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ベタをやるにはココが要る --- 映画「天間荘の三姉妹」レビュー ネタバレあり

※今回は敬称を略させていただきます。

感想は後ほど、とつぶやいておきながらずいぶんと時間が経ってしまいました。この作品を褒めたい自分とその逆の自分がいてどうにも感想がまとまりません。

とりあえず公式サイトのあらすじを引用します。

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 天界と地上の間にある街、三ツ瀬。美しい海を見下ろす山の上に、老舗旅館「天間荘」がある。切り盛りするのは若女将の天間のぞみ(大島優子)だ。のぞみの妹・かなえ(門脇麦)はイルカのトレーナー。ふたりの母親にして大女将の恵子(寺島しのぶ)は逃げた父親をいまだに恨んでいる。
 ある日、小川たまえ(のん)という少女が謎の女性・イズコ(柴咲コウ)に連れられて天間荘にやってきた。たまえはのぞみとかなえの腹違いの妹で、現世では天涯孤独の身。交通事故にあい、臨死状態に陥ったのだった。
 イズコはたまえにいう。「天間荘で魂の疲れを癒して、肉体に戻るか、そのまま天界へ旅立つのか決めたらいいわ」。しかし、たまえは天間荘に客として泊まるのではなく、働かせてほしいと申し出る。そもそも三ツ瀬とは何なのか?天間荘の真の役割とは?

映画「天間荘の三姉妹」公式サイトより引用

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この作品は髙橋ツトムの人気漫画「スカイハイ」のスピンオフ作品「天間荘の三姉妹-スカイハイ-」が原作です。それなりに長い作品を上手く1本の映画にまとめていましたが、やはり説明が足りないと感じるところも多々ありました。わかりにいポイントについて少し私なりに整理してみます。
※ちなみに私はスカイハイそのものにはそれほど詳しくはありません。多少間違っていてもご容赦ください。

三ツ瀬には二つの役割がある

映画の中で何度も説明されているにもかかわらず忘れがちなってしまうのは、三ツ瀬の住人は震災で命を失った人であり、天間荘の客は臨死状態で死んではいないということです。

この場所を作ったのがイズコなのかあるいはイズコよりさらに大きな力を持つ何かなのかはわかりませんが、三ツ瀬は震災の惨禍を目の当たりにしたイズコの強い意志によって作られた空間ということになっています。

三ツ瀬は理不尽な死を受け入れられずに彷徨う魂が、自らの死を受け入れることができるまでの時間を過ごす場所となっています。三ツ瀬の住人は自分が死んだことを知らないように見えますが、実は彼らはわかっています。わかっているけれどもそれを認めることを無意識に拒んでいる人たちで、今でも生きて生活していると信じたい人たちなのです。

そんな彼らになるべく自然な形で自分の死を受け入れさせ、一人一人の魂を天界に送り再生の手助けをする、それが三ツ瀬という場所の第一の役割です。

一方で、三ツ瀬の中でも天間荘だけはちょっと違っています。天間荘はイズコから特別な役割を与えられており、そのために天間荘の家族だけは自分たちがすでに死んでいること知っています。イズコの役割は脳死状態にある魂を呼び寄せて生きるか死ぬかを選択させるわけですが、最終的な決断を下すまでの間「魂の疲れを癒す」ための場所として天間荘は存在しています。

この役割において、天間荘は三ツ瀬の住人について何か影響するような立場にはありません。イズコが送り込むお客をもてなすことが、天間荘の役割となっています。

ここがはっきりと区別できていないと、終盤のイルカショーでの「イズコ、もうそろそろいいんじゃないか」で始まる大女将の大演説と観客の反応がよくわからないものになってしまいます。

スカイハイとは少し違うイズコ

私が知っている限りスカイハイの「恨みの門」のルールはこんな感じでした。

イズコが呼び寄せるのは恨みを抱えて死んだ者の魂
・選択肢は3つ
 恨みを晴らして地獄へ落ちる(お逝きなさい)
 死を受け入れ天界に向かい再生を待つ(お生きなさい)
 そのまま現世を魂のまま彷徨い続ける(お行きなさい)

