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人は会うたびに別人になってるらしい

その時々で受ける印象がガラリと変わる人がいます。

優しい人かと思えば、身内以外には無愛想で素っ気なかったり、大人っぽいかと思えば、案外子供な側面がある場合も。

全てその人であることに変わりないのですが、まるで違う人をみているかのような錯覚を感じることがあります。実のところ、本当に単なる錯覚(思い込み)なのではないか、という風に思い始めた、そんな始まりです。


人は同じようで毎日が別人

時間という連続性の枠で捉えると、全て同じ一人の人です。ただ、一瞬という一コマのフィルムを切り抜いてみると、文字通り毎瞬別人であるといえます。人は瞬間ごとにその人格が変わっています。

よく、あの人は「表と裏」の性格がある、裏の性格が本当のあの人だ、などと人を分析する人がいます。ある意味では正しい推測ですが、事はそんな単純ではないように思えます。ありとあらゆる側面が存在し、その形態は時間軸によっても変化していきます。多くの場合、その一瞬の一片が全体であるかのように思い込みがちです。


解釈する人の数だけ「あなた」が存在する

「性格は流動的に移り変わり、あらゆる側面が存在する」とする考えがあります。もっといえば、解釈する受け手の数に応じてその側面も増幅します。人の印象というものは解釈する側によって確定されるので、万人が導き出せる絶対的な解は無いと言えます。

特定の誰かに対して「あの人ってどんな人だっけ」と頭のなかでイメージしてみます。その人の性格や言動、顔の造形や立ち振舞い、醸し出す雰囲気、好きな食べ物や趣味なんでもいいです。頭に浮かんだ「あの人」は過去の情報を元に作り上げられた印象に過ぎないと解釈することもできます。

身も蓋もない話なのですが、イメージって単なる過去の記憶(データ)です。それを踏まえて考えてみると、今この瞬間に頭に思い浮かんだ「あの人」と、実際に存在している「あの人」は一定の解離があると言えます。


印象が持つ時間的効力


「第一印象」という言葉があります。人の印象というのは、出会ってたかだか「第一回」目にも関わらず、半年にも渡って持続されるとう話があります。たまたま「機嫌が悪かった」場合でも、半年間「あの人はいつも機嫌が悪い人だ」と思われる可能性があるということです。

そう考えると、先程私たちが思い浮かべた「あの人」は、単なる第n回目の印象を重ね合わせでしかないんですよね。それが全てかのように思えますが、その印象は日々塗り替えられて然るべきです。要は、解釈する側が印象的に思えたたったの一瞬が、案外持続して当人の主人格だと勘違いされている場合が多いということです。


誤解はれっきとした解である

印象とは受け手の数だけ変わります。そして、その印象には持続性があります。あなたが「たまたま」口にした発言を、他人は案外長い期間覚えているものです。そして、その「たまたま」の言動によってあなたを嫌う人もでてきます。それを人々は「誤解」と呼びます。

今回の話で一番伝えたいことは、本当にそれは「誤解」なのか、という点です。あなた本人からすると「あの人は私の事を知らない」故に「誤解」が生じているのだ、と感じるかもしれません。ですが、人の印象とは受け手によって確定されてしまうので、その人にとっては既に「解」が出ているということになります。

既に出てしまった解を変えることはできません。既に答えが出てしまった以上、それ以上解きようがないからです。ではどうすればいいのか。変えることができないなら、新しい解を導き出せばいいだけです。(どこぞのアニメキャラが教えてくれました)


過ぎてしまったことに固執するから、今目の前で起きていることの全体像を見逃してしまう、みたいなことは割とあるあるです。「過去は過去」「今は今」とはよくいったものです。

過去の点は関係ない

その時々によって人に性格は移り変わります。にもかかわらず、多くの人は過去に捉えた部分的な一側面が、まるでその人の全体であるかのように思い込みます。たった一つの「時点」が今でも継続されているかのように錯覚してしまうのです。

短い期間だとその違いに気付きにくいですが、長期間でみるとその違いは明らかです。久しぶりに会った友人に対して

あれ、この人ってこんな人だったっけ?

と思うことは無いでしょうか。過去のある「時点」での友人と、あなたと再会を果たしたその「時点」での友人はまったくの別人です。「変わってないなぁ」と思ったとしても、あなたがそう思い込んでいるだけで、友人は様々な経験を通じて昔とは違う人になっています。とはいえ、根っこの部分はそう簡単には変わらない印象です。

毎回別人だと思って接することが相手の理解に繋がる

一度「わかった」気になると、その先を知ろうとはしなくなります。「もう知っていることだから、知る必要はない」と思考が停止してしまういことが良くあります。これは非常に勿体ないことだと思います。私もよくやりますし、今も正直完全に治ったかといえば自信はないですが。

「あの人は変わらない」と思い込み、過去の古びた情報を元にその人を決めつけてしまう。それは過去に固執している状態と言えます。人は毎日アップデートされる生き物であると思えば、自分が気づかなかった新たな側面を見つけ出すことにも繋がります。

私の場合、「本当の意味で相手を理解する」ことは不可能だと思っています。一方で、理解しようとする試みはとても尊い行為ですし、理解できないからこそ歩み続けられるものだとも思います。

(上記を読了してふとそんな考えが浮かんだ次第でした。)

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