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シュレディンガーはたぶん猫。[第16話]

第16話

 そんなふうに、今日は歩きながらずっと楽しく話していたため、体感的にはあっという間に塾の前に辿り着いてしまった。離れがたい気持ちはあったものの、俺も岡田さんも、各自の予定を決めた通りにこなすことにする。

 じゃあまた明日ね、とお互い手を振り合って。塾の入口に吸い込まれるように消えていく岡田さんの背中を見送ってから、すぐに俺は回れ右をした。

 ――さて、調査だ。

 いつの間にか、片山から例の事件の現場に調査に行くとスマホに連絡が来ていた。無事シュレを回収できたようだ。なので、合流するために俺も自然とそっちに向かう。

 現場のマンション付近は一見何事もなさそうな夕方の光景で、しかし人通りは事件発覚前よりも気持ち少なめかもしれない。何だかんだみんな怖いんだろう、足早になっている人も多かった。完全に暗くなる前にこの辺りは通り過ぎておきたい、なんて思われてそうだ。

 夕焼けの強いオレンジ色が目に痛い。目を細めながらその辺りで片山たちの姿を探していると、マンションの正面玄関側の比較的大きな道の方ではなく、ベランダ側の方に面した細い道の途中に、遠く、それっぽい影が目に入ってきた。

 なんだ。あいつら、裏道にいたのか。

 気付いて小走りで近づこうとしたが、俺に気付いたらしいあちらの片山が、何か叫んでいる。が、声は聞こえない。

「え、なに――」

 キィィーン、とまるで耳鳴りのような、こすれ合う金属音のような、異様かつ不快な音がしていた。その音が、辺りの全ての音を掻き消している、と感じる。それはまるで、シュレが捕獲機に仕込む、謎の振動音に似ている。地球の生き物の声帯から出たものでは決してない、それ。

 これはな、ラ・ルエガの仲間を呼ぶ時特有の振動音を再現したものでな……。

 いつだったか、捕獲機の試作品について考えていた時にシュレがそう語っていたことが、ふと思い起こされる。

 つまり。
 いるんだ。そこに。

 俺の目の前、鼻先に、いつの間にか、その虫がいた。

 でか、い。軽く十センチメートル近い大きさがある。始祖の虫の、ちょうど倍くらいの体長。思わず「俺の目、縮尺間違えたのか?」なんてバカなことを思ってしまった。

 そして、始祖より赤い。確かに、噂通りだ。夕焼けの色に馴染んで透けた輪郭がキラキラして、一部消えて見える。

 よく見えない、もっと……。俺はもう少ししっかりと観察したいと願う。そうして、虫にそっと手を伸ばす。

 途端、パシリと青い閃光が指先に見えた。青い――まるで虫が素粒子を食う時に出る、あの光みたいな色が。

「危ねぇ!!」

 突然、聞こえてきた片山の声と共に視界は遮られた。網状に見える何かが視界を覆う。何だこれ、と疑問に思っているうちに襟首を掴まれて強く引っ張られる。そうと認識した瞬間、アスファルトに投げ出されて背中を強打した。その腹の上に、片山の巨体がドッと降ってきた。

「うぎっ、な、てめっ、」

 滅茶苦茶痛い、苦しい。当然のこととして文句を連ねようとした俺だが、上にいる片山の尋常じゃない震えに気が付く。

「よ、良かった……間に合った、今回は……」

 切れ切れに吐き出した声も、俺の耳元で震えている。

 乱暴かつ重くのしかかるようなこれは、全て俺を庇うための体勢だったのだと、ようやく気付いた。もしもの場合に身代わりになるような形で庇われたのだ。

 そして今、まるで虫網のように俺と片山、それからその向こう側の虫との間を隔離しているもの。全く初見の謎のカーテン、蚊帳状のそれは、おそらく、安全面を考えてシュレが開発したという、あの虫と人間を妨げるバリヤーみたいなやつに違いない。実物が展開されたのは、これが初めてだった。

「まさか……俺、今、虫に殺られそうだったのか……?」

 ふたつの状況を脳内で組み合わせて、ようやく俺の脳内でも正確な状況が理解された。そうだ、でも何とか今度は助けられた、と示すように片山が腕にぐっと力を込めてくる。

『その通りだ。我々は既に、敵として完全にマークされている。仲間を呼ぶ警戒音が鳴っていただろう?』

 シュレもぬるりと俺の横に降り立つ。あのおかしな音こそが、接敵を仲間に知らせる警戒音だったのだ。

 ぐにょり、とシュレの力で虫網が引かれる。それはまるで魚を獲る漁師さんの網のようにも見える。やがて網は立方体の形へと変化していった。当の虫が大きくなった分、虫かごも少し大きめになったようだ。

 中空に浮かぶ虫入り立方体。グレー色を帯びたガラスのように見えるそれが、夕日の赤とオレンジに染まって光り輝いている。中に存在しているはずの虫は、今は俺の目には全く見えない。認識できない。どうやら、この種最大の特徴とも言えるステルス性がいかんなく発揮されているらしい。

『ミヤモト、カタヤマ。我々も方針を大きく変更する必要が出てきたかもしれないぞ。こいつら、地球上の素粒子を食い続けたことで、宇宙にいた頃とは大きく特性が変異したらしい。よりこの星に対応した形に性質が変わった、ってことだ』

