徳川家康 | 関ケ原の戦いから考える高校での学習
中学の歴史分野で、徳川家康と関ケ原の戦いを学習します。この戦を学習したことを高校への学習につなげることを考えて、今回のnote記事を投稿しました。
当時の内容について、中学で学習する一般的な内容です。
徳川家康【関ケ原の戦い】
秀吉の後、豊臣氏の力が弱まりました。関東を領地としていた徳川家康は、力をたくわえていて、これをチャンスと踏んで、全国支配の実権を取りにいきます。
大阪城があるように、豊臣は西軍です。それに対して江戸の家康は東軍です。
西方は、石田三成などです。東の家康と天下分け目の関ケ原の戦い。
今の岐阜県で、関ケ原の戦いです。
勝ったのは徳川家康の東軍です。
それ以後、征夷大将軍となった徳川家康は江戸に幕府を開き、15代将軍の徳川慶喜の大政奉還までの約260年の江戸幕府が続きます。
フォーカスする人物
この関ケ原の戦いを学習するときに、小早川秀秋に注目です。
秀吉と同じ「秀」が名前に使われているように、もともとは西方です。
しかし、家康は手をまわしていて、関ケ原の戦いで小早川勢力は家康の東軍に寝返ります。
味方だと思っていた西軍は、想定外です。
このような想定外の出来事から、調子がおかしくなるということもあるかと思います。
この中学の歴史を学習したときに、ちょっとした高校の学習への教訓と思うと良いかもしれません。
高校になると、数学で、様々な用語が出てきます。それらについて、内容が定められているのですが、正しく内容を押さえておくことが大切になります。
小早川勢のように、肝心なときに、敵になって足をすくわれるかもしれません。
ややこしい用語
これなど典型的な注意をする用語です。
肝心なときに、意味を取り違えていると、まちがってしまうかもしれません。想定外の出来事は、なるべく未然に防ぎたいところです。
高校の理系科目は、途中のプロセスを正確に築きますから、その分、途中に誤りがあると、後がこけてしまいます。
小早川の寝返りで状況が変わるように、足をすくわれないように、日頃からの学習において、用語の内容を正しく理解しておくことが大切かと思います。
ちなみに、徳川家康が江戸に幕府を開いたのは1603年です。豊臣氏を大阪城にほろぼし、反対勢力を除いて強固な体制を江戸に築きました。
高校の理系科目、論理的な考察で、不安要素の無い状態でテストに臨むためにも、普段の学習で基礎を大切に!
これで、今回のnote記事を終了します。
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徳川幕府の政治史の流れで、次の記事を投稿しています。
武士について、次は平氏の記事になります。
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