことを覚えているかというと、この説明会の日、自宅に帰った私が「絶対入りたい!」と興奮状態で学校の理念や制度について熱弁していたことを、入学後も母が思い出話としてよく話してくれたからです 笑。


2 現在の校則

 当時、校則は3行くらいしかなく、それもなぜ校則がないかの説明だけだった記憶があります。そこで母校のHPで最新のものを確認してみました。

【 生徒心得 】
 学院生諸君の衿持や良識を信頼し、自主的・自律的な行動を求めることから、学院生活上守るべき規則は最低限にとどめ、以下に「心得」として提示するものである。

早稲田大学本庄高等学院
学生生活のしおり P56より
https://waseda-honjo.jp/pdf/guide/shiori/shiori.pdf

 現在も「生徒諸君を信頼し、規則は最低限とする」というポリシーで「心得」として、守るべきことを列挙しているようです(一部禁止事項はあり。なんか増えている気がする)。
 制服も無く、髪の色も自由です。


■ 自ら学び、自ら問う

 教育方針の「自ら学び、自ら問う」。他の学校は分かりませんが、私は未だによく覚えているほど、このフレーズを聞きました。「我々はこういう学校だ!」というカラーを大切にしていた気がします。

 学業や部活、学生生活を自立して考えようという趣旨ですが、校則がないことで、些細な事にもこの作業を繰り返していました。

 例えば、髪の毛。だいたい高校1年生の5月6月頃から様子見ながら髪の毛の色が変わっていきます。私も控えめな茶髪から挑戦し、夏ごろにはブリーチ(色抜き)、もっと攻めたくてハイブリーチ、もっともっと攻めたくてメガハイブリーチだのEXハイブリーチだの。痛い思いもしたし、まだらになって恥ずかしい思いもしたり。アクセサリーも見えないとこからはじめて、エスカレートすると学園ドラマの影響を受けてカチューシャとか(書いているだけで恥ずかしい)。つけて学校に行った日は全方位、自意識過剰状態。先生に注意されるかという心配はゼロです。そうではなく、背伸び?おしゃれ?に挑戦して、周りの反応がどうか(いじられたら「ちげぇーし。そういうんじゃねーし。」とカバンの中へ封印しました)。

 そんな日常も「自分らしくいたい」「自分らしくって何だろう」と自らを問う行動だったように感じます。「そんなことよりも学業を」という声もよ~くわかりますが、ピアスを開けたから成績落ちたとか、服装乱れたから生活態度が悪くなったとか言われたくなくて、学業も生活もちゃんとしましたよ。

 校則がない大前提は、心得にあるように「諸君を信頼し」です。学校や先生に信頼されている。表面がチャラついたって、それは自己表現の1つ。乱れじゃない。だから、中身はちゃんとしようとしていました。


■ 理念と規則


 ここで伝えたいことは「校則がないことは、素晴らしい」ではありません。

 校則は背景があって作られたもので、学校の理念によっても異なると思います。規律正しくをモットーにする学校であれば、理念と行動を一致させるには校則が必要でしょう。色々な目的の学校がありますから、教育目標にあったそれぞれの校則があることは当たり前です。ただ、校則を変えようという動きがあることは、単にブラックというだけでなく、学校の教育方針も時代にあったものに変えていこうという動きなのかもしれませんね。

 私の母校は、高大一貫教育(大学の附属校)という特殊なタイプで、高校生活は大学の準備期間のような位置づけでもあります。人間形成において、基本的には大人として扱われるような感覚がありました(校則がないだけでなく、2年生からゼミ形式で卒業論文の執筆があったり、経済学等の大学の先取り科目もあり)。「自ら学び、自ら問う」という自立を促す方針に対して、自立を促すカリキュラム、規則が用意されているから理解できます。
 
 私の本業である企業経営でも、企業のビジョン・パーパスが重要であり、かつその理念を社員と共有できているかどうかが問われます。
 経営とは違えど、大きな構図は同じかもしれません。学校の教育方針が形骸化していて、誰もピンとこない。校則も何かの問題があったときに規制して、そのまま。もしそのような状況であれば、用意されている「校則」はなんなのだろうか。

 「なぜその校則があるのか」「なぜ校則がないのか」を学校、学生の相互で理解できる構図こそ必要なものだろうと思います。


■ おわりに


 noteでフォローしている方々がこの「#みらいの校則」企画に応募していたので、いろいろな体験談を読んできました。その度、そんな校則があったのかと驚き。そこで、私のような「校則がない」という経験をした人間の意見も参考になればという思いで書きました。

 自由にできたからといって、よかったことばかりではありません。私服でテニス焼けした肌に傷んだ金髪でしたから、怖い思いもしました。当時、カラーギャングが駅前に多くいたので、絡まれたり。学生の中には煙草や酒とかが問題になることもありました。

 「良いか悪いか」だとちょっと自信がないので、ズルいですが「好きか嫌いか」で答えれば、母校の校風は好きです。

 そういえば、前回投稿した働き方に関する取材を受けたという記事 ↓。

 インタビューの最後に、税理士を目指す人へメッセージを送りました。「税理士だからこうあるべき」ではなく「自分らしいと思える働き方を」というものです。「型にはまる」よりも「自由に」という発想は、高校時代の校風の影響もあるのかもしれません。わりとそんな働き方をしている高校時代の友人も多い気がしますよ。

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