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「家族写真」からはじめる「家族」の話

昭和に生まれ、平成に思春期を過ごしました岩沢兄弟・弟のたかしです。今回は、写真家にお願いして実家で家族写真を撮った時のお話。

「岩沢兄弟」は仲良し?

兄弟で一緒に仕事をしていると「仲の良い兄弟ですねー」などと言われることも多いです。「岩沢兄弟」なんて名乗って活動しているから不仲ではないです。

「遺産を巡る骨肉の争い!」なんてものがあるわけでもなく、記憶にある争いといえば、兄が録画して楽しみにしていた映画「ヒンデンブルグ」のビデオテープに、ひょうきん族を上書き録画して、怒られたという程度です。
(前日に「世紀のニュース映像」みたいな番組でヒンデンブルグ号の事件映像を見た弟。「テープの中に怖い映像がある!」と、楽しい映像を録画で塗り替えてしまいました。改めましてスミマセン)

と、まぁ小さなケンカは子どもの頃から繰り返しつつも仕事を続けてきましたが、休日どこかへ遊びに行ったりするほど仲が良いわけでもありません。

それぞれ、メインとする分野(兄は空間、弟は映像)が異なることもあり「仕事以外のことは話さない」ことで、良い距離感を保ちつつ活動して来ました。

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△「岩沢兄弟」近影。写真右から兄・ひとし、たかし。[撮影:ただ(ゆかい)]

そろそろ家族のことを考えよう

そんな我々も気づけば、兄弟ともに家族が出来、子どもも産まれたことで、なんとなしに「家族」とか「家庭」について互いに考えるようになりました。

そして、弟である私が千葉にある実家にて親と同居をすることになりまして、祖母の介護や、将来的な両親の面倒を誰が見るんだなんて、生活に根ざした会話をしはじめたわけです。

とはいえ、決して堅実路線というわけでもなく、「面白い!」「楽しい!」を重視して生活して来ましたから、いきなり「堅実で計画的な生活」を思い浮かべるのも難しいわけです。

特段仲が悪いわけではないが、「素晴らしい家族か?」と問われると、答えに窮する。細かな問題は抱えつつ、話し合いをするわけでもなく、20年くらい、実家や家族と向き合った(ふりをするのは)、お正月程度。

そんな、きっとよくある家庭環境の中で、育って来た我々が、「地域」や「コミュニティ」に関係する仕事をするようになり、自分たち「家族」のことも向き合わないと行けないと思ったわけです。

で、家族の空間には20年見て見ぬ振りをしてきた、澱みたいなものがあって、空間デザインの方法論を使って、解消していこうという活動を現在やっています。

それについては、また別の機会にお話するとして、まずは、いまの姿を残してみようということで、冒頭の「家族写真の撮影」へと繋がります。

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△実家の階段に4世代が集合。[撮影:ただ(ゆかい)]

「家族写真」からはじめてみる

家族の話を家族だけでしていても、変化は起きないし、行動のきっかけをつくるのすらたいへん。家まで写真家に来てもらって撮影をすることで、そこから、これからの話をしてみようじゃないか、というわけです。

家族写真の撮影は、ルミネのディスプレイ写真も手がけた、写真家チーム「ゆかい」のただくんにお願いしました。

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△家族集合写真の準備をしているところ

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△家族写真に合わせて兄弟ふたりのポートレート撮影も。

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△とにかく非日常が家庭に入ってくるのはワクワクします。実家前にて。[撮影:ただ(ゆかい)]

第三者の視点も大事

仕上がった写真を見てみると、「なんて素敵で幸せそうな家族なんだ!」と、家に横たわる課題を忘れそうになります。90代の祖母は、大腿骨骨折x認知症。その祖母を母が老老介護中。無趣味な父は、テレビが友達。

でも、もちろんそれも一側面というだけで、楽しい時間と窮屈な時間が、そこにあるという話なんです。

そんな、写真に写っていないようにみえる問題については、また改めて語る機会を持ちたいと思います

とはいえ、プロに頼んで家族写真撮るのはオススメですよ!

家族のことを語るのに、家族以外の人の視点が入ったものからスタートできることは大事ですし、写真家がどこを切り取ろうとしているかの対話も、のちのちきっと役立つはず。

これは、家庭だけでなく職場や店舗、地域のコミュニティづくりでも関係してくること。第三者の意見や視点は大事って気づいているけど、どこから始めていいかわからない、そんなときには写真家を自分たちのスペースに呼んでみることから始めるのも良いかもしれませんよ。

(いわさわたかし/岩沢兄弟


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