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シュレディンガーはたぶん猫。[第23話]

第23話


 アッコさんとの会話を終えてしばらくすると片山も戻ってきた。なので、俺たちはアパートの近場の、もうふたりで何度も行き慣れた町中華の店に行く。安くて量がある、お手頃な店だ。そこで腹ごしらえを済ませてから、早速、夜闇に紛れるように街に調査に出た。

 まずシュレがその検索能力で虫の気配がひときわ濃い場所を探り、地図データと示し合わせてそこに向かう。気配が濃い場所には虫が大量に集まっているか、より他の虫を取り込んで成熟期へと邁進している強め個体がいるか、その両方か。

 果たして、一番気配が濃いその場所に、たった今、俺たちは到着した。

 そこはとある一軒家、建て売りっぽい、まだわりと新築の家だった。家の前の駐車スペースには家族向けの黒の六人乗りワゴン車が停められていた。

 何故か、その全てのドアが、開け放たれている。今まさに持ち主と家族が乗り降りしていますよ、って感じにも思えるが、車と家の間に人の気配はない。もう夜なのに、家の中には全く電気がついていないようで、どの部屋の窓も真っ暗だ。

「あ……あ……」

 微かな人の呼び声が聞こえた、と思った。声のする、車の中を、俺はそっと覗き込む。

 目が、合った。ひとりの女の人が、ワゴン車のちょうど真ん中部分に寝そべっていた。が、そのままびくびくと痙攣を繰り返した直後、あっさりとこと切れた。

 妊婦さんの姿に目を奪われているのを隙だとでも認識したのか、一匹、ふっと俺に向かって飛んできた。その虫を跳ね除ける形で落とすと、バチリと弾ける音がして光が出る。夜にあまり目立つ光は出したくないわけだが、子虫が一匹、しかも鉄の檻のような車内でのことなので大丈夫だろう。

「おい……腹、見ろ」

 俺はシュレと片山を呼び、腹部を目線で示す。離れていたひとりと一匹もすぐに来て、俺と同じように車を覗き込んだ。

 きっと妊婦さん、だったんだと思う。ただ、その人の腹部は服ごと、ぽっかりと失われていた。そしてまだ生まれたばかりの幼少期の虫が、びっちりと大量に、何百という勢いで詰まって、そこに蠢いている。時々ほわりほわりと、その辺りが青白く光っているせいで、もう外は比較的暗くなった時間帯なのに、よくそれが見えた。何の光かというと、生まれたばかりのチビ虫のくせに何とかその人の体を食おうと苦心している状態だからこそ、発生している光だ。

『少し前に孵化したばかり、だな。半分以上は逃げたようだが。残っているのは、母体まで食いつくそうとしている虫か』

「食い尽くした方が食わないより一歩、より成熟期に近づいた状態でスタートできるからな」

 まるで毛布をかけるように、シュレが大きな網バリアーで妊婦さんを包み込む。そうして、そこにいた全ての虫だけを漉し取るようにしてそっくり捕まえた。

『サンプルは、どうする?』
「二十匹くらい取っておいて、あとは処分で」

 変異したのなら、その特徴を調べたい。第二世代と一体何がどれだけ変わったのか。俺たちの攻撃が全く通じないほどの大きな変異を、しているかどうか。

 今ぱっと見で分かるのは、羽があること、だろうか。何匹か妊婦さんの周囲を飛んでいたところを見たが、機動性が上がっている気がする。宇宙の真空から、地球の大気をより捕らえやすく。そういう変化をした可能性がある。

 地球の虫で言うと……蜂、みたいな形だろうか。もちろん透け感と足が十対もあるのはそのままなので地球上の蜂とは全く違うわけだが、何となくフォルムがそんな感じに見えた。

 赤みも、第二世代より第三世代の方がさらに増している気がする。その体がというより、羽の部分がより濃い、血の赤じみた構造色に近づいている。

 このワゴン車から察するに、きっと五人か六人家族だったんだろう。空のベビーカーが一メートルほど離れたところに転がっていて、そういうものが必要な年頃の幼児と、妊婦さんとその夫。あと二・三人は、もう少し育った子供か、祖父祖母か、親戚か、はたまた友人か。その詳細は今後マスコミが調べてやがて公表されるのかもしれないが。

