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このカラダひとつで生きること(前篇)|現場のことばにならなさのまま働く人と、ことば巧みな人|上田假奈代

大阪・釜ヶ崎で、「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」を営んでいる上田假奈代さんは、昨年の夏、ココルームに滞在されていた方から新型コロナウイルスの陽性反応が出たことを受けて、その思いを「困難な状況をことばにしていくこと。」という一文に綴られました。
「今まで通りの生活というのはやはり、難しく思います。でもその状況に対して受け身になってしまうのではなく、その中でもどう生きていくかということを日々の実践の中で見つけたいと思います」。
それから一年。上田さんに、いま思うことを書いていただきました。

支援と正直さ

釜ヶ崎に関わり、もう20年になる。
働き、暮らし、子育てもしている。
この街の出身ではない。
日本の高度経済成長期に育った身として、今のこの暮らしは、物を運び、道路や建物をつくったこの街の労働者のおかげなのだと思っている。わたしは、彼らが人生をどう捉えているのかに興味があった。

好奇心。
出会うために、喫茶店のふりをする。
挨拶などをかわすうちに、ひとりひとりの存在の現れとしての表現を待っている。
こんな態度は、この街の人にすれば、ずいぶん奇異に映ったかもしれない。
ほぼ年中無休で、出会いを重ねてきた。
街を大学に見立てた「釜ヶ崎芸術大学」は10年目。
釜ヶ崎に暮らすおじさんたち、あんなに関係を結ぶのが難しかった人たちがおもしろい話をしてくれたり、得意なことを表現したり、手伝いをしてくれる。

そして、気がついた。
むしろ支える側の人たちのほうが、実は正直に表現することが苦手なのではないか、と。

支援と仕事とことば

釜ヶ崎には支援職の人たちが多い。
支援を仕事と考えるのか、それとも仕事のなかに支援的なこともあると捉えるのか。そもそも仕事とは何か。
制度の外におかれてきたような街で、制度を用いて、あるいは制度を越えて働く多くの人がいる。
立場もさまざまだ。

わかりやすい支援は、世間から称賛される。
けれど、わかりにくい支援の方がほんとうは多い。
現場にいる働き手は、かつては支援される側にいた人もいる。
ときどき、支援側にいる人のほうが辛そうにみえることがある。
もう何も失うものなどない、となった人のほうが正直にみえる瞬間がある。
むしろ、支援者のほうが頑なにみえることがある。
現場に近い支援者ほど、ことばにするのが苦手なようだ。
そして、研究者やメディアの人たち、現場に入り込むことば巧みな人たちが、わりきれない現場を都合よくことばにしてしまうことに、たびたび遭遇してきた。

現場は言語化の追いつかない川のようなもの

ほんとうに肝心なことはことばにならない。
現場は、流れていく川のようだ。
さっき見ていた水は、いま見ている水ではない。
ことば巧みな人が現場の働きを世間につないでくれることはありがたいが、ときに都合よく解釈され表されてゆくことに、砂を噛むような気持ちになる。

わたしは好奇心からここにいるので、困難な状況にいる人たちと関わりを持つことが多いが、支援者ではない。
さらに、詩人と名乗ることで、意味不明なことを言っても許されることがある。取り合ってもらえないことも多いが。
でも、言わないより、言えたほうが表せたほうが後悔は少ない。となると、自分の感じたことをともかく表す練習として、人はときどき詩人になってみるのはどうだろう。

いや、現実はもっと厳しい。
ただでさえことばにするのがうまくない支援者たちが、日々のわりきれなさを引き受けて、現場がまわることを最優先していても、その立場性ゆえに攻撃される場面を何度も見てきた。
歯がゆい。
けれど、あきらめないでいたい。

不確実だったことに気づく

新型コロナ感染症が猛威をふるいはじめてから、多くの人が、毎日は当たり前でないことに気づいたと思う。

詩を仕事にする、と宣言した32歳からのわたしの日常は、いつも今日がどんな日になるかわからなかった。
釜ヶ崎でほぼ毎日すごしていると、目に見えない偏見や差別に気づき、暴力にもつきあう羽目になる。何も持たない人の優しさに触れることもある。
流れる川のような現場にいて、いつも不確実で、毎日が当たり前ではないことに耐性はついてきた。
それは、見えないウイルスにつきあう感覚に、よく似ている。

気をつけてきたことは、工夫と、他者性。
工夫とは、自分の身近な人たちとの関わりを大切にしたり、おもしろくすること。正直に話すこと。試しにやってみる小さな勇気を持つこと。
他者性とは、自分のなかにある、まだ見ぬ自分を意識すること。

以前に比べて、外からのお客さんが少なくなったコロナ下で、以前から続けてきたことをただ続けた。2020年7月、数少ない宿泊者に陽性がわかった時も、公開することに迷いはなかった。
参考:ココルームの宿泊者に新型コロナウイルス感染症の陽性がみつかった件について

他者の力

出会うことだ。
ことばにすることが苦手でも、練習してゆくことだ。
これまで出会ってきたことばにするのが苦手な釜ヶ崎のおじさんたち――ある程度齢をとった人たちが、わたしたちの開く場で、釜ヶ崎芸術大学の講座などで、いくつもの出会いを重ねて、何年もかけて、ある日誰かに関心をもち話しかけている様子をみてきた。
「よくまあ、何年も待ちましたね」と言われることがあるが、たたえられるのは通いつづけた彼らだ。わたしは、粛々と是々非々でつきあってきただけ。

場を開くと、他者がやってくる。
固定化され、わかったふりになってしまう現場に他者を招き入れる。
はじめての他者は、一度きり押し寄せる波のようだ。
なんどもなんども波が打ち寄せて、やがて硬い岩を穿つ。

他者を招き入れる勇気を、持ちつづけること。
未知な不確実な、まだ出会ったことのない自分をあきらめない。

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写真はすべて執筆者の撮影による。
見出し画像は、米カンパライブ2021。米は釜ヶ崎で配布される。シンゴ★西成が企画。会場は釜ヶ崎の三角公園。
釜ヶ崎から徒歩10分程東に歩くと、日本一高いビルあべのハルカス。本文末尾の写真は、その屋上から釜ヶ崎方面を撮影したもの。2020年秋。
上田 假奈代(うえだ かなよ)
詩人。1969年、奈良県吉野生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。京都で短大生活をおくりながら京大西部講堂に出入りし、闘う詩人を名乗り「下心プロジェクト」をたちあげ、ワークショップなどの企画、場作りを手がける。「トイレ連れ込み朗読」、詩のボクシング大阪大会優勝などを経て、2001年「詩業家宣言」をして「ことばを人生の味方に」と活動する。
2003年大阪・新世界で喫茶店のふりをした拠点アートNPOココルームをたちあげ、2008年西成・釜ヶ崎に移転。2012年、「釜ヶ崎芸術大学」開講、ヨコハマトリエンナーレ2014参加。2016年「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」開設。2020年「閉経サミット」を企画。
大阪市立大学都市研究プラザ研究員。2014年度 文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞。NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表理事、大手前大学国際看護学部非常勤講師、堺アーツカウンシルPD。


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