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アメリカのデザインカルチャーは何がすごいのか?個の力か?組織か?スキームか?

その問いを確かめるため、実際にアメリカに来て、早4年目。いま何となく自分の中でその答えが見えてきたのでここにまとめておきたい。
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以下は全て個人の見解です。
また、本記事で扱う「デザイン」はUI, UX, プロダクト, サービスなどのデザインを指し、その他のデザイン領域(例えばファッション、ランドスケープなど)についてはこの記事の範疇ではありません。

あいつらは、本当にすごいのか?

by Unsplash

日本で働いていたとき、ずっと疑問に思っていた。
仕事もプライベートもアメリカ製品にまみれている。Macbook Air、iPadに、iPhone。その中身もgoogle, Facebook, amazon, Slack, notion, Twitch・・挙げたらキリがないほど、アメリカのプロダクトが無ければ、何もできない。

なぜこうもアメリカのプロダクトばかりなのか?
あいつらは一体何がそんなにすごいのか?
日本と何が違うのだろうか?
日本で毎日遅くまで頑張ってる自分は、アメリカで通用しないのか?

そんな疑問から、自分がこの分野の「本場」で通用するのか試したくて、メジャーリーグを目指す感覚に近いのかは分からないが、2018年に好奇心だけでアメリカに来てしまった。
それ以来、NYのデザインスクール修了、そのままデザインの教職、スタートアップでのデザインリードを経て、今は米銀行でスペキュラティヴデザインチームを率いて、未来社会のプロトタイピングをしている。

「俺より強い奴に会いに行く」を合言葉に、様々なデザイン組織で、人種・性別・年齢を超えて多様なデザイナーと協業する中で、表題の「アメリカのデザインカルチャーは何がすごいのか?」に対する答えが何となく見えてきたので、以下にいくつかの観点で整理しておこうと思う。

デザイナーの個の力がすごいのか?

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まず最初に、この国に来るまで自分が抱いていたのは、日本の比ではないほど、アメリカにはとんでもないスーパーデザイナーがごろごろいる、という幻想だった。

スティーブ・ジョブズみたいな未来が見えてるスーパーイノベーターと、即座にそのアイデアを形にしてしまうスーパーデザイナーがそこらじゅうにいて、魔法のようなプロダクトが毎日のように生まれている。そして天井の高い、「クリエイティブです」を体現したような仕事場で、いかにも仕事できそうな若い白人で、Dribbbleに美しい作品をアップして、たいがい犬を飼っている。そんなイメージ。

ある意味それが見たい、圧倒的な日本とのレベルの差を感じてむしろ絶望したい、というアブノーマルな期待を持って、この国にやってきた。

だが、それは本当に幻想だった。幸か不幸か、今に至るまで、こいつは本当にとんでもねえな!というレベルのデザイナーに会うことはできていない

もちろんアメリカのデザインスクールで出会った個性豊かな同期たち、そしてGAFAをはじめとするアメリカのトップ企業で生き残っているデザイナーは皆「優秀」だとは思う(そして確かに、たいがい犬を飼っている)が、日本のデザイナーと比較して、個のスキルで圧倒的な差があるとは思わない。この人すごいな、というデザイナーは日本時代の方が多かったと思う。

アイデアの発想力、リサーチの技術力、エコシステム構想力、ファシリと共創力、デザインツール運用力、ラスト1マイル走破力・・どの軸で切り取っても、日本時代に培った知識と経験でちゃんと戦えるじゃないか、と言う事実は単純に嬉しかった。

当然のことのようながら、開始1分で非の打ち所のない、完璧なアウトプットを仕上げられる人間なんていない。アイデアを着想しては何度も何度もプロトタイプを繰り返し、四方八方から叩かれながら磨き上げていく、というデザインの骨子となるプロセスは、アメリカだろうがどこにいようが変わらない。そこには神(もしくはジョブズ)の啓示も、魔法の杖も存在しない。

ああ、やっぱりアメリカでも地道にやるしかないんだ、アメリカのトップデザイナーでもこうして愚直にやるしかないんだ、ということを実際に自分の目で確認できたことは、これからまだ何十年とあるキャリアの梯子を登っていく上で、とても良かったと思う。

