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自分が好きなことで生きていくために。画家として大切なことは、人生のインプット量

僕が画家になった理由-ミヤザキケンスケさん-
常に「好きなことだけして生きていきたい」と思い、もがき続けてきたと言うミヤケンさん。画家を目指すことを決めてからもずっと、自分の才能やスタイルについて悩んでいたそう。自分の作品を多くの人と共創するというスタイルで描く壁画と1人でつくる作品。自分の人生として、2つの目標があるのだと言います。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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ミヤザキ ケンスケさん

アーティスト
Over the wall代表

1978年佐賀市生まれ
2004年筑波大学修士課程芸術研究科を修了
ロンドンへ渡りアート制作を開始。「Super Happy」をテーマに、見た瞬間に幸せになれる作品制作をしている。
2006年から行っているOver the wallの活動では、ケニア壁画プロジェクトでスタート。100万人が住むといわれるキベラスラムの学校に壁画を描き、現地の人々と共同で作品制作するスタイルが注目される。毎年1か国を訪れて、世界中で壁画を残す活動をしている。

どうしたら好きなことだけで生きていけるのか?
絵描きになるために過ごした学生時代

 僕は中学のときに、スポーツも勉強も中途半端な自分を突き付けられ、どうしたら好きなことで生きていけるのか悩んでいました。県内に唯一あった芸術コースの高校に行くものの、クラスは絵の才能がある実力者集団。体育会系ノリの自分と雰囲気も違いクラスになじむこともできず、悶々とした日々でした。
 高2の時、親戚が住むベルギーにスケッチ旅行に行き、言葉も通じないため何を楽しむともなく、ひたすらスケッチをして過ごしていました。2週間後のお別れ会での席でスケッチ画を見せたところ、僕の絵を見て盛り上がる人々。自分の居場所が認められた気がして、そのときに絵描きとして生きていこうと思えました。

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▲ロンドン留学中に挑戦した、ストリートライブパフォーマンス。

 美大に進み大学院で学び、それでも自分なりの画風をどのように見つけたらいいのか迷っていました。ストリート系のアートが好きで、ロンドンに2年間行ってきました。英語を学びながら、ストリートライブでウォールペイントをしたり、ひたすら無茶なことをしながら泥にまみれることで表現できるものがあると信じて過ごしていました。
 ところが、あるとき気づいてしまうんです。スラムに住んでいたり、ストリートチルドレンのような人たちの怒りのエネルギーと、僕のように親がいて大学院まで行っている恵まれた人間の怒りとでは、本質的に意味が違う。僕の怒りはファッションだったんです。

ケニアで壁画を描く経験から気づいたこと

 そんなことに気づいてロンドン滞在の最後に向かった先はケニア。僕にできる「意味のある無茶」をするためにカラダを張ってみようと思い、ケニアのスラム街に日本人が作ったマソゴスクールがあると聞いてコンタクトを取って訪問したんです。

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▲描き直すことになるドラゴンのイラストの前でがっかりの図(笑)

 学校の壁に絵を描かせてもらいました。壁画には、以前フィリピンで描いて子どもたちにも受けたドラゴンの絵を選びました。ところが、ドラゴンが仕上がってきたときに雰囲気が一転したんです。子どもたちがドラゴンを怖がり、学校を休む子まで現れてしまったんです。そうなると、学校の先生たちからも迷惑がられて、絵は消すことに。。。
 絶望的な気持ちを切り替えて、子どもたちにヒアリングしながら、子どもたちが喜ぶライオンや動物たち、ケニアで聖なる木と言われるバオバブの木とその木の下で遊ぶ子どもたちを描きました。すると、どんどんみんなの顔つきが変わり、絵を、僕自身を受け入れてくれるようになりました。そこでの最高の経験から、みんなが喜んでくれる絵を描くことを多少は理解できるようになったものの、まだまだしばらくは今いっている『Super Happy』には到達しません。

ロンドン帰りのアーティストとして日本で華々しく行けると思ったものの、世の中はそんなに甘くなかったそう。個展をしても反応が薄い、お金もない、仕事もない、家もない。そんな絶望的な生活にやってきたチャンス。その仕事を通じて、自分の作品に対する考え方が少しずつ変わっていったそうです。

