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シュレディンガーはたぶん猫。[第18話]

第18話


 変異直後は足がガクガクで動けず、肉体の感覚と素粒子体の感覚が混ざっていることで歩くことでさえも混乱する状況だった。片山も同様だ。

 ふたりして「俺らって、今まで一体、どうやって歩いてたっけか?」なんてことを真剣に考えるはめになった。下手するとアパートの階段を踏み外して下まで転げ落ちそうな勢いだったため、身の危険を感じた俺は片山の家に泊まると親に連絡することになった。

 この状態で虫に襲われたら俺ら確実に死ぬな、と悟って。

 何とか汚してしまった制服のズボンと下着を手洗いして干して、シャワーと下着と着替えを借りる、ということだけは体を引きずるようにしながらも頑張った。服はともかく他人のパンツかよ、と抵抗はあったが、洗濯されたものだし全裸ノーパンのままで過ごす方がよっぽど辛かったので、そこは仕方ない。あとは片山家買い置きのレンジで温めるだけの冷凍チャーハンを分けてもらって食って、その日が暮れた。

 まあ、そういう下半身の惨状を家族の女性陣に知られずに済んだのだけは、男の自尊心的な意味でよかったと思う……。

 朝になり、何とか動ける状況にはなったため、乾いた制服を着て一度家に帰ってからシャツだけは綺麗なものに着替えて、俺は改めて学校に向かった。その際、片山に借りたシャツとジーンズの服一式と下着について、母さんに洗って返す旨を軽く説明したりはしたが、突然の外泊については、特に怒られはしなかった。

 そして、さらに放課後。

 俺は約十二時間ぶりに、片山の部屋に舞い戻っていた。シュレに対して「素粒子体を自在に動かす方法」ひいては「虫と実践的に戦う方法」のレクチャーをお願いしたためだ。

 しかしちょうど片山が、週末に行く予定の運送系のバイト先のシフト確認の電話をする、と言い置いて玄関から出て行った。なので、俺は「このタイミングを逃すか」とばかりに傍らのシュレにこっそり相談を持ち掛けることにした。さすがに片山の前では、堂々とは言い出せない話だからだ。

「なぁ、シュレ。虫たちに餌やってみていいか?餌ごとの変異のパターンや変異の周期があるかもしれねぇし。少しくらい予測つけられねぇのかなって」

 片山は「絶対殺し尽くすからな?」という完全なる復讐ノリなので、こっそり育ててみたい気分がある俺としては、ちょっと肩身が狭かったりする。

 ……いや、育てたい、とか思ってしまっている自分の頭がおかしいのは、分かってるんだ。コイツは人を食う。そんなものにあえて餌をやって育ててみたい、とか思ってしまう俺こそ、異端の考えを持った異常者なのに違いない。

 ただ、やっぱり俺は、どうしても、虫と呼ばれる生き物に興味があるんだと思う。小学生の時から諦めきれずに燻っていた夢が、何故かここにきて手が届くところまで降りてきているのだ。そう思うと、つい頑張ってしまう。

『あえて、わざわざ変異させるのか?』

 問われたシュレは、当然、「何を奇妙なこと言ってんだ、こやつは」という雰囲気だったが。

 まぁ、シュレにとっては見つけたら即刻殺すだけの対象だろうからなぁ。育成してみる、って感覚は皆無だよな。

 ただ、正直、こうしてシュレによって捕らえられた虫が目の前に並べられている状況は、見ていて楽しいのだ。それがこれから殺すレクチャーをするための「在庫」だとしても。

 第一世代である始祖と第二世代の違いを探して手持ちのノートにメモってみたり、という作業自体が、本格的な昆虫観察をやってますよ感があってたまらなかったりする。餌で生育状態が異なってくるのか?もっと巨大化する可能性もあるのか?などなど、考察するのが楽しい。

 世代違いを横に置いて比べたり、なんてことが、今はできている。ヤバい。俺は小四の頃のダチのカブトムシが、雄だけでなく雌もいて番いだった上に、見せてもらった奴の観察日記によると、卵を産んでまた幼虫からさなぎへ……という輪廻の変遷を辿っていたことにも、激しく興奮していたわけで。やっぱり「型や種類や性別の違い」あたりの差があるのは、コレクション性を感じてしまって、どうにもいけない。

