共感して安心したい生き物、私たち
noteを読んでいるといろんな人がいろんな記事を書いていて、思ったこと。
それはLikeの獲得数に、頭の良さは関係ないということ。
もちろん、人に刺さる文章の書き方とかストーリーの背景を想像させるようなテクニックはあると思うんだけど、根本的な頭の良さは関係ない。
like=共感数
結局、likeの数は共感数だと思っている。
私の勤めている会社の社長はnoteを毎日投稿しているんだけど、正直あまりlike数は多い方ではないと思う。
他SNSのフォロワーではそこそこのフォロワー数がいるのに、noteの記事はあまり読まれていない・・。(社員の立場からしてみると少し不甲斐ない気もするが)
文章が面白くないかと言われればそんなことはなく、自著も出版しているくらいなので最終校閲が入っているとは言え、noteの記事も起承転結はちゃんとしていて読み応えはあると思う。
しかし、私の記事「25歳独身女彼氏持ち、マッチングアプリを始める。」のlike数とあまり変わらない記事が連なる。。
知名度も地頭も私よりはるか上の人の方が書く記事の方が、読む内容としてはよっぽど価値があると思うんだけどなんで?
人間は共感して安心したい生き物
まあ答えはいたってシンプルで、人間が他の人間の人生を見て「私だけじゃないんだ」と安心したい生き物だから。
私の書いた記事にlikeをくれた人はきっと同じような経験をして悩んでいる人とか、この先の人生に不安を感じている人が多かったんじゃないのかな。
だから私の記事を読んで「もっと気楽に生きてもいいんだ〜」「私だけじゃなくで同じように悩んでいる人がいて安心した」と思ってくれた人がいたらすごく嬉しいなと思う。
一方で社長の書いている記事は、いわゆる経営者目線からの記事が多いからその同じ層の人からは抜群な指示を受けるのかもしれないけど、母数的にはマイナー。
つまり私くらいの年齢で同じような悩みを抱えている人の母数がめちゃくちゃ多くて、社長の記事より若干ヒットしやすい、のかも?
もちろん社長には社長の悩みがあるだろうから、全く悩みがないって言っているんじゃない。
でもその悩みを聞いたところで、一般会社員はきっと想像できない=共感できないんだよね。
共感を求めるのは悪い事?
誰かに共感を求める事は悪いことではない。
もちろん「私の考えが絶対!」と押し付ける事は良くないけどね。
共感を求めた上で自分のことをわかってくれる人たちと自分の住みやすい環境を作っていくものだと思うから、むしろ自分が無理をしてまで誰かに理解してもらおうとか、分かろうとかする必要はない。
こんなまとまりのない文章を書いている私でも共感してくれる人がいて、
それが私の生きる場所の一部になっているし、私を孤独にさせないでいてくれる。
1つのlikeは誰か私の気持ちをわかってくれる人が、この世の中に1人いるってことって勝手に思ってる。
ありがたい、、!
私が私の日々を発信することで
私の悩んでいること、思っていること、嬉しかった出来事を発信することでここが誰かの、本当に小さなスペースでいいから居場所になってくれていたら嬉しい。
大丈夫、この世の中一人になる方が難しい(笑)
ぜっっったいに孤独じゃないよ。
わかってくれる人がいる。
生きにくい世の中だけど、それなりに、気張らないで生きていこう。
みんなの人生に幸あれ!!
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