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大学病院を辞めて実現したかったことは、病状が悪化する前のケアの充実

僕が医者になった理由-三島 渉さん
実家は医療系とは縁がない家庭だったという三島さんですが、医師の道を選んだいちばんのキッカケは、小さいときのご自身の病気のための入院や手術があったからなのだそう。最初は医師でいうところのエリートコースである大学病院でのキャリアアップを目指していたそうです。それを捨てて開業医の道を選んだ経緯は、じつは彼の熱い想いがあったからだと言います。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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三島 渉(みしま わたる)さん

医療法人社団ファミリーメディカル 横浜弘明寺 理事長
呼吸器内科・内科クリニック

1997年/横浜市立大学医学部卒業、横浜市立大学附属病院研修医 
1999年/三浦市立病院内科 
2001年/横浜市立大学大学院病態免疫制御内科学 
2005年/横浜船員保険病院(現・横浜保土ケ谷中央病院)内科・呼吸器科 
2007年/上六ツ川内科クリニック開院
■日本呼吸器学会専門医、日本アレルギー学会専門医、日本禁煙学会専門医、医学博士
2019年8月に京浜急行本線「弘明寺駅」前に横浜弘明寺呼吸器内科・内科クリニック開院。
重症化してから治療を開始するのではなく早期発見・早期受診を促したり、予防医学・健康維持を目的とした患者への啓蒙・教育、医療界へ貢献するための人材育成に活動の軸を移したい

患者数は多いものの医師の数が少ない
呼吸器内科なら貢献度が高いと思って選択

 医学部の時に内科を選ぶところまではすぐに決まったんですが、内科の中でさらに専門をどこにするのかは少し考えました。患者さんの数が多いのは、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科なんですが、最初の2つに関しては医師の数も多かったので、せっかくなら貢献度の高い呼吸器内科にしようと決断しました。
 卒業した大学病院に入ることができたときは、このまま教授になることをぼんやりと考えていました。患者さんの治療より研究論文を発表していくことで、その功績が認められて教授になる、そんな方向を目指すつもりでした。大学病院というのは、一般的な企業でいうと大企業にあたり、クリニックは個人商店です。教授になるのは、企業でいうところの社長。いわゆる医師界でのエリートコースの道というわけです。

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 ただ、実際に患者さんと向き合っているうちに、大学病院の呼吸器内科に来る人たちは、地域のクリニックなどでどうにもならなくなった人たちが多いということがわかってきました。つまり、症状がかなり悪化していて、医師の力でどうにかしてあげることができないレベルの方たちが多いと言うことです。
 呼吸器内科というのは、生死にかかわる症状の方も多く、死亡診断書を毎日のように書かなくてはならない日々でした。もう少し早い段階で来てくれれば、いくらでも対応できたのに、と悔やしい思いをすることが多く、だったら自分が患者さんたちとのファーストタッチのクリニックで診てあげればいいんじゃないか、と思うようになりました。

 大学病院をやめることは、周りの医師からかなりとめられました。医師の世界では、開業医というのは、大学病院でドロップアウトした人が落ち着く先という見方をされているところがあるのです。でも、僕は効率が悪いことが嫌いで、せっかく自分の時間を使うのであれば、もう手遅れになってしまった患者さんと向き合うことより、まだなんとなかなる患者さんを1人でも多く救いたいと思ったので、開業医を選びました。

三島さんの病院では、看護師やスタッフ向けの研修などを開催していて、人材育成に力を入れているのだそう。また、患者さんのためだけでなく、スタッフ自身が幸せでいることまでをビジョンに掲げたスタイルで病院経営を行っています。このような組織づくりを行うようになったキッカケは、困難にぶち当たり自分で学んだ成果なのだそう。

症状が悪くなる前の段階でケアすることで
苦しむ患者さんがゼロになる社会を目指しています

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 医師にとって開業することはさほどハードルが高いことではありません。最初のころは自分1人で患者さん対応ができていたのでよかったのですが、患者さんが増え、医師や看護師などのスタッフを増やさなくてはならなくなったときはやはり大変でした。自分が思うビジョンをみんなに共有してもらい、その実現のために働いてもらう組織を作らないと、患者さんたちへ最高のケアを提供できません。

 病院を経営するためのマーケティングに始まり、マネジメント、コミュニケーションなど、いろいろと学ぶようになりました。なるべく学びの時間を確保して、積極的に参加するようにしています。人は何事においても決まった手法がなければ、自分なりの方法や思い込みで成功しそうな方法を試します。僕は先ほども言ったように無駄なことが嫌いなので、なるべく最短で成功する方法が知りたいんです。さまざまな学びから、確実に成功する方法が見つかるわけではありませんが、過去に成功確率が高かったやり方を学べたり、大きな間違いをせずにリカバリーがしやすくなります。

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 そのころから稲盛和夫さんの本にいたく共感を覚えるようになりました。最初は京セラやJALのような大きな企業の話だと思っていたんですが、稲盛さんが行ったことは、京セラが10人程度の会社だったときからのことで、それがあれほどの大企業に育ったんだと気づき、逆にいいモデルだと思ったんです。
 スタッフ研修を始めたのは、僕が目指す世界を実現するためには、みんなの力を借りなくては無理だということ、彼らが主体的にやりがいを持って働いてくれなくてはそんな世界は実現できないことに気づいたからです。僕が目指しているのは、「症状がひどくなってから慌てて病院に来る呼吸器内科の患者さんたちをゼロにすること」です。この実現のためには、患者さんだけでなく、スタッフのみんなも幸せでなくてはいけないと思っています。

 2019年8月にクリニックの拡張移転をしました。そこでは、僕が目指す世界に少しでも近づくため、予防医学の診療をスタートさせたいと思っています。今までも少しずつ始めていたのですが、本格的スタートです。病気をどの段階で治療するかは大きなポイントです。少しでも早い段階、可能なら病気になる前に食い止められることがイチバンいいんです。そして、病気で苦しむ人が少しでもゼロに近づくよう、尽力していきたいと思っています。

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呼吸器内科という響きから、風邪や喘息などの比較的軽い患者さんを想像していましたが、大学病院に行くときには生死にかかわるタイミングの方が多いというのは、衝撃的なお話でした。確かに呼吸が止まれば人は死にます。一刻も早いケアが必要だし、アレルギーや喘息などは事前策をすることが大切なこともわかります。
三島さんの取り組みによって、まずは近隣の方たちが、そして同じ志をもった医師の方たちが増えることで幸せな社会が広がることを期待しています。

下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!