「幼児も……いないな」

 手で触ると指紋がバッチリ残ってしまうので、俺は素粒子体の方で毛布をめくって確かめてみる。児童向け雑誌のキャライラストが可愛らしく描いてある毛布だけが、ベビーカーの座面に引っかかる感じで残っていたから。

「いくら何でも、妊婦さんが、たったひとりでベビーカーとこの荷物を運ぶわけないよな」

 車の後部座席には買い物してきたであろうものが置いてあった。大人か、大人相当の子供が複数人いたであろう証だ。

『同行者は全員が食われてるだろうな』
「……また、間に合わなかったのか」

 それまでずっと俺とシュレの会話を黙って聞いていた片山が、とてもシュンとした声で呟く。まさかパトロールを始めた初日でこれか、というのが、先ほども飯を食いながら気合いを入れていた分、いささかショックだったようだ。

「この辺りの虫は全部消すぞ。早めに」

 俺は宥めるやり方で肩をポンと叩いた。戦力として、地の底まで落ち込むのは、本日の業務の後でお願いしたいからだ。

「ああ」

 俺たちは現場の周辺を探し、いくらかの逃亡分をしらみつぶしに消していく。たまに襲ってくるチビ羽虫を落としつつ。

 そうして、シュレの声で警察に通報もした。絶対に分析できないアシがつかない声で、あえての公衆電話から。もちろん指紋も絶対に残さない。

 やがてサイレン音が響き渡り、騒然としてくる。そのざわめきを尻目に、俺たちは虫を潰しながら、ゆるりと離れた。

 今回も現場は閑静な住宅地。学校や幼稚園・保育園などの教育関係の施設も多いこの落ち着いた街に、一体何が起こっているのか――。

 などなど、次の日の報道はまたこの話題ばかりで、あれで終わりじゃなかったのか、という恐怖に街は支配されていく。

「通報がさ、公衆電話から、まるでボイスチェンジャー使ったような声だった、って。男になったり女になったり、老人かと思ったら子供みたいな声だったり、って」
「ええ?だったらそいつが真犯人なんじゃない?めっちゃ怪しいよね」
「前回の犯行もそいつの仕業だったりして?」

 想定通り、またしても世間様は好き勝手に大騒ぎになっていた。今度はあの一軒家近辺がマスコミだらけらしい。

 やはり現場はわが校の通学路の途中のため、「もう二学期が始まるというのに、夏休みを挟めば世間も事件を忘れてくれるはずだったのに」などと、一件目に引き続いて学校関係者はみんなピリついているようだ。

 ……などと、山瀬や松岡が、たまたま四人で山瀬の家に溜まる(というか、俺がやった宿題をちょっとずつ間違えながら写すという)タイミングに合わせて、どこからかそういう新情報を仕入れてきていた。光属性だけあって、夏休み中でもスマホと対面のみでそれなりの情報を集められるほどに、コイツらはそれぞれ顔が広いのだ。

 このパターンだと次は一週間か二週間か、そのぐらいのタイミングで、また成熟期が「来る」に違いない。学校が再開するタイミングと見事に被ってしまう。

 シュレの指摘によると、地球の餌が豊富だからか、宇宙にいた時よりも成熟期までのスパンがずっと短くなってしまったようだ。しっかりと事前の準備が必要だ。早いところ、逃げた虫の行方を追わなければ……そう、夏休みのうちに……。

 結果的に、みずきちゃんと先に宿題を終わらせていたのは大助かりだった。おかげで結構ガチな虫探しができた。

 そして先の約束通り、塾帰りのみずきちゃんと誘い合わせて電車に乗り少し遠くの海に行って、ふたりで波打ち際を裸足でちゃぷちゃぷすることもできた。思ったより波に勢いがあって、スカートの裾が濡れそうとか言いながらもニコニコして高めの声ではしゃいじゃってるのが、本当に可愛かった。

 そんなふうに、高校三年の俺の夏休みは、ある意味とんでもなく充実して終わっていった。

 毎日の蝉しぐれの騒々しさは変わらず、九月になってもきつめの残暑。しばらくは厳しい夏日が続いていくようだ、と天気の一カ月予報は伝えている。だが、それでもここ最近は少しずつ鳴き声の中にツクツクボウシの割合が増えてきていて、蝉たちはゆるりと真夏の終わりを知らせていた。



[つづく]

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