だから自分が言うのもなんだが、日本のデザイナーはもっと自信を持って良い。世界に認められているブランドやデザイナーが数多く存在する日本のデザイン文化がハリボテなはずはない。

1つアメリカと日本のデザイナーとで異なる点があるとすれば、この「自信」の面かもしれない。彼らは自分のデザインの価値を信じている。自分のスキルに自信を持ち、自分のデザインの力で問題を解決し、ユーザーや関係者や社会を変えられると信じている。もちろん私もだ。

それは文字通り、何十億人が使うような、世界を支えるプロダクトに関わっているから、ということもあるが、私個人がアメリカのデザインチームに所属して感じるのは、組織の中にデザインを理解し、褒めてくれる周りの人が多く存在するからだと思っている。
このビジュアルがやっぱり効いてるよねとか、あのアイデアの角度が良かったよねとか、最終成果物及びそこに至る過程の中で、デザイナーの存在意義を内省する。自分の良さを、他者が気づいてくれる。こうした、デザインの価値を声に出してリスペクトする文化が、デザイナーの自信を確信に変えるのではないだろうか。

「すごいデザイナー」は、周りの人が褒めてくれることで誕生する。

だからアメリカのデザイナーは、自分が一番価値を出せるストロングポイントをよく知っている。グラフィックは描けないけど、ユーザーリサーチなら任せて、とか、とりあえず人さえ集めてくれれれば何かコンセプト作ります!とか、自分が最も輝く場所を知っている。それをバリデートするのは自分ではなく、他者だ。

デザイナーは日々、「クリエイティブな仕事」という、とんでもない奇跡を起こしている。どんなアウトプットも、決して「簡単な仕事」「できて当然の仕事」と扱われてほしくない。

だから僕たちも、自分は何ができるデザイナーなのかを知ろう。そのために、仲間の創造性を褒めよう。

デザイン教育がすごいのか?

by Parsons School of Design

では、そうした個のデザイナーを育てるアメリカのデザイン教育はすごいのだろうか、という疑問が次に浮かんでくるが、これに関しても、個人的には、多様な国籍・バックグラウンドの学生と議論するなど、講義の座組面では日本では得られない経験も多かったが、教わる理論や内容自体は正直、日本の書籍などで知っていた内容も多く、全く見たことも聞いたこともないデザイン理論をたくさん学んだという感じではなかった。

今やネットで様々なリソースにアクセスできるから、ということもあるが、デザインスクールで教えている内容が、全世界アメリカでしか聞けない講義だったかというと、疑問符が付く。むしろ私が通っていたパーソンズ美術大学では、学生の内から発露する問いや試行錯誤を大事にするため、安易に理論やプロセスに当てはめることはむしろご法度であった。日本の教育課程の方がよっぽどきちんと理論を教えてくれているように思う(良くも悪くも)。

UXデザインやデザイン思考、デザインリサーチの教科書的な書籍や実践例が充実してきた昨今、日本の総合大学でもこうした講義が開講されるようになってきているし、FigmaやMiroなどの直感的なデザインツールは今や職業や専攻によらず、「誰でもデザインできるツール」として定着している。
先日、私も登壇した多摩美術大学の企画展「Tama Design University」の尖った講師陣のラインナップや講義テーマを見ると、「サーキュラーデザイン」「デザイン人類学」「政策のデザイン」など、よっぽど日本の方が最先端のデザインの研究・実践の知識を伝えているように思う。

デザインは人間に接続している以上、時代が変われば人間の価値観も変わり、常に新たなデザイン理論や概念が立ち現れてくるものである。また昨今はデザインを介してそれ以外の領域に越境していくことも見過ごせなくなってきており、学際的・異分野融合的プログラムの盛り上がりも年々高まっている。
例えば私の通っていたパーソンズ美術大学のTransdisciplinary Design(超学際的なデザイン)は先進的過ぎて、まだ世の中に該当する職種が無さすぎて多くの卒業生が(奇しくも)路頭に迷っているところであるし、日本でも多摩美武蔵美が「クリエイティブリーダーシップ」を冠するコースを立ち上げ、デザインを基点とした越境人材を育てようとしており、社会人にも広く門戸を開放している。

