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消費とロードサイドビジネス-東京郊外共働き家族の週末-

国道20号線沿い、家から車で5分足らずの場所に食品スーパー、電化製品、CDやビデオのレンタル屋、本屋、ジー◯ズショップ、シューズショップ、ファミリーレストランなどが集合しているエリアがあった。当時はまだ個人経営の店も多く、ホームセンターの前衛のようなショップもあり、そこへ行けば何でも揃った。

共働きのうちでは、毎週末、一週間分の食材をまとめて買い出しに行くのが父の役割だった。兄とわたしとも必ず車に乗り込み、食料を袋に入れたり運んだり、作業を手分けして効率化を測った。食べていくために畑仕事に駆り出される農家の子どもたちは、うちの場合、こうなった。

祖母が骨折して骨粗鬆症とわかってからは、我が家も「牛乳でカルシウム摂取」の迷信は信じ込まれた。飲めよ育てよと家の中でもよく耳にした。
幸いわたしは学校の給食の牛乳も地獄だったので、家で牛乳を飲む習慣はなかったが、育ち盛りの兄がいたために牛乳の消費量は尋常じゃなかった。一回の牛乳パック購入本数は1ℓ×24本(!)で、カート1台は牛乳用だった。
その牛乳専用カートの上にはヤ◯ザキパンが乗せられた。
母が夜勤明けの朝食は自分でたちで済ませなければならなかったので、トーストするか、ランチパッ◯だった。わたしたち兄弟はランチパッ◯で育ったと言っても過言ではないだろう。そういえば、セ◯ンイレ◯ンのブリ◯ーもよくあった。ハム&チーズがお気に入りだった。あと、ケ◯ッグも。チョ◯クリスピー派だった。そうか、ミ◯とケ◯ッグがわたしが牛乳を飲めるようになったきっかけだったのか。確かにわたしは小学校を卒業するまでには給食の牛乳は残さず、しかも美味しく飲めるようになっていた。人は慣れる。

レジ打ちが終わった大量の食材を袋に詰めてからカートに積み戻し、車に運んだ。食材が動いて倒れないようにトランクにきっちり並べ置くのは父の役割だった。

私たちが積極的に買い物の手伝いをするにはもちろん訳があった。
”心踊るその何か”を買ってもらうために少ない時間の中で店の中から厳選した1つを探し出すスキルはすぐに習得したようだった。いつも厳く怖い父も「買ってあげるとき」はなんだか嬉しそうに見えた。

消費は間違いなくわたしたちの楽しみだった。
代わりになるものを、わたしたちは買い与えてもらっていた。
何を買えばいいかは、雑誌や広告が教えてくれた。
次から次へ。ゴールのない無限ループ。
わたしたちは忙しかった。

両親はそのために忙しく働いていた。

「無駄遣いばかりして」またお母さんは言う。

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