 心底残念だ、という口調でシュレは語った。俺も「今までとは違ってきた」という現実を、肌感覚として理解した。

 そして俺たちはシュレの講義のような解説を聴く。

 そもそも山瀬から詳しく聞いた元々の虫の噂が「現場近くで手のひらサイズくらいの変な赤い虫が大量発生していたらしい、妊婦さん発見時に管理人が警察とドアの鍵を開けて踏み込んだら、外に飛び去って行った」というやつだった。

 そして俺が岡田さんといる間にシュレと片山が現場付近に設置していた捕獲機を調べてみたところ、実際に「それらしい虫」が捕まえられていた、ということだった。捕獲機に入ってきた虫が、これまでの始祖に近いものとは大きく違っている、そして始祖と同じ形の虫は今のところ一匹も捕まっていない、という紛れもない事実。つまり「完全に丸っと次世代に入れ替わった」ということがこれで示されたらしい。

 そしてそこまで判明したタイミングで、俺が実際に虫、それも新世代のものに襲われた、ということだった。

 第二世代の特徴は、その大きさと、始祖とは異なる少し赤みを帯びた体。構造色で透けているという、その透明性自体は変わらないのだが、どこか血の色を思わせる赤みがある。

『宇宙を漂っている時にはあまり周辺に餌がないから、よりコンパクトな形だった。しかし地球には比べ物にならないほどの豊富な餌があるし、このサイズの方が天敵たる我々を攻撃しやすい、という理に適った進化だろうな』

 虫側も有効な策をしっかり練った上で、自らの天敵を排除しようという強い意思を持って襲ってきている、ということのようだ。たまたま俺たちがそこにいたから、とかでなく。

「宮本。俺はこのクソ虫を殺したい。変異率を上げてでも」

 黙って聞いていたはずの片山が、意思を完全に固めた声色で伝えてくる。

 奴は俺を助けて以降、背後から俺を羽交い絞めにする形のままずっとぴったりと離れずにいた。少しでも離れたらその隙に虫がやってきて俺が消されてしまう、とでも考えてしまっているようだった。そのため、こっちはまるで「怖い夢を見た直後に親に取りすがって泣く子供」でも見ているような気分になってしまった。ギリギリ泣いてはいなかったが。なので、正直重いしクソでけぇガキ過ぎてうっとおしいな?と思いつつも、整うまではとそのまま放置していた。ようやく少し恐怖から回復できたらしい。

「お前は?どうする?」

 口調は「俺はもう決めたんだぞ、例えお前に反対されたとしても、ひとりででもやるんだからな」と強気に言いたげだった。そして実際にそうするんだろう。しかし、決して背中から離れていくことはなかったので、言外で強めに助力を求められていることは確実だった。

「俺は最初から、虫のこともっと調べる、つってただろ」

 しょうがねぇよな、と俺も覚悟を決めることにする。どの道、このままだと無策にただ殺されて消されるばかりなのだ。

「じゃあ、いいんだな?」

 その問いは、変異が進むことも含めての確認だと、すぐに分かった。リスクはあるとしても、対策を怠る気もない。

「ああ。シュレ、頼んだ」

 俺らは揃って傍らのシュレに視線を移し、促す。顔がないシュレの感情は、やはり人間の俺たちにはよく分からない。

『……後戻りはできんぞ?』

 けれど、しぶしぶ、といったその響きに、人間たちへのいくらかの心配の色や仲間意識らしきものを感じる。そうでなければ、俺たちも絶対に謎のシュレディンガー的存在なんかに、こんなわけがわからない交渉なんてしなかっただろう。

「片山は、ミサワの復讐したいんだろう?」

 俺の質問に、背後からは確かな肯定が返ってきた。仲間の無念を晴らしたい、ってやつなんだろう。片山とミサワが一体どういう友情を育んでいたかは預かり知らんけども、それなりにそこに義理や信頼はあったに違いない。

 俺にはそこまで片山みたいな「人を守りたい」とか「守れなくてつらい」みたいな他人への執着めいたものはない。俺よりも片山の方がよっぽど、「人間」という種族のことをちゃんと好きで好かれたいと求めてるんだな、って思う。

 イメージが悪いヤンキーな片山の方がだいぶ「善人」だと感じる。俺はひとりだったら「そういう他人を守るための行為」からは大きく逃げたと思う。片山がやるなら、まぁ助けるくらいはするけど?と今は考えられているが。

 そしてそのわりに、俺は完全な「悪人」って方向にも振り切れない。このままシュレと片山だけに全てを任せてひとりでとっとと逃げる、っていうのも、できそうにない。

「俺は、奉仕とか正義とかは、興味ねぇんだけどさ。さすがにこの状況で何もしないで完全スルーしていられるほど、太ぇタマでもないんだわ。あと、『知りたい』からな。やるよ」

 結局、「知りたい」だけの気持ちで俺は状況に踏み込もうとしている。この世の気になった全部何もかもを、コントロール可能な範囲での全てを、「知りたい」。そしてきっとそれは大なり小なり、「いずれは知るべきこと」でもある……。

 俺はまだ、この世の何にも知らないから。

 この先の展開も。
 あの虫の生態の全ても。
 自分以外の人間たちやシュレのことも。
 自分のことも。



[つづく]

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