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シュレディンガーはたぶん猫。[第19話]

第19話

 

 

 何とか期末試験も終わり、ギリギリ成績はキープしたものの、やっぱり二学期からは塾に通う可能性が大きく出てきてしまった。テストの結果や通信簿を一通り見た後の母さんの目が、ちょっと怖かったぜ……。本格的に通うとなると、どの塾を選ぶかなど、詳細を検討しなければならない。お金もかかることだし、数日うちの夜中に開催されるであろう父さんとの夫婦会議次第、という雰囲気だった。

 本日は夏休みに突入するその初日、土曜日。

 俺は午前中塾だった岡田さんと昼以降の時間を一緒に過ごすためにと、ここ、県立図書館のロビーで待ち合わせているところだ。塾と図書館がわりと近い距離感なので、合流するのにちょうどいいのだ。クーラーもガンガンに効いていることだしな。事前に「ここにいるね」と岡田さんにも伝えておいたので、一応受験生っぽく早めに来て、さっきまでは自習室で宿題なぞしながら時間を潰していた。

 しばらくすると待ち合わせ時間が近づいたので、ロビーに向かって移動する。その途中の掲示板にある、あるポスターがふと視界に入ってきた。

 それはこの県内最大規模の、夏まつりの宣伝のポスターだった。毎年八月の上旬に開催されるのだが、今年はちょうど来週の日曜日で、花火も打ち上げられる予定らしい。

 俺は岡田さんと行くの、いいかもしれない……と想像してみて「いいな、楽しそうだな」とソワソワしてしまった。

 誘ってみようかな。向こうは当然のように塾の夏期講習がある予定かもしれないけど、それでも時間を合わせて、並んで花火見るくらい、できたなら……。

 後で予定聞いてみよう、と心に決めて、ちょうど空いていたソファーに座る。もう宿題は見たくなかったので、俺はかわりについさっき借りてみた本を眺めることにした。

 これはシュレや虫や変異のことを調べるうちに、知ってないと何も分からないからと、必要性に迫られて借りることにした「素粒子について」の本だ。

 今回たまたま待ち合わせとしてここに来たので、もののついでに目についたものを一冊借りてみた。賢い人間ではないので、ガチの専門書は全く役立てられない。なので、初歩の初歩のものを何とか探した。中身がいい感じだったら、自力でも同じものを探して買うかもしれない。

 しばらく目次なんかを眺めて、やっぱよく分からんわ、難しいな……とか考えていると、岡田さんがやってきた。ちょうど待ち合わせ時間の、ぴったり五分前だった。

 呼ばれて、顔を上げた俺の目に映ったのは、いつもの見慣れた制服姿の岡田さんじゃなかった。半袖や裾の部分がふわっと柔らかそうに風になびく素材の、軽やかワンピース姿だった。青みのグレーの色に小花柄が入っていて、とても夏らしい。似合ってる。俺と会うからと意識しておしゃれしてくれたんだろうか。心なしか唇もつやつやピンク色に仕上がっていて、文句なしに可愛い。

「ごめんなさい、待たせちゃって――あれ、宮本くん、素粒子?に興味があるの……?」

 お詫びの言葉から始まったが、岡田さんは俺の手の本の題名に気が付いて不思議そうにする。俺と素粒子、意外な組み合わせだというのは、自分でもそう感じる。

「あ、うん。宿題してたから大丈夫だよ。素粒子はね、最近少しね。俺は文系脳だし内容も難しいから、量子力学?なんて全然わかんないんだけど、でもちょっと気になったから」

 くっついている栞紐を軽く引っ張って挟み、パタンと本を閉じた。そのままゴソゴソとバッグに入れていたのだが、目を上げると、岡田さんは少しびっくりした顔で俺を見ていた。

「したいこと自分で探してお勉強する、ってすごいと思う」
「すごい?」
「うん」

 そうかな?と訊き返すと、思ったよりもだいぶ大きな肯定の頷きが返ってきた。本当に真剣に私はそう思っているんだよ、って伝えてくる、とても強い眼差しだった。

「宮本くんは、すごいよ。そういうところ、すごくかっこいいって、思……っ」

 ところが、こう続けるうちに、その目線がふにゃっと弱まっていく。静かなロビーに思ったより響いてしまった自分の声を聴いているうちに、段々と正気に戻って、恥ずかしくなってきてしまったらしい。

