見出し画像

病人の治療だけが医者の務めか チャペック『白い病』の問い|藤原辰史

未知の疫病が流行する世界を描く、カレル・チャペック のSF戯曲『白い病』(阿部賢一訳、岩波文庫、2020年9月刊)。自著『分解の哲学』(青土社、2019年6月)の「第3章 人類の臨界――チャペックの未来小説について」でも、この作品を紹介されていた藤原辰史さんに、あらためて本作を読み解いていただきました。(参考:藤原辰史「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」

 『医学概論』の中で、川喜田愛郎はこう述べている。

〔近代医学の常識的な医学像が孕む大きな危険は〕人が病むという事実をいわゆる医学の型紙に合せて裁断し、病人を現代文明の社会が生んだ施設でもある病院の都合に従わせて診療する弊〔……〕を招きやすいという点である。裏返して言えば、病気があって医学が生まれ、病人のために医療がある、という言ってみればあたりまえのことが無視されたとは言わないまでも意識から薄れがちではあるまいか、という懸念がそこにある 。
〔川喜田愛郎『医学概論』ちくま学芸文庫、2012年、18頁。なお、引用文中「事実」には傍点がふってある。〕

 1909年に生まれ1996年に亡くなった川喜田の専門はウイルス学で、医学史の研究でも大きな役割を果たした人物である。『医学概論』には、彼の生きた20世紀の重みが随所に現れていて興味深い。

 上記のような現代医学批判は他の箇所でも見られる。川喜田は『新約聖書』の一節をもじって「はじめに病人があった」と印象的な言葉を記し、「その病んだ人々の手助けこそ医学のアルファでありオメガであることに医学を志す者はいつも思いを潜めなければならないのである」と警鐘を鳴らしている 〔前掲『医学概論』19頁〕。1982年3月に真興交易医書出版部から初版が刊行され、読み継がれているこの本から、農学に関心のある私も多くを学んだ。農学も、医学と同様に応用科学であるからだ。

 医者は、病院という「建物」からでも、病気という「観念」からでもなく、まず、病人という「事実」からものを考えなくてはならない、という川喜田の指摘はあたり前のように見えて重い。新型コロナウイルスの患者を前にみずからの感染のリスクと、医療法の未確立という二重の不安の中で医療行為を敢行してきた世界中の医者や看護師が、あらためて私たちに示したものであった。病人ひとりひとりの症状は多様だった。少なくとも初期段階では確定した治療法がなく、COVID-19という病名で括るには症状の整理がつきにくかった。

 今回のパンデミックでの予測不可能な病床の諸事実が、現代医学の「型紙」に揺さぶりをかけたことは、さまざまな報道で目にした通りである。

 それにしても、医者が病人という事実と向き合うとはどういうことだろうか。

 第一に、病人の中に病気だけを見出し、治療するだけでは医療として不十分であること。新型コロナウイルスの再感染や後遺症の問題が世界中で深刻な問題になっていることとも関係する。医療はどこに終わりの線を引くべきか、という問いに答えるのは実は難しい。医療とは、日頃の身体のメンテナンスの一部に組み込まれているにすぎない。境界は曖昧なのである。

 第二に、病気以外の症状が病人には存在すること。慢性的なもの、急性的なもの、自分で症状と認識されていないもの。それは、当該の大きな病に対して目立たない。けれども、病気とは病人の心理状態、家庭環境、仕事環境、言語行為、政治環境、食べものや着るものと切り離せない。そのような事実をひっくるめながら、おそらく治療とはなされていくものだったはずである。「病院」とは「ここでは病気を治療します」という強い目的性を持った建物ではなく、もっと弱い目的が豊かに交差する場所だった。川喜田もこう述べている。

今日では「病院」と訳して人が怪しまないhospitalが真に病人たちの診療の機関となったのは実は近代的の現象で、元来それは貧民、浮浪者、巡礼者などと一緒に貧窮の病人たちが運びこまれる収容所、宿泊所——hospitalとhostel、hotelとはもともと同根の言葉である——であった 。
〔前掲『医学概論』60頁〕


 ホスピタルとは、貧困者、宗教者、移動者というさまざまな背景をもつ人びとが運び込まれる場所、つまり、「苦しい」や「難しい」や「困った」や「疲れた」などのさまざまな形容詞が寄り合う場所だ、ということである。その複数の「弱い目的」が次第に治療という「強い目的」に包摂され、それ以外は別の専門家のところに移動させられていく時代が、川喜田の言葉を借りれば「近代」であった。