 ただ、虫の天敵の自覚が強くあるシュレと片山の前で、虫たちに対してあまりに好意的に過ぎるのはどうなのか、という気持ちも、当然ある。なので、俺は言い訳も忘れない。

「だって。どうせお前、どっちみち全部殺すんだろ?だったら、虫の視点から見たら、死ぬのが少し早いか遅いかの差しかないだろ。こっちとしてはもう少しデータが欲しい」

 しっかり「殺す側」としてのメリットも提示する。これは殺すための予測やデータを得るためなのだと。

『まぁ、それはそうだろうが』

 全く奇妙な要求だな、とシュレは言いたげだったが、結局は俺の意見を聞いてくれた。そして「虫かご」に餌を外部から取り入れられる「給餌場」のようなゾーンを付けてもくれた。その部分からしか餌は取り込めないし、当然、中の虫がそこから出ることもできない。シュレと俺と片山特有のそれぞれの素粒子がその給餌場部分を「開ける」ための鍵となるので、理論的にはシュレも片山も給餌が可能なシステムになっているが、確実に俺しか使わない機能と思われる。

『お前が自力で虫かごを作れるようになれば、吾輩にいちいち頼まずとも満足がいくように済ませられるぞ?』

 そう言うので、修行的なことは面倒だな、と実は思っていたが、心を入れ替えてこの後の講義はわりと真剣に受けようと決めた。というわけで、それから五分程度過ぎた頃には片山も戻ってきたので、早速本日の授業が開始された。

 まず戦い方を学ぶ前に、基本の基本として、素粒子体自体の存在を強く意識することから話は始まった。

『肉体を使おうとするな。あくまでも素粒子体としての感覚を逃すな。そして、意思の強さが何より重要だ』
「意志……」
『どう動き反応するか、全てはお前の意志が決める。肉体と素粒子体、それぞれ、あえて全く違う動きにさせてみろ』

 などなど、言われるわけだが、当然難しい。

 しかし何でか、片山はノリと勘のみでさっさと使いこなしてしまった。「要は、肉体の動きと素粒子体の動きを完全に重ねられれば、普段の人殴る感覚で虫のことも殴れる、ってことだろ?」とか、平然と言いながら素手で第二世代の虫を握り潰すさまを見せられたため、グズグズと四苦八苦していた俺は「はぁぁ!?それこそが難しいんだろがよ!!」といっそ拗ねたくなった。

「虫と戦う時も喧嘩殺法かよ、お前……」

 思わず負け惜しみ混じりの呆れ声で呟いた俺だったが、すごいのは確かだ。これも一種の才能なのかもしれない。

『お前はもう、それでいいぞ。それでも倒せてるからな』
「よっしゃ。やったー」

 シュレのお墨付きも得られ、片山はご機嫌だ。出遅れた形になった俺はというと、眉間に深くしわを寄せながら、右手を握ったり開いたりする。そうしていると、ひょいとその手を覗き込むように片山が見てくる。

「宮本は、なんか、俺よりもっと頭良さそうなこと、できるんじゃね?」

 そうして、そんなことを言ってきた。頭良さそうってどんなだよ……と、ますます俺はしわを深くしてしまう。俺は先程シュレが説明してくれた「素粒子にまつわる力の話」あたりを、脳内でもう一度繰り返してみた。

「えーと……重力と、電磁力と、強い力と、弱い力と……」

 強い力は、素粒子の中でも、陽子と中性子が引き付け合う力。弱い力は粒子の変化を引き起こす力。電磁力があることで引き付け合ったり対消滅を繰り返したりもして、空間を曲げてもいる素粒子たち。つまり、それらの力を自在に操ることで素粒子体にダメージを与えたり、逆に安定や保護をしたりもできる、とシュレは言う。

「虫の素粒子体を保っている電磁力を操ることで、弱い力の変化を操ったり強い力の働きを狂わせて、集団的な素粒子存在として維持できなくしたり、電磁力や重力を操って動けなくするとか……?」

 例え考えついても、それを俺が自力でやれるかどうかはまた別の話だ。なので、そこはシュレのやり方を見てお勉強した。シュレもほぼ本能というか、長年無意識に虫を狩っている部分があるので感覚的な教え方しかしてくれなかったのだが、何度も繰り返すことで何とか俺なりに修練を積む。

 やがて、いくらか慣れた頃に外でも実践。俺も片山も、各自なりのやり方で虫と戦う技術を確実に身に着けていった。

 ただ、やっぱり素粒子体を使えば使うほど、その後の変異の影響も比例するかのように大きくなる。毎日のようにそれをやっているとさすがにグッタリしてしまうのだった。

「なんか、ダルそうだなお前ら。夏バテか?」

 ある日の昼休み。松岡に呼びかけられたが、外に遊びに行くようなアクティブなことは全くできそうにない。元々そこまで元気な陽キャみたいな休み時間を過ごすタイプでもないけどな。しかし、もうトイレなどのどうしてもの必要な時でない限り、今はみじんも動く気はない。