「えっと……あの、自慢の彼氏さん、です……」

 赤面して口元を手で押さえて、最後は小声で締めくくる。

 ええ……何それ、かっわい……。そんなの、岡田さんこそが、俺の自慢の彼女過ぎるだろうよ……。

 俺の方こそ、本気でそう言いたくなった。しかし、俺もガチで照れてきてしまって、ひとまずここでは「うん」とか「はい」とか小声で曖昧に答えることしかできず、しばらく赤くなった顔を隠すようにして俯いているしかなかった。

 そうやって照れ合っていた俺たちだが、やがて連れ立って図書館の外に出る。ジリジリと照り付ける太陽が皮膚を焼く感触がしていたが、それでも手を繋いで、俺たちは歩く。街のどこを歩いていても激しく蝉は鳴いていた。

 ファミレスでご飯を食べてから、さて、次はどうしようかと考える。無計画に外をうろつくのはさすがに暑いし、などと考えていた俺の袖口を、ふいに岡田さんが軽く引っ張った。

「あの、ね。今日、うちの親、いないの。法事があるからって、田舎に帰ってて……。お姉ちゃんも、彼氏と出かけてるの。だから、帰りが遅くなるって、言ってて、だから……」

 先ほどと勝らずとも劣らずの赤面顔で、提案された。

 突然のことで、思わず息が詰まりそうになる。それはおそらく岡田さんからの「そういうお誘い」なのだと察して。

 そしてそこまで場を整えられた以上、「乗らない」という選択肢は俺にはなかった。可愛いお洋服あたりもそのルートを作るための必死の布石だったのかもしれない、と思うと、決して無下にはできない。

 確かに宣言通り、家族が揃っていそうな土曜の昼だというのに、ご両親もお姉さんも岡田家にはいなかった。シンとした玄関で靴を脱いで、自然とどちらからともなく黙る。この手を引かれるままに奥の一室に直行することになった。

 岡田さんの部屋は整理整頓されていて、その性格と好みがしっかり出た感じの、ごく女の子らしい一室だった。壁際の棚には「マジカルアニマル」に出てくる動物モチーフのお人形たちが数体、几帳面かつ大切そうに並べられている。

 部屋まで来た岡田さんは棒立ちになっていて。たぶん、この後はどうしたらいいのかと、自分でも困惑しているんだと分かった。だから、俺はそっと抱き寄せる。

 岡田さんは全く抵抗しなかった。何も声は発しなかったけれど、そろりと俺の背中に両腕が回ってきたので、「このまま先に進めてもいい」という了承を得たものと、俺は認識する。

 つやつやピンクの唇に右手を伸ばして、親指でそっと触れてみた。柔らかい。ふる、と全身が震えているのが伝わってくる。近距離で見た目元はじわじわと潤んでいた。

 触れるだけのキスをして、一度離れるそぶりをすると、引き留めるようにシャツの裾を握るので、今度は深めに触れる。

 今回、初めてちゃんとした。岡田さんみたいなこんな華奢な女の子に俺がそんなことをしても大丈夫なのか、心配になって、自分からは全く手を出せずにいた。だから、焦らすというと少し違うかもしれないけど、すごく岡田さん側に、先に勇気を出させる展開になってしまったのかもしれない。

 だったらちゃんとその想いに応えないと、と俺は強めに意識する。こんな俺をここまで好いてくれる子なんだから。

 ああでも。この子は何にも知らないんだよな……。虫のことも。俺の変異のことも。俺が片山としていることも。

 そして、俺の本性も。

 何もかも、知られたらいけない。終わりだ。そして、暴力だけは絶対ダメだ。ものすごく丁寧にことを運ばなければならない、と心がける。

 けれど、俺はつい、試すかのように岡田さんの素粒子体を探ってしまう。自然と「その感覚」を求めてしまって。

「ひゃう……っ!?」

 途端、岡田さんの全身がびくびくと震えるのを、俺も触れ合った全ての場所から、体全体で悟る。



[つづく]

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