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築100年以上の古民家が取り壊されそうなのを止めちゃった話

僕が大学を休学して1年間住んでいた和歌山県美浜町三尾は昔ながらの瓦屋根が広がる歴史の古い半漁半農の集落です。今は農業や漁業は寂れてしまい、高齢化と過疎化で人が減るばかり。1500人はいたと言われている元々の集落内には400人弱しか住んでおらず、空き家がとても目立っています。

かつて、海を渡ってカナダまで出稼ぎに行っていた「アメリカ村」としての歴史を残す美浜町三尾、そこのゲストハウスで居候をしていた僕はある日、ひょんなことから壊されそうになっていた古民家を取り壊さないように説得したことがありました。これはその時の話です。なお、人名や固有名詞はフィクションです。

大三尾瓦屋根の風景

カフェでコーヒーを飲んでいただけだったのに

ある日、僕がゲストハウスのお手伝いの間の時間で三尾の中をふらふらと散歩していると、町の有力者のAさんが車でたまたま通りかかりました。「せっかくだからちょっとお茶でもどう?」とAさんに誘われて、2人で近くのカフェ兼博物館でコーヒーを飲みながら三尾の話を聞いたり世間話をしていました。その日は午後に僕の友人が来る約束になっており、博物館の案内をしようと思っていたので友人を待ちながら、Aさんとコーヒーを啜っていました。

すると、その博物館の館長、Bさんが神妙そうな顔でこちらにやってきました。いつも明るいBさんが不思議だと、Aさんと話していると、BさんはAさんにこう話しかけたのです。


「ヨネドのオヤマさんの新家、取り壊すかもわからん。」


(Aさんと僕は即座に話の内容を理解してびっくりしていましたが、きっと、このnoteを読んでくれている方もわからないと思うので補足させていただきます。
補足1:ヨネドとは苗字とは別の一件ごとの家を区別するための固有の名前です。昔に名付けられており、由来はあれど今住んでいる人の名前とはほとんど関係ありません。(大工の弥太郎という人が住んでいた→「ダイヤタ」など)。
補足2:かつてはある家の長男がその家を継いで、次男以降は近くに別の家を立ててそこに住むしきたりでした。直系の家のことを「母屋(おもや)」枝分かれした家のことを「新家(しんや)」と呼びます。)

それを聞いて、僕たちはびっくりしました。その家は、かつて大地主とされていた家の分家で、築100年はくだらないとされる立派な家と地域の人の間では有名だったからです。お寺さんやお仏壇屋さんが片付けをしに行ったという話をBさんは聞いたそうです。

せっかく、「空き家バンク」など町でも古民家を維持して再活用しようという運気が上がってきているのに状態のいい古民家が取り壊されようとしている。なんとかならないのかとB館長は嘆いていました。


すると、地元の有力者のAさん、すかさず携帯の電話帳をチェックし始めました。しばらくすると、顔を上げて、「(家の)持ち主のCさんの電話番号あるわ!」なんと、古民家を管理されている方の電話番号を知っていたのです。管理されている方は、三尾生まれですが、今は東京に住んでいるとのことでした。

一度取り壊した古民家が再び立つ事は無い。なんとか古民家を取り壊さない形にできないだろうか。ダメ元でAさんは持ち主のCさんに電話をしました。



すると、電話がつながりAさんがCさんと電話越しで状況を聞いていると驚きの事実が判明しました。

「Cさん、昨日から、三尾にきていて、明日の朝10時に解体業者の見積もりをもらって帰るつもりらしい」

なんと、その古民家、明日取り壊しが確定する本当にギリギリの状態でした。そして来たるべく明日に備えて、Cさんはその古民家を掃除していることが判明しました。


これはしのごの言っていられないとなり、AさんBさんと僕と(何も事情を知らずにやってきた)僕の友人でそのお家に行くことになりました。その段階で午後の4時ごろ、解体業者が来るまで24時間をきっていました。

