八代将軍 徳川吉宗【享保の改革】
江戸幕府が始まり百年くらいが経過した1716年(享保元年)に、吉宗公が即位します。
歴史を学習する上で、始まりからの内容との連動があるので、歴史の用語や内容を正しく押さえることが大切になります。
幕府の政治史に焦点を当て、江戸幕府の始まりの基礎から押さえ、その上で改革の内容を押さえるようにします。
教科書を勉強するときに、あちこちに内容が飛ぶので、つながりを整理するという学習が必要になる内容となります。
そこで、幕府政治の基礎を、この記事にまとめることにします。
徳川泰平の世の基礎
江戸幕府の政治のしくみは、三代の将軍の間に固まりました。
関ケ原の戦いの後、江戸に幕府ができ、大名が大別されました。
徳川の一門を親藩といい、関ケ原の戦いより以前に従っていた者が譜代大名、関ケ原の戦い前後に従った者を外様大名といいます。
この徳川一門ですが、将軍となることができる藩として、御三家があります。
尾張の名古屋、紀州の和歌山、そして水戸の三つの藩が世継ぎの将軍となる藩です。
戦いの前後という比較的に浅いつきあいの大名を外様とし、反乱に警戒するというわけです。
天下を取ったわけですが、謀反(反乱)の可能性を防いでいかなければ幕府を長く続けることができません。
そこで、法律を制定します。
1615年に定められたのが、武家諸法度です。
・大名がひそかに同盟を結ぶことを禁止
・大名が無断で城を修理したりするのを禁止
この法律に背くと、領地を取り上げるなどの重罪となりました。
政治の実権は将軍がにぎります。
その下に、老中という役職が置かれ、政治の運営に当たりました。
※ ときには、老中の上に大老が置かれることもありました。
老中の下は、寺社奉行・町奉行・勘定奉行の三奉行で政務を分担です。
家光公のとき
謀反を封じるべく、参勤交代の制度が定められました。
大名は1年おきに領地と江戸に住み、妻子は江戸の屋敷に住まわせるという内容です。
江戸と領地を行き来するには、お金と時間がかかります。江戸に住むのもお金がかかります。その上に、妻子が江戸にいるので、反乱の動きがとれないだろうということです。
このようにして、徳川が盤石を期したかのように思えます。
しかし、この幕府運営を脅かす原因は、存在しました。
その一つは、島原の乱に現れています。
島原(長崎県)や天草(熊本県)で、農民が圧制に苦しみました。
そして、天草四郎をかしらとした一揆が起こりました。
この島原の乱を鎮めるのに幕府は4か月くらいかかるほどでした。
苦しくなると一揆が起き、それが大きいと幕府政治を揺るがすというわけです。
この家光公のときの島原の乱では、さらに外国からの脅威も警戒されました。
外国からの影響で幕府政治が揺るがされるということで、鎖国の状態に入りました。
約200年くらいの鎖国になります。
これで、外国からの脅威への対策を講じたわけです。
しかし、幕府運営は大変です。泰平の世を維持するために、立ち向かうことが他にもありました。
八代将軍、徳川吉宗の改革
時が流れ、1716年に紀州藩から八代将軍として吉宗公が即位します。
この頃の江戸幕府を襲う脅威は、財政難です。
幕府の経済的な危機をどうするのか。
ここで、質素・倹約がすすめられるわけです。
吉宗は、家康の政治を理想とし、質素・倹約をすすめ、武芸を奨励します。
そうすることで、武士の精神を引き締めるわけです。
さらに、財政を立て直すために、町人の財力を利用して新田の開発をはかります。
それに加え、年貢の率を引き上げました。
また、目安箱を設置し、広く人々の意見を求めました。
他にも、能力のある武士が重要な地位につえるようにしたそうです。
町奉行の大岡忠相が、吉宗に取り立てられたといったことは有名です。
吉宗も法律を制定します。
武家諸法度と混同しないように注意です。
吉宗が制したしたのは公事方御定書です。
このような一連の改革が享保の改革です。
享保の改革でどうなったか
享保の改革によって、幕府の収入は増加しました。
そして、財政は、いったんは立ち直ることになりました。
しかし、農村では重い年貢の上に天災が重なり、飢饉が起こり、百姓一揆が増加しました。
大名が町人に頭を下げ、借金をするという大名の財政難の時代、この語、ますます借金に苦しむこととなっていきます。
こういった流れの中で、商人を利用した吉宗の方針が、次に老中の田沼意次の株仲間の奨励へとつながります。
株仲間に特権を与えるかわりに、税を取りました。
財政から商人の力が強くなり、賄賂で政治が乱れるということになっていきます。
内政に江戸幕府が苦労する中、その頃に世界では近代化の流れが出てきました。
1688年がイギリスの名誉革命の年です。
同じような時期に、イギリスでは天才が出現します。
ニュートンによる万有引力の発見というように、自然科学が発達していきます。
幕府を後に脅かす西洋の近代科学が海の向こうで動き出しているという時代の中、江戸幕府の政治が続いていくことになりました。
一つ前の時代については、こちらの記事で商人が力をつけてくる内容を解説しています。
今回は歴史の記事を投稿しました。
岩井の数学ブログというサイトをやっておりまして、そこでは数学の記事を投稿しています。
ニュートン、ライプニッツの時代に発達した高校数学の微分についての記事です。
次はnote記事です。
初代の家康と関ケ原の戦いの頃の内容です。
それでは、これで終了します。
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