しかし本作における「三ツ瀬の門」のルールは違っていて、

イズコが連れてくるのは生死の境を彷徨っている魂
・選択肢は2つ
 生きて残りの人生を全うする
 死んで新たな命としての再生を待つ

この三ツ瀬のイズコのルールがスカイハイと比べるとわかりにくいのです。

人は多かれ少なかれ死の直前には生死の境を彷徨うわけで、イズコはそのすべてを拾い上げて三ツ瀬に連れてくるわけではありません。映画の中ではたまえと、財前玲子(三田佳子)、芦沢優那(山谷花純)の計三人が天間荘の客として招かれています。私はイズコが彼女たちを天間荘に呼んでどうしたいのかが今ひとつはっきりしなかったのですが、この三人の共通点を考えるとイズコが呼び寄せる条件がわかってきました。

彼女たちの共通点とはなんでしょうか。それは、生きることに絶望している人たちだということです。主人公のたまえであっても母親を失い、父親も突然姿を消しという不遇の人生を送っています。つまり「天間荘の三姉妹」でのイズコは徹底的に救済の側に立っています。パッと見無表情で冷たい表情に見える柴崎イズコですが、このイズコは常に魂を救うことを考えている存在です。恵子がイズコに向かって言う「結局、全部アンタの思い通りになった」というセリフは、イズコの目的が三ツ瀬の人々の魂を全て救うことにあったことを意味しています。

「この娘は生きている」の意味

この映画で一番難しいシーンが、上でも書きましたがイルカショーでの大女将の大演説だったと思います。私は2回観ましたが、正直1回目はよくわかりませんでした。特に「この子は生きている!」というセリフ。まあ生きていること、命があるって素晴らしいってことを言いたいのかな、とも思いましたが、それをイルカショーの観客に訴えるってどういうことなのか、そしてそれを聞いた観客、つまり三ツ瀬の住人が何をどう納得したのか、そして水の中でたまえが見た光景はなんだったのか。話の道筋が全然つかめなかったんです。

で、2回観てようやくこういうことかな、と思うに至りました。

話は飛びますが、かなえと一馬の逢瀬のシーンで三ツ瀬が死者の世界であることを理解しつつある一馬がこんなことを言います。

ここには仕事もある、病気もしなければ、怪我もしない…

正確ではありませんが、まあそんなことを言うわけです。つまり三ツ瀬ではかりそめの日常が続いてはいるものの、変わらない日々が続いています。そして変わらない日々を続けるために、三ツ瀬には本来ここにいるはずのない一馬の父や、水族館の館長の息子などが実体化しています。ここからは私の勝手な想像です。おそらく三ツ瀬では人々が「成長」することはありません。そして成長につきものの「失敗」も無いはずなのです。

それを考えるとたまえの失敗がとても特別であることがわかります。たまえが失敗をする。それはたまえが成長しようとしている姿であり、生きている証拠です。そしてそれは三ツ瀬に住む人々との決定的な違いです。大女将はその違いを三ツ瀬の住人に伝えようとしてあの大演説につながっていきます。たまえの姿を見た以上、それを認めないわけにはいかないだろうと。それはまさに止まっていた三ツ瀬の時間が再び動き出す瞬間だったのです。

海に突き落とされたたまえが見た景色は、おそらく三ツ瀬の住人が心の奥底に沈めてきた、自分たちが飲みこまれた海の記憶です。彼らがその記憶を取り戻す瞬間、その光景が具現化してたまえの眼前に現れたというのは私の考えすぎでしょうか。しかしその記憶に触れることでたまえは自身に課された役割を理解していきます。

彼女に課された役割とは、死者の思いを現世に届けることで、同じように時が止まったままでいる現世の人々の時を再び動かすことにありますそれこそがこの作品のテーマなのだと私は理解しました。