 つまり、病人という「事実」の中で、病気とはその一部を構成するにすぎない、ということではないだろうか。そう思ったのは、作物という事実に農業者が向き合う姿勢と似ているからである。植物体の一部である実を刈り取れば、作物の役目は終わりではない。その残りものは次世代の作物の土壌の肥やしになるし、一部は次世代の種となる。収穫祭で踊って飲んで笑って農作業に区切りをつけることが世界各地の習慣として残っている理由の一つは、もしかすると、自然を相手にする農作業は区切りをつけにくいことなのかもしれない。

 ちょうど近代ヨーロッパのコーヒーハウスが、コーヒーを飲むだけでなく、情報が集まり、ジャーナリズムが生まれ、社会の変革を目指す人間たちの議論の場所でもあったように、日本の銭湯が体を洗うだけでなく、新聞やテレビや近所の人を通じて情報を収集し、交流する場所でもあるように、「病院」もまたもっと輪郭のぼやけたものであり、現在のような治療専門の場所ではなかった。そして、いまも病院がお年寄りたちの談話と気遣いの場所でもあるように、病の治療を販売し、それを購入する場所と言い切るには、あまりにも広い課題を抱えていることは否定できない。

 1890年に生まれ1938年に亡くなったカレル・チャペックの戯曲『白い病』は、「医」が持つ幅広い世界を存分に読者に思い起こさせる。医者が、病気という「観念」ではなく、病人という「事実」を深掘りしていけば、病院の課題は病気の治療に終始しない。これが重大なテーマの一つである。

 身体中にレンズ豆の大きさの白い斑点が広がり、肉が腐り、死に至る「白い病」が蔓延した世界が舞台だ。50歳前後になると確実に感染する感染症である。ある国の政治と軍の経済の指導者たちも、次々に感染していく。しかしついに、その国に住むガレーン博士が特効薬を開発した。この吉報は世界中を駆け巡るはずだった。ところが彼は、貧しい人間にのみその薬を処方し、権力を持つものにはある条件、つまり勃発したばかりの戦争を止めるという条件を世界相手に突きつける。「元帥」と呼ばれる男は、開戦を決断した張本人だが、彼もまた白い病に感染する。娘に自分の命を守るように懇願された彼は、悩んだ末に戦争を中止し、ガレーン博士の治療を選ぶ。ガレーン博士はたった一人で戦争に打ち勝ったのである。が、それも一瞬だった。治療薬を元帥のもとに運ぶ途中で、「戦争万歳!」と叫ぶ大衆に向かって「戦争反対!」と叫んだ彼は、大衆に袋叩きにあって息絶える。白い病の薬の入った瓶も、大衆によって踏み割られてしまうのである。

 チャペック作品特有の荒々しい対立軸が示されている。『R.U.R』の、人間の都合で知性を持ったロボット対人間の戦争、『山椒魚戦争』の、人間の都合で知性を持った山椒魚と人間の戦争のように、『白い病』でも、戦争の死と病気の死という対立軸が全編をつらぬいている。しかも、ここで読者に突きつけられる問いは、チャペックのさまざまなサイエンス・フィクションと同様に根源的だ。第一次世界大戦を彷彿とさせる戦争に従軍したガレーン博士自身が記者に向かって語っている。

鉛の玉やガスで人を殺してもいいとしたら……私たち医者は、何のために人の命を救うのか? 子どもの命を救ったり、骨瘍を治療したりすることが……どんなにたいへんなことか……わかってほしい……にもかかわらず、すぐに戦争だという! 医師として……銃やイペリットガスからも人々を守らなければならない。〔……〕皆さん、ただ医師としての義務があるのです……あらゆる人間の命を救う義務が。そうではないですか? これは医師としての務めなのです、戦争を防ぐことが!
〔カレル・チャペック『白い病』阿部賢一訳、岩波文庫、2020年、68頁〕

 戦争を防ぐことが医者の務めである、というガレーン博士の発言は現代を生きる私たちにとって驚くに値する。今回のパンデミックでも、ワクチン製造企業から「非戦を約束した国にしか配布しない」という声がついぞ聞かれなかったことからも、現代医学からのこの発言の逸脱の度合いがわかる。

 しかし、ガレーン博士の論理は筋が通っていると言えなくもない。医者は人の命を救う仕事だが、にもかかわらず、人の命が戦争や貧困によってあっけなく奪われていることに目をつぶることは、医療の道に反することではないか、という論理である。

