見出し画像

突然の父の死で、29歳で社長に。人がどんどん辞めていくことで気づいた自分の壁

僕が社長になった理由-小池重憲さん-
家業である水道工事の会社を継いだ2代目である小池さん。39歳のときに、アニキと呼んでいた方から「とにかく1年間、“はい”か“YES”でやってみろ」と言われ、「わかりました」って言った途端、「来週から広島な」と(笑)その後、彼が開催しているイベントやセミナーなんかのアシスタントとして日本各地を回ったのだそう。「そのときの学びが大きかった」と語ります。小池さんが学んだことはいったいどんなことだったのでしょう。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

画像7

小池 重憲(こいけ しげのり)さん(写真左)

株式会社小池設備 2代目代表取締役
1972年生まれ
相模原で生まれ、相模原に育ち
高校時代から、週末や夜間、夏休みや冬休みの長期休暇にアルバイト..
趣味はアウトドア。サーフ&トリップ。山歩き
2001年より、社長就任
就任一ヵ月後に結婚式を挙げ、家族は、奥さんと2人の男の子

父親から、家業を継ぐべく
マインドコントロールされながら育った子ども時代

 小さい頃はネコが好きでした。ちょっとツンデレっぽいところとか。なので、ペットショップとかを将来できたらいいな~と思ってましたが、縁日で買ったモルモットが1週間で死んじゃって、親から「オマエにはペットショップなんて無理なんだよ。家業の水道屋になるしかないだろ」と言われました。そこから親父のマインドコントロールが始まりました(笑)。
 小学校の夏休みになると現場に連れていかれて、僕はみんなのコーラを買いに行く係なんです。当時はビンのコーラで、ビンを返すと1本5円とか10円とか返金されるんです。それが僕のお駄賃になるので、結構喜んで行ってましたね。中学3年生の大晦日には、初めて緊急の現場に連れていかれて、暗闇の中で作業するためのライトを照らしたり、車を誘導したり、技術はなくてもできる仕事を手伝っていました。自分は家業を継ぐんだろうという漠然とした感覚はそのころからありました。

画像3

▲水道工事と言ってもやるべきことはさまざまあります。

 高校でも大学時代もずっと家業を手伝っていましたが、就職のタイミングではほかの会社、社会を見たほうがいいと思い、水道工事店をいくつか面接しました。でもまったく合格がもらえず、就職課の先生に模擬面接をしてもらったところ、僕が素直に「いずれ実家を継ぐつもりだ」と答えたことが問題だとわかりました。雇っても数年後には辞める人間では困りますから。
 そこで次の面接では「姉が結婚する予定で、義理の兄が家業を継ぐので僕は大丈夫です」とウソをついたところ、1発で合格し就職できました。ところが1年後くらいかな、就職先の社長さんから「おまえは本当に家を継がなくてもいいのか?」と聞かれ、心苦しくなって正直に話したら「それがいい」と逆に励まされました。本当に人ができた社長さんでした。

実家に戻るも、
跡継ぎどころかめちゃくちゃ厳しい扱い
家では父親と顔を合わせないようにしていた

 3年ほどその会社で働くと、実家から連絡がきました。銀行の貸し剥がしが起こり、3期分の決算書と事業計画書、そして後継者を指名しろということでした。もちろん家を継ぐつもりだったので、このタイミングで家に戻ることになりました。
 戻ってからはかなりきつかったですね。前職場では、子どものころから現場には慣れていたので、比較的できるヤツ扱いだったのに、戻ってからは親父の方針でめちゃくちゃ厳しくされたんです。何か問題があったら、原因は何であれ怒られるのはオレ、家に帰れば現場や会社での態度や言動に文句を言われました。家に帰りたくなくて、夜遅くまで仕事をして、親父が寝る頃を見計らって帰るようにしたくらいです。

画像4

 29歳のとき、4月29日のGW初日です。キャンプに行ってたんですが、なんだか胸騒ぎがして落ち着かなかったんです。ケータイを車に置いてきてしまったことが不安でしょうがなくて、途中で車に戻ってみたら、着信が何件も入ってました。普段、連絡をしてこないような親戚からの着信まで。慌てて母に連絡したら、親父が倒れて病院に担ぎ込まれ、病院で死亡が確認されたということでした。

あまりにも突然のお父さまの死。29歳という若さで会社を継ぐことになった小池さん。経営に関しては何も教わっていなかったと言います。実際に帳簿などを担当していたお母さまのサポートでやりくりするも、問題は現場のマネジメントです。「人がどんどん辞めていく状況をどうしたらいいのか」途方にくれる状況だったそう。