デザインが上記のように常に人間と共に進化・分化・突然変異する性質を持っているものだとすれば、教育は学生時代で終わり、という態度ではなく、例えば欧米のデザインリサーチ学会で議論されているような、先端的なデザイン研究にアンテナを貼り続け、生涯にわたって学び続けるという姿勢がますます必要になってくるだろう。私も30代でアメリカで2個目の修士を獲得するに至ったが、学位は結果でしかない。常に好奇心や向学心が先行すべきだ。

だが、学び続けるといっても、デザインは一方で常に社会・実践・現場とも接続しているので、大学の学士や修士をさすがに4個も5個も修了するのは現実的ではない。従って、幅広くクリエイティブ教養として自分で知識を吸収し続けることがより重要になるし、自分の実践知からオリジナルのデザイン理論を体系化したりするような、野良デザイン研究者なんかも現れてくるのではないだろうか(既に個人のデザイナーやデザイン組織から発信されるnoteはそうした性質を持っているが)。

エンジニアの間では自分の経験や実践知をまとめ、技術書典に技術同人誌として出版するというムーブメントがあるが、これのデザイナー版も盛り上がると良いなと感じている(デザフェスのように完成した製品を展示・販売するのではなく、実践知やプロセス自体を共有するような)。

欧米のデザイナー界隈は、noteに対応するものがMediumとしてあり、個人や企業がそこで積極的に実践知を発信しているほか、Hollowayのような自費出版できるサービスがあったり、Invisionなどの企業は自分たちの書籍ブランド「Design Better」を立ち上げ、pdf形式で独自の書籍を配布していたりする。

もしくはデザイン理論家のトニー・フライはタスマニアに「世界の最果てのスタジオ」という事務所を立ち上げ、都市部ではない場所で、人間と自然の関係性に関する、長期的なデザインの態度に関して、独自の理論をまとめた書籍を自分のWebサイト内で販売している。

そこでそれに倣い、今年は自分で自分の「Social Dreaming through Design」というデザイン理論をまとめ、勝手に同人誌として発表したいと思っている。本当に必要な人に届けば良い。それに応えるだけの熱量を込めて。

先日、韓国の弘益大学校デザイン学科で講演したときのもの。

だから僕たちも、常に学び続けよう。それを自分のデザイン理論として結晶化させよう。100人いたら100通りのデザインプロセスがある。一元的なフレームワークに思考停止で頼る時代は終わり、多元的に、自分(たち)のデザインフレームワークを作る時代が来ている。

デザインマネージャーがすごいのか?

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では、デザイナーの上のレベル、デザインの実践経験を積み、プロジェクトをリードしたり、若手デザイナーを率いていくマネジメントレベルのデザイナーはどうなのだろうか?

この点は、最も私がアメリカのデザインカルチャーはすごい!と思う部分で、おそらく日本のデザインカルチャーと一番差がある部分だと感じている。すなわち優秀なデザイナーは日米双方、数多いように思うが、デザイナーを統率する優秀なデザインマネージャーの数に差を感じている。

日本におけるマネージャーは管理職と称され、一般社員と明確に線が引かれ、厄介ごとが増えるからなりたくないという風潮も高まってきていると聞くが、私が経験している範囲では、アメリカのデザインマネージャーはもっとフラットで、デザイナーとしての経験の延長線上にあり、なるべくしてなるものである。マネージャーといっても多くのレイヤーがあり、さすがにCDO(最高デザイン責任者)や経営陣などの相当上の人と話すとなるとまた別だが、自分の上司(ディレクターレベル)くらいだったら特に気負わず話ができ、そこに見えない壁はない。

アメリカのデザインマネージャーはデザイナーの延長線上と表現したが、それはすなわちWBSやJiraの進捗・課題管理に追われるようなマネージャー像ではない。それは「プロジェクトマネージャー」という別の職種の人がやる。また、ステークホルダーやビジネスパートナーとの折衝やリソース管理に忙殺されるマネージャーでもない。それは「プロダクトマネージャー」という別の職種の人がやる。

そうした細かい分業がマネージャーレベルでも進んだ結果、デザインマネージャーは人間や顧客の目線で考え続けることができる。デザインに集中し、そのクオリティを高めるために存在する職種である。そのために手を動かすデザインだけでなく、組織の仕組みごと変えたり、新しい習慣をインストールすることもできる。だからデザイナーとしてできることが広がり、より広義のデザインの眼で、アウトプットのクオリティを高めることに集中するデザインマネージャーというポジションは、とてもエキサイティングなもののように思える。
Facebookのデザインマネージャー・Julie Zhuoが書いた「マネージャーのつくりかた」はデザインマネージャーのバイブルだ。(日本語版もある)

