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性別よりも譲れないもの。 ーーー 映画「さかなのこ」レビュー ネタバレあり

もうあちこちのSNSで上がってしまっているので、ネタバレもなにも無いと思いますが、この映画の冒頭に表示される、

男か女かは、どっちでもいい。

近年稀に見る最高のパワーワードだと思いました。

まずは公式サイトからあらすじを引用します。

お魚が大好きな小学生・ミー坊は、寝ても覚めてもお魚のことばかり。他の子供と少し違うことを心配する父親とは対照的に、信じて応援し続ける母親に背中を押されながらミー坊はのびのびと大きくなった。高校生になり相変わらずお魚に夢中のミー坊は、まるで何かの主人公のようにいつの間にかみんなの中心にいたが、卒業後は、お魚の仕事をしたくてもなかなかうまくいかず悩んでいた…。そんな時もお魚への「好き」を貫き続けるミー坊は、たくさんの出会いと優しさに導かれ、ミー坊だけの道へ飛び込んでゆくーー。

映画『さかなのこ』公式サイトより

あのさかなクンのんが演じる。その話を聞いた時、おーっこれはハマり役だ!とピンと来ました。出落ちというか、とにかくこのキャスティングの時点で9割方面白い映画になることは確定したようなものだと、そう感じてずっと楽しみにしていた作品です。

私はTVチャンピオンに最初に登場した時にさかなクンを知り、その後の彼の活躍を見てきました。あの番組は個性的な人物を多数排出していますが、さかなクンは別格と言っていいでしょう。いつまで続くかと思われたギョギョギョのキャラクターは一層濃くなり、さかなに対する愛情も衰えることを知りません。頑固なだけではこんなに続けては行けない。計算だけで続けられるわけがない。今のさかなクンがさかなクンそのものであることの、何よりの証です。

そんなさかなクンを演じることができるのは、何者でもなく、自分自身でいることしかできない人。少々の挫折程度では自分を曲げることができない人。そして常に前を見続けている人。「男か女かは、どっちでもいい。」その言葉の裏側には、沖田監督に性別以上に譲れないものがあったことを示しています。さかなクンの強い行き方を体現できる役者、しかもハコフグの帽子をチャーミングにかぶりこなすことができる役者。監督のご指名ではなく、消去法で選んだとしても、残る役者はこの人だったろうと私は思います。

予想通りのんさんの起用は大成功でした。

劇中、イントロの部分を除けば「ギョギョギョ!」というさかなクン言葉は決定的なところまで抑えられます。ある意味最も簡単にさかなクンを演じるキーパーツを封じられたのんさんなのですが、それでも彼女は見事にさかなクンという人物を真芯で捉えていたと思います。

ところがこれで終わらないのが沖田監督の凄いところです。

なんと本人のさかなクンにギョギョおじさんという役名を与えて登場させてます。これはかなり早い段階で公開されていたのでご存知の方も多いと思います。私は話題作りのゲスト扱いで本人を出すなら逆効果なんじゃないかと思っていたのですが、とんでもない。超重要人物として登場します。そして、その人物は確かにこの役はさかなクンにしかできない役だと思いました。ミー坊に強い動機を与える印象的な場面があるのですが、彼がギョギョおじさんを演じる理由が確かにありました。

つまり、本人が別人を演じても構わない。そこにも監督の譲れない意図を感じました。さかなクンがさかなクンではない別の人物を演じたとしても、冒頭に切った啖呵「どっちでもいい!」のおかげで観客は納得できるわけです。これはもうまったくすごい。

最終的にこのミー坊とギョギョおじさんが実は表裏一体だということが、この映画の大きなテーマになっていきます。

さかなクンはよく子どもたちに「自分が好きなことを好きで居続けてほしい」みたいなことを語っているのですが、私の記憶では「それが成功につながる」とは言ってなかったと思います(うろ覚えですみません)。

この作品も同様で、さかなクンがさかなをずっと好きだったから成功した、という形にはなっていません。むしろさかなの知識と絵を書くことしか取り柄のないミー坊は、彼自身の努力よりも彼を取り巻く人々の支えによってチャンスを掴んでいきます。

ミー坊は合う人合う人に「変わんねぇな」と言われます。ミー坊は変わらない。でも彼の周りの人達は皆変わっていくのですが、この作品は人が変わっていくことも肯定しています。柳楽優弥さん演じるヒヨは自ら不良から足を洗って猛勉強をして彼なりの成功をつかんでいく。それもまた人として正しい姿です。一方で夏帆さん演じるモモコのように、上手くいかない人生のなかでいつの間にか変わってしまう人もいる。しかし、大人になったヒヨもモモコも、変わらないミー坊と再会することで失いかけた何かを取り戻していきます。

人は多くの場合年齢とともに変わっていくものです。変わっていくからこそ、変わっていない誰かに合うことがとても大切なことのように思えます。その誰かと会えば、変わってしまった自分が見えてくるような。それが良い変わり方なのか、悪い変わり方なのか。もしそれが悪い変わり方だとしても、変わる前の自分を少しだけ取り戻させてくれるような誰か。もしそんな存在が身近にいてくれたとしたらそれはとても幸せなことだし、失いたくない。だからミー坊は周囲の人たちに愛され、支えられているのです。

そんなミー坊に対比して描かれるギョギョおじさん。繰り返しになりますが、街中に確実に存在する "さかなクンになれなかったたくさんのさかなクン" の中の一人を、さかなクン自身が演じることに大きな意味があります。

もしかしたらさかなクンはギョギョおじさんの側だったかもしれない。その視点をこの作品はすごく大事にしているし、たとえそうであったとしても「好きだ」という気持ちは宝物なんだというメッセージが強く伝わってきます。

脇を固める役者さんも素晴らしく文句のつけようがありません。井川遥さんは素敵だったし、柳楽優弥さんとのんさんは予想通りの相性の良さ。不良チームはもうずっと面白い。そして何より子役!ミー坊の幼少期を演じる西村瑞季さんの可愛さったらないので、ぜひ劇場でご確認を!

とにかく、さかなクンが大好きなお子さんはもちろん、子育て中のお父さん、お母さん、さらにはその上のおじいさん、おばあさんまで分け隔てなく楽しめる作品です。両手放しでお薦めします!

うちのカミさんもよく大の字になって口半開きで寝ているけど、のんさんのようにかわいい感じにならないのはどうしてなんだ?


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