NHKでの仕事をキッカケに生活は安定するも
作品作りに関しては悩みばかりでした

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 個展にきたNHKの方から声をかけられ、番組の背景を描く仕事をいただきました。画家として最後のチャンスってくらいの気持ちで臨み、1週間弱で描き終わらせなくちゃいけないところが、ちっとも終わらず、本当に苦しかったですね。でも、描き終えたときに、次の仕事につなげることができました。『熱中時間』という番組の背景をオンエア中に描き上げるというライブペイントの仕事で、描くのは毎回のゲストの似顔絵です。
 当時まだとんがっていた僕は、ゲストの似顔絵をかなりデフォルメして描いていました。初回のゲストの老夫婦の方が僕の絵を見たときの、ひきつった表情は忘れられません。。。
 そこで少しは相手が喜ぶ絵を描くようにはしたものの、自分の作品ではない気がしていて、そのころは2つの名前で作風を分けたりしていました。とんがった作品と、笑顔の作品。悩みまくっていたから、オフを使って1か月お遍路して考え続ける時間を作ったりもしたほどです。
 本人は悩みまくっていたんですが、その絵を見た人たちから、「どっちもミヤケンの作品だよね」と言っている声を聞いて、自分だけのこだわりだったことに気づくようになりました。

 2010年に再びケニアを訪問して壁画を描くことになるんですが、このときは一緒に行くメンバーがサポートしてくれて、現地のみんなに手伝ってもらうカタチで壁画を描きました。その後、2011年の東日本大震災でも被災地でイチ早く開店させた床屋の壁に元気な絵を描くことができました。

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▲2回目のケニア訪問。生徒たち、先生たちとの絆も深まりました。

 被災地や困難を抱えた人たちのために何かをしたいのに、絵描きにできることは何もない、そんな気持ちだった僕に絵が持つ意味を教えてもらったような気がしました。そんな活動をする中で、僕が実現したいこととして、今につながるOver the wall(OTW)というプロジェクト形式の活動が本格稼働するようになったんです。

年に1回、世界中の困難な地域に出向いて、現地の方たちとの協働で壁画を描くOTWの活動。ミヤケンさんは「自分がやりたかったことが少しずつカタチになってきた」といいます。とはいえ、彼が目指すゴールはもっと先なのだそう。

ひとつはOTWの活動と、画家としての活動
2つの大きな夢の実現を目指して

 たくさんの人が携わって、プロジェクトとして壁画を描く。それだけなんだけど、そこに至るまでには資金集め、現地との交渉、スタッフの確保や準備、広報活動などがあって、現地に行ってからも絵を描くだけじゃなく、ワークショップの開催や現地の人たちへの理解や協力要請などが発生します。

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▲月1回のOTWミーティング。年々増えるメンバーに囲まれて。

 最初のケニアでは助けは借りながらも1人でやっていたことを、チームで動くことでより大きなことができるようになりました。会社やNPOという組織ではないのに、みんなが主体的に自分でできることをやってくれます。現地に行く人、日本でサポートしてくれる人、多くの人が参画しています。

 そして、そんなOTWの活動は、僕がライフワークとしてやっていきたいことの実現でもあります。自分が元気にやっていけるまで、あと10年くらいは継続したいし、今まで描いてきた壁画の修復もしたいと思っています。

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▲2019年の国境なき医師団とのコラボプロジェクトで、ハイチの病院に描いた壁画。暑さと危険と隣り合わせの究極の状況で描き上げた。

 一方で画家としてのミヤザキケンスケの自己実現は、80歳をゴールに設定しています。なぜなら、今までみたいに元気に動けなくなったとき、アトリエにこもって絵を描く生活になればいいって思っているんです。それまでは、より多くのインプットをしておくことで、ゆっくりとアウトプットをしていけばいい、そんなふうに考えています。
 僕が子どものころにあこがれたアスリートの世界は、才能が圧倒的に必要なんだけど、タイムリミットが短いものが多いんです。でも、画家っていうのは、スパンが長いし、どれだけのインプットをしてきたかで、作品が変わると思っています。

 自分にはたいした才能はないってことがずっとコンプレックスでした。だからこそ、「ためらわない行動力と勇気に、才能は必要ない」そう思って進んできました。そうやって過ごしてきた行動そのものがすべてインプットになり、画家としてのアウトプットとして表現できるようになったらいいと思っています。

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▲2019年12月の個展で。力士や観客などが数百か数千人も描かれており、「ウォーリーを探せができるね」という作品。カラフルで個性的な世界観。

岡本太郎やガウディの話をしながら、「作品ではなく、そこにある意味とか存在そのものとしての意義」として、世の中の人からの受け入れられたいと語ったミヤケンさん。OTWで描く壁画は、彼自身の表現というより、そこの場所にある意味や役割を考えてテーマを決めているのだそう。最近は、OTWの活動が認められはじめ、各地で講演やワークショップに忙しくなって、個人の作品作りに専念する時間がなく、そこは課題なのだとか。そんな活動も含めて80歳までのインプットは豊富そうです。

ミヤケンさんのブログでも、思いの丈をつづっています。気になった方は、そちらもご覧ください。➡ ミヤザキケンスケのOver the wallな世界




下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!