結局1日は誰に取っても24時間で、人間1人の処理能力にも限界があるため、色々なこと全てを1人のマネージャーがやらなければいけないのか、上記3種類のマネージャーが分業し、デザインマネージャーはデザインクオリティを高める業務に集中できるのかは、最終的な成果物のクオリティに直結してくる。

リソースの少ないスタートアップではそこまでの分業体制を敷くのが難しいこともあるが、アメリカではRethinkをはじめとした、デザインマネージャーを育成するようなトレーニング機関も多く、いかにデザイン(に集中できる)マネージャーを増やしていくか。そのための分業体制を築けるかは、私自身もいま、日本のデザインチームのコンサルなどもやりながら、取り組んでいるテーマである。

他部署からやってきて、WBS管理だけしてる人がデザインマネージャーをなぜかやっているという事件はもう、起こしてはならない。

だから僕たちも、マネージャーがデザインに集中できる仕組みを作ろう。なりたいと思えるマネージャーを増やそう。強い個が、強いマネージャーにそのままなれるように。

デザイン組織がすごいのか?

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ここまで個のデザイナー、デザインマネージャーについて考察してきたが、そもそもの組織の分業体制や、デザインチームの文化が優れているから、強い個が育つ、ということも多かったことに気づく。自律して活躍する強い個が集まっているから強い組織が育つし、組織を強力に先導するビジョナリーなリーダーがいるから強い個が育つ。

鶏が先か、卵が先か問題よろしく、トップダウンで組織の体制を整備するのが先か、ボトムアップに自律的でモチベートされた個のデザイナーを増やすのが先か、どちらを先にやれば良いんですか?という質問が挙がってきそうだが、これはもはやどちらが先という問題ではない
個人・マネジメント・組織と、あらゆるレイヤーで当事者全員が考え、同時並行的に変化が起きなければ、問題は解決しないということだ。個から全体まで、全ては相互に影響し合っており、切り離せないのだから、個も全体も同時に変わらなければならない。これは21世紀の複雑な問題に立ち向かう、トランジションデザインの哲学にも通ずる。付け焼き刃的にデザイン経営始めてみましたとか、社員1名がDesignship Do受講しましたとか、それ自体はとてもよいことだが、それ単体・一時的な施策だけで解決する話ではない。

ではどうすれば良いのかということに関して、1つありえることは、どこを目指すのか、組織の北極星を明確に可視化・言語化することだ。

アメリカの大企業のデザインチームに入って気づいたことは、大企業だからといって慢心せず、組織のパーパスやレベル管理をきっちりやり、それが全社員に透明化されているということである。例えばairbnbやgoogleなど、最も優れたデザインカルチャーを持つ企業をレベル5なら5と定義して、それを目指すとするならば、今自分達はレベル何なのかを定義し、今年レベルが何から何になったのか、そして何年でレベル5になるのかということが明確に言語化され、進捗状況が全て共有されている。こうすることで組織のカルチャー自体も進化していることを個人レベルでも感じることができる。

先日、私が多摩美のトランジションデザインの講義で伝えたかったこともこれに関連している。個人・組織・社会、あらゆるレイヤーで、何か良い方向へのトランジション(移行)を描くためには、何かを変えるためにとりあえずアクションを起こしてみたくなるが、現在地と目的地がちゃんと見えていなければ、正しい方向のアクションを起こすことができないということである。

岩渕の「トランジションデザイン」講義より

さぞかしこうしたデザイン組織を統括するCDO(最高デザイン責任者)は大変なんだろうなと思いつつ、大企業ではこのシニアマネジメントレベルも上手く分業されている。CDOはほぼ経営陣方で、ビジネスマネジメントが主となり、組織のカルチャーやコミュニティ醸成のリーダーだったり、DesignOpsのリーダーは別途いる。最高責任者なんだから全部見るという世界観はここには存在しない。

DesignOps Handbookより

それだけ分業できる層の厚さがある、と言うこと自体が、アメリカのデザインカルチャーのすごさなのかもしれない。

だから僕たちも、組織の現在のレベルを知ることから始めよう。本当にそのレベルを上げる意志と情熱さえあれば、デザイン経営などの手法は後から自然発生するはずだ。

プロダクトを世に送り出すスキームがすごいのか?