 グラウンドの端にある樹木の方からミンミンと蝉が鳴いているのが聞こえてくる。ああ、本格的に夏が来てしまった……。

 松岡の問いに、俺は「んん」と単語にならない声で返事する。俺は今、うつぶせに机に突っ伏す状態だ。そしてその背中に、片山が同じような体勢で重なっている。

「寝不足……」

 俺と違って声を出して応えた片山も、ずいぶんと気だるい声色だった。実際、この暑い中で殺すべき虫を探して街中をさ迷ったりもしているので、普通に熱中症になりそうな状況でもある。が、最近は不定期に起こる変異のせいでちっとも気持ちが落ち着かず、ひたすら眠いしダルい。ただ、修行のおかげで少しずつではあるものの、ましな動きができるようになっているかもしれない。

「期末試験直前なんだから、ここで倒れたら留年だぞー」

 そんな山瀬の台詞で、更に脱力が酷くなる。もう一週間以内に期末試験があり、そしてそれが終われば間もなく夏休みに入る、という時期だ。当然、勉強なんてしていないのに。

「期末……」

 げんなりした声が、ようやく俺の口からも出た。

 いよいよ受験シーズンも佳境に入ることになる。夏休み中は無理やり行かなかったとしても、いよいよ二学期からは塾に通うことを考えることになるのかもしれない。成績が極端に落ちたなら、母さんからもそういう提案が出そうだ。

「そろそろ、夏休み、それまでの辛抱……」

 呪文のように俺は唱える。

 少なくとも、学校に通う頻度が減ってくれるのは、現状かなり助かる。変異疲れの回復のために睡眠時間を多めにあてられるのなら、かなりありがたい。

 ああ、マジで溶ける……。

 グジャグジャと、片山と接触している背中の素粒子体が蠢いて、片山の腹部と混じっている。実はそうやって、俺らは今、お互いの変異を人目から隠しているのだ。

 それを見られるよりは、「夏だってのに異様にベタベタしている変な野郎ども」という風評の方がまだましだろう。

 ――風評、ではないのかもしれないが。

「おい……やめろ。片山」

 ぞわぞわとした混じりをさらに促進させる形で、わざと片山が隠された接触部を掻き混ぜるようにしてきている。なので、それを手のひらで払うのと同等の電気的刺激でぴしゃりと阻害してやった。

 何も知らない山瀬と松岡は、特にそんな俺らの会話を気にしていないようだ。きっと俺が「暑いし重いんだから、のしかかること自体をやめろや」などという意味で文句を言ったのだと、捉えていると思う。

 つまりそれは、片山が肉体を全く動かすことなく自分の素粒子体をそこまで意識的に動かせるようになってきた、ということでもある。そしてそれを拒否する動きを、同じだけ俺も取れるようになった、ということでもある。

 最近、片山にそういう触り方をされることが増えた。アッコさんが言っていた「他人の体を触ったり触られたりしないと得られない栄養」を、よりにもよって俺の素粒子体を弄ることで得ようとしている、らしい。

 ただ、この形で相手を弄っているとそれぞれの素粒子体の差が捉えやすく、各自の肉体の枠と素粒子体の枠を重ね合わせる、ということがやりやすいのもあって、よって混ざりも比較的早めに落ち着きやすい、というのは事実でもある。

 それに……まあ、何だかんだ、気持ちいいからな。肉体触るより刺激強めで効率的っつーか。でもぶっちゃけ、必要性のところを超えてくるとセクハラに近いと感じる。

 怒られた片山はようやく素粒子体を混ぜ合わせるのをやめて、すごすごと肉体自体もその身を起こすことで離した。

 俺は横目で片山の腹部を確認し、自分の背中の感覚も確かめる……よし、何とか今回の変異はおさまった、らしい。

 対消滅程度で軽く変異を消せていた頃が、正直懐かしくなった。あの頃の俺たちの中のシュレの影響は、本当に少ししかなかったんだな、と痛切に感じている。意識的に改変を施した今は、全然違っている。

 ただ横にいるだけで、自然と混じりそうになる……。それを分かっているくせに、片山はわざとますます激しく混ぜようとする。まるで積極的にそれを望んでいるみたいに。

 ――ズルズルと甘えられている。

 岡田さんに異形の違和感を抱かれないためにも、この形で片山と接触する必要性が増えているわけだが。こう場所問わずで四六時中になってくると、いくらか困る気もする。



[つづく]

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