見出し画像

【寄稿】黒田公美|『子ども虐待を防ぐ養育者支援』刊行にあたって

 2022年12月に、黒田公美=編著『子ども虐待を防ぐ養育者支援——脳科学,臨床から社会制度まで』が発売されました。

 本書は、子ども虐待を防ぐために、その根本原因である養育者への理解と支援に的を絞り、子育てと攻撃性の脳科学、保育園や学校での調査、国内外での児童福祉現場の取り組みと、それを支える行政や法制度について、多様な視点から調査研究と考察を行い、その結果をまとめたものです。

「親子の関係を脳科学で解明し、社会支援に役立てたい」
 そう語る、脳科学理化学研究所脳神経科学研究センターの黒田公美先生による初の編著書になります。ぜひ、お読みください!

※本記事は『学術通信 No.128』(2023年2月予定)掲載の内容を転載したものです。

『子ども虐待を防ぐ養育者支援』刊行にあたって

 子ども虐待死亡のニュースを聞くと、こころの底から冷たくなるような、本能的な怖さを感じてしまう人もいるだろう。筆者もその一人である。誰でも生まれた時は無力な赤ん坊であり、だれかに命を依存していたのだから、他人事ではない。そのためか、子どもの問題となれば手弁当で奔走される方も多い。また一方で、このような感情から、親を糾弾する声や、「どんな状況でも子どもを育てる覚悟のある人だけが親になるべきだ」といった意見も聞かれることがある。

 しかし筆者が専門とする動物の世界では、親の子育てと子の成長は「当たり前に、自然にできる」ような簡単なものではない。動物の中でも、哺乳類はすべての種で生まれた子を育てるが、子育ては労働と犠牲を伴う大事業であり、子どもにとって必要な世話を最後までし続けることは容易ではない。野生では子育てを途中で諦めざるをえないことも多い。もちろん現代の人間社会はそのような選択を容認せず、どんな状況でも子どもを守るべく、社会システムを進化させてきた。しかし一人ひとりのレベルでは依然、子どもを育てられなくなってしまうこともおこるだろう。
 子ども虐待問題の根本は子どもではなく、養育者や世帯にある。なぜ不適切養育が起こるのかを考えるためには、そもそもなぜ、どのようにして哺乳類の親は、子育てをするのかを明らかにする必要がある。それがわかってはじめて、親が子どもを育てられなくなる状況の背後には何があるのかを理解することができるのではないか。このような問題意識から、一介の動物の基礎科学研究者である私が現代社会の子育ての研究に関わるようになった。
 親(養育者)は人間という哺乳動物であり、その行動は遺伝子や脳の影響を受ける。同時に養育者は子や家族との関係、職場、地域、社会の中で成長しつつ生きる社会内存在であり、考え方や行動はその時代、その文化、風潮や経済的状況や法制度の影響を大きく受けている。これらの幅広い要因は相互に作用しあい、行動とその結果に影響を及ぼす。この全体像を理解するためには、生物学と社会科学の研究者それぞれではどうしても見落とす部分ができてしまい、両者の協働が必須であろう。そこで、家族や子ども虐待に関わる社会学や経済学、法学などの社会科学系研究者の協力を依頼し、共同で科学技術振興機構の予算を申請、ともに考え研究を行う機会をいただいた。その成果をまとめた本が、昨年12月についに完成し出版された。それが表題の子ども虐待を防ぐ養育者支援である。