家の前まで行くと、中から僕の祖母と同じぐらいの上品で、だけど元気に満ち溢れたおばちゃんがいらっしゃいました。それがCさんでした。

米と

その家はCさんの親に当たる人が住んでいたが、お亡くなりになったあとに住む親類もおらず、兄弟姉妹の中でCさんが、東京から定期的に来て草刈りや手入れをしていたそうです。Cさんも高齢になり、管理できなくなってしまったら周りの迷惑になるし、どうしたものかと解体を考えるようになったそうです。

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その家自体は、雨漏りもなく、昔ながらの井戸や、煉瓦造りのかまど、蔵と納戸が別に立っていて、庭も広々とした立派な家でした。しかし、広い瓦屋根の家はCさん1人が管理するにはとても荷が重いものでした。

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AさんとBさん僕、そして古民家ゲストハウスを夢見ていた僕の友人までもがCさんに空き家バンクに登録してみないか、取り壊しを待ってくれないかと説得していました。Cさんも、まさかこの家がそこまで(特に僕と僕の友人に至っては初めましてなのにも関わらず)周りに説得されるぐらいのものなのかと驚いていました。そんな中、僕は不意にCさんにこんなことを口にしました。

「(空き家バンク登録して)誰も買わなかったら僕買いますよ」

大学生、休学中、ゲストハウスの居候の分際で一体何を言ってるんだと今振り返ると赤面してしまいます。しかし、それだけ価値のあるお家だったと思うし、状況が切羽詰まっていたとも言えるかもしれません。

最終的に、Cさんは次の日の解体業者との約束は取り消し、Aさんの手配の元、役場の方で空き家バンクに登録することになりました。今は、そのすぐ近所の人が家を建て替えることになり、その間の仮住まいとして利用されています。

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ご縁を感じ、限界集落を感じた

この出来事は、タイミングとご縁の不思議な力を感じた出来事であり、僕が感じた限界集落の「限界」さに初めて直面した出来事でもありました。

もし僕がAさんと出会わなかったら、もしコーヒーを飲んでいなかったら、もしBさんがその話を聞かなかったら(それもたまたまお隣さんが仏壇屋の方だったから聞いたとのことでした)、もしAさんが電話番号を知らなかったら、もしそれが一日ずれていたら、もし古民家に精通していた僕の友達が状態の良い古民家の価値を力説していなければ、今頃、空き家ばかりの集落にまた一つ更地が増えていたのかと思うとゾッとしています。

廃屋2

しかしCさんが考えていたことは、今、三尾に広がっている古民家たちもすでに更地になってしまった理、草にまみれて今にも崩れそうになっているもの、誰も手が入らなくなってしまっている家々を管理する人全員が直面していることでもあります。

どんなに思い入れがあっても、どんなに重要さをわかっていたとしても、古民家を維持するのはとても骨の折れることであり、所有者はほとんどが後期高齢者に差しかかろうとしている。

廃屋


僕はその時「誰も買わなかったら僕買いますよ」と言った。言ってしまった。

果たして本当にあの家を買って次世代に繋いでくれる人は現れるのだろうか。

東京に戻って来た僕が、あの家を管理することができるのか、

それだけの覚悟があったのか。

結局、自分は東京に戻って行ってしまう「ヨソモノ」なのか。

「ヨソモノ」には結局田舎で生まれ育った「本当の意味」を知ることができないのか。



僕が居候しているゲストハウスのオーナーは古民家をリノベーションしてゲストハウスを切り盛りしています。オーナーの姿をそばで見ていると、自分で屋根を直したり、山から赤土を持って来たりと必死に自分の家を守ろうと日々奮闘する姿に、尊敬の気持ちを抱く一方でそれだけの覚悟があって初めて「古民家を買う」ことができるのだと痛感しました。

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僕も一度言った言葉の重みは無視できないと思っていますし、あの家を活用する方法は今後も考えていきたいし、どういう形になろうが、家の行く末はしっかり見届けたいと思っています。

もし琴線に触れることがあれば。最低金額以上は入れないでください。多くの人に読んでもらえれば嬉しいです