 さらにいえば、チャペックより19歳年下の川喜田の言及する医学の原論とも矛盾しない。「はじめに病人がある」という金言を突き詰めれば、病気を、さまざまな社会的背景との連続性の中に位置するものとして捉えなければならない。戦争と貧困もその一種だ。元帥は、戦争という人類の病を抱える社会的象徴である以上、象徴としてその病を取り除くことが、白い病の治療よりも優先されるべきではないか。貧困という社会の病を、富者の不死の病よりも優先すべきではないか。このような近代的枠組みでは捨てられてしまう問いが自然に発生する。「近代」というタガを外した瞬間に、それ自体、論理的には矛盾しない上に、人道的にも納得できる問いが、たとえ近代では非常識だと一笑に付されるものであっても次から次へと頭に浮かぶのである。

 とはいえ、医者とは医療によって平和構築と貧困撲滅に多大なる貢献できるし、現にこれまで貢献してきたではないか。平和構築は政治家の仕事ではないか。そんな大それた仕事に人生を捧げる前にやるべきことはないだろうか、という反論も容易に想像できる。

 『分解の哲学』でも論じたことがあるが、チャペックの問いはこのような思考の臨界を狙ってくるので、いつも私たちを悩ます。ロボットには愛が芽生えるか。人間は人間よりも高い知性を持った山椒魚に主導権を明け渡すべきか。そして、人類の病である戦争と人間の病である感染症は、どちらを目下の課題として優先すべきなのか。

 チャペックは、第一次世界大戦中に、スパニッシュ・インフルエンザと飢餓が蔓延する現在のチェコ(当時はオーストリア=ハンガリー二重君主国の領内)で暮らしていた。第一次世界大戦中のスパニッシュ・インフルエンザの患者は、病気よりも戦争を優先すべしという論理を政治家や軍人から押し付けられたことをここで想起しても良いだろう。チャペック自身も、1937年に書いたが公開されなかった「作者による解題」で、「鉛の弾やイペリットガスで命を落とした人よりも、スペイン風邪で亡くなった人の数のほうが多かった」と述べている〔前掲『白い病』162頁〕 。

 もちろん、作家は答えを出さないし、出す義務もない。私たちも作家に唯一の答えを求めるべきではないだろう。ただ一つだけ言えるのは、百年近くの月日をくぐり抜けても、いや、むしろ時代が進むに連れて、チャペックの立てた問いは、いつも、私たちが知らずしらず当たり前と思っているタガを外すゆえに、ますますアクチュアリティを増していることである。

 毎日私たちが目にする新型コロナウイルスの死者数と並んで、どうして交通事故の死者や、内戦や空爆による死者や、いじめを受けて自殺をした子どもの人数や、貧困が原因で栄養失調になった人や、農薬害で心身を蝕まれた人の数がテレビや新聞やネットで示されないのだろうか。なぜ、新型コロナウイルス以前から構造的な暴力によって殺されている人の数は新型コロナウイルスの死者より軽く扱われるのだろうか。どうして、私たちは毎日報道で伝えるべき苦しみと忘れてもよい苦しみを区別できるのか。どんな権利があって、どんな理由で、そのような選択をしているのか。

 危機の時代は価値体系も揺らぐが、定義自体も揺らぐ。そのような揺らぎが落ち着くまで待ちたいのが人間の本音だろうが、『医学概論』を読むかぎり、そして、パンデミックの現状を鑑みるかぎり、もはやそうはいかない。現代社会の「医学」も「医者」も「病気」も、ずっと狭すぎるカチコチの定義のまま、安定してきたように思える。「農学」も「農業者」も「農業」もそうだったし、自己を顧みるに、「歴史学」も「歴史研究者」も「歴史」もそうだったように思う。それらの安定が、医や農や歴史の担い手の戦争や貧困との関わりを弱めることで保たれてきたのだとすれば、定義にはもっと揺さぶりをかけていくことが求められなければならない。ただ、チャペックの診断では、その揺さぶりを持続させる「医者」は、ガレーン博士一人では少なすぎたのである。

藤原辰史(ふじはら たつし)
1976 年、北海道生まれ、島根県出身。専門は農業史。京都大学人文科学研究所准教授。『ナチスのキッチン』(水声社、のちに決定版=共和国)で河合隼雄学芸賞を、『分解の哲学』(青土社)でサントリー学芸賞を受賞。『トラクターの世界史』(中公新書)、『給食の歴史』(岩波新書)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)など著書多数。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?