 本書は動物の子育てと攻撃性の脳科学にはじまり、保育園や学校などさまざまなライフステージにおける調査や、国内外の児童福祉の制度と実践、それを支える法制度という、多様な調査研究と考察を掲載している。よくいえば壮大なプロジェクト、悪く言えばまとまりがないようであるが、一貫して「養育者の理解と支援」に的を絞っているため、このテーマに興味を持たれる方には何らかのお役に立てる可能性がある。
 本書に掲載した子育ての不調や子育て世帯のストレスの背景要因調査では、生育歴から子育て当時の世帯状況、貧困、そして支援のための公的制度に至るまで、多岐にわたる要因の影響を検討した。対象とした集団も、一般子育て世帯から、国内最重度の虐待事例にまで多岐にわたる。その中で浮かび上がってきた最重要要因は、広義の「孤立子育て(子育てを手伝ってくれる人がいない状況)」であった。孤立子育ては、一般小中学生世帯調査において母親のうつ傾向に、夜間保育所調査において子どものネグレクトリスクと、最重度の児童虐待刑事事件の調査において群間差に、最重要な要因として見出された。これらの研究では多変量解析によって貧困など他の重要要因
の影響を考慮した上で、孤立子育ての突出した影響の大きさが示唆されたのである。したがって孤立子育てに対する直接的・具体的支援が育児ストレスや親子のかかわりによい効果をもたらすことが期待でき、実際に本書の一部の研究では示唆されている。
 もちろん、貧困は孤立子育てをはじめ他のリスク要因とも分かちがたく結びついており、子育て世帯への貧困対策は養育困難と子どもの貧困に対する対策として有効かつ重要である。しかしそれだけでは十分ではなく、養育者が社会において、また子育てにおいて孤立しないための対人援助が看過されてはならないということが示唆されているのではないだろうか。このためには、支援者を孤立させない厚いバックアップ体制も重要であると考えられる。
 もちろん孤立子育て対策だけで子ども虐待問題が解決するわけでは到底なく、子ども視点をしっかりととりこむ制度構築が大前提である。また養育者視点だけみても、孤立子育てが単独で存在するのではなく、被虐待などの生育歴や、その他の生活困難要因の影響を受け、結果的に孤立子育てに陥っていることが多い。その最終結果としての子育て困難を支援するだけでは、生活全体の立て直しは難しい。このような要因重複の末の子育て困難を防ぐためには、就学前教育、性教育、外国人世帯やひとり親に対する支援など、日本の子育て環境全体を底上げするすそ野の広い1次予防的政策と、特に困難な環境で育つ子ども達が将来親になる際、孤立子育てに陥ることを未然に
防ぐ、妊娠期からの多段階支援が必要である。そして何より、子育て不調に至る背景要因を世帯や養育者個人の特性に帰すのではなく、「社会的決定要因」ととらえる視座が社会全体に広まり理解されることが大切であろう。
 こうして十分な子育て支援、児童虐待対策がいきわたり、すべての子どもが安心して成長できるようになれば、成長後のうつ、ひきこもり、依存症などのメンタルヘルス問題の低減に貢献し、結果として生じる医療費の削減や労働生産性の向上、少子化の緩和にもつながる。さらにいじめや他者への暴力、犯罪なども生育上の逆境体験に大きく影響を受けることが示されており、子どもへの暴力をなくすことは次世代社会の安全に好循環をもたらすと十分期待できる。
 全体として、本書は探索的な異分野融合研究の試みであり、新しい視点を重視した一方、不完全で粗削りな点も多いと思われる。その点には十分注意いただいた上で、本書が今後の研究の進展に何がしかの参考になればと思い、刊行に至った次第である。不十分な点についてはぜひご批判、ご意見をお寄せいただければ幸いである。

黒田公美(くろだ・くみ)
精神神経科学,脳科学理化学研究所脳神経科学研究センター親和性社会行動研究チーム チームリーダー。共同で監修にあたった書に『メンタルヘルス問題のある親の子育てと暮らしへの支援』(福村出版)がある。
2020年末、初の編著書『子ども虐待を防ぐ養育者支援』が小社より刊行された。

☟☟☟下記リンクからご購入いただけます☟☟☟

☟☟☟セミナー開催情報☟☟☟

第44回 SciREXセミナー「子ども虐待を防ぐ養育者支援~生物学・行動科学的エビデンスからの提言~」が2月22日(水)18時30分より開催されます。ぜひ、皆さまご視聴ください。
※すでに終了いたしました。

https://scirex.grips.ac.jp/events/archive/230207_2918.html

目次

はじめに——黒田公美

第1部 子ども虐待防止の科学
 第1章 子ども虐待を防ぐ養育者支援――生物学的・社会的要因の相互作用;黒田公美,落合恵美子,犬塚峰子,阿部正浩
 第2章 子育て行動の進化的基盤と脳内機構――子育てと虐待の生物学的メカニズム;篠塚一貴,白石優子,黒田公美
第2部 深刻な子ども虐待の生物-心理-社会的要因
 第3章 重度の子ども虐待I――受刑中養育者の調査から;白石優子,宮澤絵里,大平加奈,黒田公美
 第4章 重度の子ども虐待Ⅱ――攻撃性の行動神経科学と事例紹介;宮澤絵里,白石優子,篠塚一貴,黒田公美
第3部 ライフサイクルと子育て困難
 第5章 保育所で――養育困難に寄り添うサポートによる虐待リスク低減 ;渡邉多恵子,田中笑子,冨崎悦子,酒井初恵,安梅勅江
 第6章 小中学校で――貧困・ひとり親・外国ルーツ・孤立の影響;
郭雲蔚,姚逸葦,落合恵美子
 第7章 貧困・児童虐待・ネグレクトの相互関係――英国のエビデンスレビュー論文より;ポール・バイウォーターズ他著,倉島 哲翻訳
第4部 海外に学ぶ子ども虐待の養育者支援
第8章 日常的な子育てと養育困難・子ども虐待をつなぐ視点――イギリスに学ぶ家族支援;村田泰子
第9章 フランスの児童保護制度に見る養育者支援とその課題――養育者支援から子どもに焦点を置いた支援へ;徳光直⼦
第10章 児童相談所での養育者支援,アメリカに学ぶ家庭支援――大切にしたい当事者の視点;久保樹里
第5部 日本の養育者支援の制度と実践,現在と未来
第11章 要保護児童対策地域協議会――全国悉皆調査データから読み解く,その機能を高めるための職員配置;田中聡子,宮澤絵里,松宮透髙
第12章 子ども虐待と親権――日本の法制度と虐待対応の現状と課題;水野紀子
第13章 子どもの利益をまもる法のしくみ――ドイツ,フランスから学ぶ養育者への支援と介入のための法制度;久保野恵美子
第14章 養育者支援プログラム――子ども・自分とのつきあい方を学ぶ;白石優子,大平加奈,中村加奈子,宮澤絵里,黒田公美

あとがき——黒田公美

「子ども虐待を防ぐ養育者支援」表紙


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?