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最後に、そうしたクリエイティブなプロダクトを世に送り出すスキームについても触れておきたい。シリコンバレーのスタートアップカルチャーや、airbmbやpintarestが華々しくIPOしたニュースなんかを見ると、さぞかしアメリカはスタートアップを醸成し、プロダクトをスケールさせる環境が整っているんだろうなと思いがちだが、そんなに甘くはない、というのが私の所感だ。

多くのスタートアップが生まれては、スケールせず消えていくプロダクトも星の数ほどあるのはアメリカでも共通しているし、最新技術使ってます、だけではもうなかなかスケールしない、というのは私がアメリカのスタートアップで働いていた時の感想でもある。

ただそれは優秀なデザイナーが流動することによる業界全体のダイナミズムを生み出す。大企業でしばらく働いたらスタートアップに挑戦し、失敗したらまたテック企業に戻ればいいか、というようなマインドセットのデザイナーも多い。また、そもそも大企業にいたとしても組織にとって不要になれば即解雇されるカルチャーなので、安定という文字はこの国にはない。

コロナ禍の2020年、airbnbが25%の従業員を解雇するなど、毎日のように悲しいニュースが流れていたが、COVID Design Layoffsのような、コロナによってレイオフされたデザイナーを紹介し、業界全体で救済するようなサービスがまた新たに誕生する動きにも繋がっている。

COVID Design Layoffs

つまるところ、リスクを取り、チャレンジし、不安定を許容することが、翻って安定した自分の成長につながるのではないだろうか。もう日本だって、同じ企業で終身働く時代は終わった。不確実に慣れ、複雑さを許容しよう。

この辺りは日本のワークスタイルとは大きく異なる点だが、全てアメリカ式にすれば良いということでもないと思うので、日本なりのやり方を模索していく必要があるように思う。リスクを取るということは別に今すぐ会社をやめましょう、ということでもない。今所属している会社の中でも、挑戦できることはもっとあるのではないだろうか。そうしたことは上司からやれと言われてやるものではなく、自分から扉を開けるものだ。

だから僕たちも、安定の外に出よう。それが長期的な意味で自分の安定を形成すると信じて。

日本のデザインカルチャーをすごくするために

ここまで複数の観点で、アメリカのデザインカルチャーが本当にすごいのかどうかを見てきたが、個々のデザイナーのデザインスキルがすごい、というよりも、デザイナーとデザインマネージャー、デザインとビジネス、スタートアップと大企業、組織と業界全体、細分化された個別の要素全てが緩やかに繋がっていて、業界全体の代謝に繋がっているように思う。

そうした大きなうねりを現在進行形でアメリカで感じているからこそ、日本に対してできることがかなりある気がしており、zoomやMiroを活用して日本の企業や大学のビジョンデザイン、デザイン組織のデザインをサポートしている。長々と語ってきたが、私はデザイン思想家ではなく、デザイナーなので、現場で起きている事件を解決していかなければいけない。そしてもっと日本のデザインカルチャーをすごくしていかなければならない。アメリカに来て改めて、日本のデザインカルチャーはこれを超えられると信じているから。

でもそれは実は何年がかりの事業で、良き2030年のカルチャーを作るために、今から仕込んでいかないといけないと感じている。

そのパーパスは正しい粒度、正しい方角のパーパスか?
目指すデザインカルチャーLv.5とはどんな状態か?
どうしたら一般社員をクリエイティブなデザイナーに変えられるか?

など、デザインカルチャーを醸成したりビジョンを作ろうと思ったら必ず突き当たるであろう疑問に、今なら答えることができる。

今年はこうしたビジョンデザインやトランジションデザインの領域で、日本の企業と検討しているプロジェクトも、発表できるものが出てくると思うので、乞うご期待。

嬉しいのか悲しいのか、アメリカで仕事を終えると、ちょうど日本の朝イチミーティングができるようになるので、もう何年連続か分からないほど、日米双方でキャパオーバーな働き方をしておりますが、引き続きこの2022年、本年もよろしくお願いいたします。


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