29歳、父の急死による早すぎる事業継承。
問題山積みの会社経営

 後継者として、最初にやったのが銀行での手続きです。保証人の欄に自分と母とで押印するんですが、手が震えてまったく押せなかった。ものすごい責任を背負うんだって思うと、怖くて怖くて。また、当時、茶髪でアメ車を乗り回すような若造が社長で、当然、社内で不満をもった人もいました。しばらくすると次から次へと人が辞めていきます。悪夢ですよね。実際のところはそんなでもなかったのに、毎週毎週月曜日になると誰かが辞めていくってイメージで、会社に行くのがつらかった。母から「辞めていく人は仕方ないよ。次の人を探そう」と言ってくれたのが救いですたね。
 30代は、離職率をどうしたら下げられるのか? が、一大テーマでした。だって自分の会社ですから、「会社を辞めたい」って言われると自分を否定されたような気分になっちゃうんです。そこで、リーダーシップ術やコミュニケーション術なんかを中心に多くのセミナーや勉強会に参加しました。でも、効果はありませんでした。

画像5

▲今でも社内で研修やセミナーを多く実施して、効果を出しています。

 40代前後で、アニキと呼べる人たちとの出会いの中で、テクニックではなく、自分の心の在り方が大切なんだ、ということに気づくことができました。特に『箱セミナー』というのに衝撃を受けて、社内研修にも取り入れました。「自分で勝手に壁を作って箱の中にいませんか?」という問いから始まるんです。いろんな制限を作っちゃっているのは自分自身だっていう気づきが得られるんです。
 業務時間内にお金をかけて行っている研修なのに、社員たちは「参加させられている」感満載だったんです。後ろから見て、イライラしている自分がいました。そのとき、「あれ? これこそ自分の壁なんじゃないか」と気づきました。

 そこから徐々に変わっていきました。社員に任せる、彼らが主体的に動けるようにする、自分が頑張りすぎちゃうと、周りに変なプレッシャーを与えちゃうことがわかったので、いい意味で力を抜くことも覚えました。以前ならイチバン早くに出社してイチバン最後まで働いている、そんな姿を見せることが大切だと思っていましたが、今では「会合があるからお先に失礼するね」って帰っちゃいます。社員が笑顔でいられるようにするのが、社長の勤めだった思うようになりました。

画像1

社員に任せることで、みんながやりがいをもって働けるようになったと言います。一方で、会社だけでなく、地域や業界全体のことも考えているそう。自分の会社のことだけを考える視点から、もっと大きな視野で世の中を見ていることがわかります。

課題は地域コミュニティの活性化と
地方の水道工事会社の衰退をなんとかすること

 地域活動で、親子トレイルランのイベントを年に1回開催しています。相模原にある豊かな自然に、人々が集まるような催しをしようとというのが目的で始まったのです。単なるトレイルランだと走る人しか楽しめないから、家族みんなが楽しめるように、速さより参加する楽しさにフォーカスしたイベントです。それでもどうしても速さを競いたくなっちゃうので、5年くらい前から参加チームメンバー全員が手をつないでゴールするのを条件にしました。
 僕のやっている水道工事の仕事は、地域コミュニティの関係で成り立っているので、こういった地域の人たちとのつながりはとても大事ですね。

画像6

 また、最近、全国でどんどん水道工事の店がなくなっていっているんです。事業後継者がいないことが原因での廃業です。そうなると、そこで働いていた人も困るし、その地域の人たちも困るし、そこの社長さんも下手したら会社を整理するのに多大なお金がかかったりするので、誰にとっても不幸なんです。
 そこで、そういった会社を自分がM&Aして、うちからできる人間を派遣して社長にして、その後彼の資金がたまったら、自分で会社を買い取ってもらうような仕組みを作れないかなって思っているんです。独立して新しく自分で始めるためにはリスクが大きいけど、事業継承のカタチであればすでに地域のお客さまがいる。最初の資金をうちが出してあげれば、会社を大きくすることに専念できる。自分でやれる自信がついたところで買い取ってくれれば、当然価値が高くなっているので、僕にもメリットがある。

 僕の会社でどんどん若い子たちを育てて、日本中の後継者がいない水道工事の会社にまわしていく仕組みを作るためには、そこを担う人材も必要です。そこで全国の工業高校とかに赴いて「自分の会社に来たら6年で社長にしてやる!」と言って若い子たちを集めているんです。6年でできるかはまだわかりませんが(笑)、手始めにスタートさせたところです。
 日本中のお客さまが困ったときに地域の水道工事の店に頼める、そんな状況が確保できていること、これが、僕が今目指している夢です。

画像2

▲2019年受賞した相模原SDGsパートナーシップ賞。自社が取り組んできた事業やさまざまなことが地球環境のためになることを改めて実感し、より意識的に活動していこうと思ったと言います。

地方の事業継承問題と人材育成を兼ねたアイデアは、まさにかかわるすべての人にとってメリットがあります。きっとどの業界においても、同じような課題があります。若い人を育てて活躍できる現場に送り出し、容易に自立できるシステムが多くの業界で確立したらステキだな、と感じました。
また、小池さんのプライベートでの活動は本当にパワフルで楽しそうなものばかり。常に様々な人に出会って刺激を与え合い、学び合う姿が垣間見えます。こんな人が社長の会社、楽しくないはずがない! と思います。


下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!