で、この映画の問題点ですが、このあたりの大事な部分がすっきりわかるようになってないんです。そのおかげで大女将の演説が「なんとなく良いこと言ってる風なだけ」に見えてしまう。そこがとてももったいないと思います。(特に高橋ジョージはいただけない。まったく余計な情報で私は緊張感がぶっつりきれてしまいました。)

ベタをやるにはココが要る

私は大女将役の寺島しのぶを見ていて「ベタをやるにはココが要るんだよ」という志村けんの言葉を思い出しました。ココとは "腕" のことを指してます。

この難しい話をまとめるために、映画の終盤はかなり説明的なセリフやうまいこと言おうとするベタなセリフが増えてしまい、ちょっと観ているのがつらい場面がかなりありました。こんなに苦しい演技を強いられている寺島しのぶを見るのは初めてなんじゃないかと思います。それでも与えられた台本にいかに説得力を持たせて役を生きるかが役者としての腕の見せ所なんでしょう。ベタベタのセリフを役者全員が堂々と発する姿は、まるで新喜劇の締めの場面のようでした。でもこれは決して悪い意味ではありません。

私はずっと新喜劇のベタな笑いやちょっと涙を誘うような締め方が苦手だったのですが、齢のせいでしょうか、最近はそれもありだなと思うようになってきました。そういう物語を必要とする人たちもいるということがわかってきたのです。そう考えるとやけに豪華なゲスト出演者の顔ぶれも理解できます。難しいことはわからないけど、知ってるタレントさんがたくさん出てきて面白かったね、という楽しみ方もひとつの映画の楽しみ方なんだろうと。

そしてこの天間荘の三姉妹という作品は、それでいいと私は思いました。

さて、役者さんについての感想ですが、主演ののんはめちゃくちゃ頑張っているのはよくわかります。しかしながらいつも通り演技というよりものん個人の強烈な魅力で押し切っている感じ。本作のレビューをみていると「どの作品でも同じイメージ」と書かれているをいくつか見かけましたが、正直その感覚はわかります。それが彼女の持ち味なんでしょう。吉永小百合のように主役以外は似合わない女優さんになっていくのでしょうか。ファンとしては少しばかり残念に思います。

そう思ってしまうのは大島優子と門脇麦の二人の演技にしっかりとした細やかさを感じてしまったからかもしれません。特に大島優子は生活感の醸し出し方が見ていて心地よく、いい女優さんだなと見直しました。あと三田佳子はもう原作のまんまで笑いました。サングラスを外された時の表情が素晴らしかったです。とにかく三田佳子の玲子と、大女将のマッサージチェアの原作再現度はすごいです。

問題児の芦沢優那を演じた山谷花純は、難しい役を良く消化していたと思いますが、役どころが原作からかなり圧縮されてしまって残念でした。尺の都合で難しいというのは別として、原作通りの展開をこの人の優那で観たかったという思いはのこります。原作の優那のエピソードはある意味天間荘の三姉妹の中でもっとも髙橋ツトムらしいエピソードで私は大好きなので、ご興味が湧いた方はぜひ原作をお読みください。おおーっ!となりますよ。

総じて女優が素晴らしい映画なので、私のように女性ばかりに目が行く方にとっては眼福の作品になってます。柴咲コウのイズコも超綺麗で良かったですね。あと男性では萩原利久の好演がとても印象に残りました。

今回のこの記事、正直自分でもかなり甘い評価だと思います。酷評の記事を書こうかとも思ったのですが、そっちに振ることはできませんでした。確かに悪い点が目立ちますが良いシーンもたくさんあって、実際観て泣いちゃったりもしてますし…。冒頭にも書きましたが、私の中でも酷評する自分と高く評価する自分の両方がいて、とりあえず今回は後者としてのレビューということで勘弁してください。

少なくともこの作品かける北村監督の想いは受け止めることができたので、今回はそれで良しとしておきたいと思います。


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