飽き性なのはたぶん変わらないけど、
「短所はなんですか?」と聞かれたら、迷わず「飽き性なことです」と答える。それも極度の。
小さいときから飽き性で、何事も続かない性格だ。習い事も長くて3年続いたかどうかだし、不登校になったことも、ある意味学校に飽きてしまったのかもしれない。絶対やる、と言って結局やらなかったものがたくさんあって、今ではもう、そういう気質なんだと諦めがつく(だから高いものを買うのには誰かの意見を求めたりたくさん調べたり「ほんとにいるか?」の吟味が必要)。
たまに、すごくうらやましくなる。熱心にひとつのものが好きな人。いわゆる推しがいる人。ひたむきにつぎ込める何かがあるのがうらやましい。自分にはできないことからだ。そうやって「好き」をずっと続けることが、私には難しい。
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代わりに、私には得意なことがある。どんなものにでも楽しさを見出だせること。
もともと、誰かが好きなことについて語るのを聞くのが大好きだ。相手が幸せそうに話しているところも好きで、それで自分の知らないことを知れるのも面白いと思える。そして、誰かに勧められたものはすぐにやってみる行動力もある。好奇心だけはあるから、大変そうなことでもとりあえずやってみようとする。
知り合いから聞いたことや、勧められたものにハマったものがいくつもある。アーティスト、マンガ、アニメ、本。それらには、ハマり始めたときと同じ熱量で好きでいるものはない。いわゆるマイブームで終わっている。
でも、CDショップに行って、ふと「あ、このアーティスト、新曲出たんだ」と気づいたときがあった。そのアーティストを知らなきゃ、気にも止めなかっただろう。「この動画出たから、きっとあの界隈は盛り上がってるだろうな」とか、「この本、前に勧められて読んだ本の作者さんだったんだ!」とか、そういう発見が溢れるようになった。
スーパーのお菓子売り場で、好きになったアーティストがコラボしているのを見てテンションが上がったり、好きになったマンガが増えて中古ショップで見る場所が増えたり。
一度でも好きになったものをまた見直すと、なんだかそのときの気分を思い出して懐かしくなる。どこが好きだったんだっけなぁと思い出しながら「あぁ、でもやっぱ好きだ! 」と再燃するときだってある。
自分の飽き性にはこりごりだけど、そうやっていろんな物事に触れながら、自分の好きをいろんな場所に置いておける、そういう自分は好きだ。
これ!と言える趣味はないけど、「これ気になってる!」「前試したことある!」みたいなことが身の回りに溢れていて、まだ知らないことが世の中にはたくさんあることが嬉しい。どんなときだって、どんな場所にいたって、きっと私は楽しめる何かを見つけるだろう。いつか、自分にも一生モノの熱中できる何かが見つかるんだろうか?
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人に誇れる何かは持ってない。それでも、好きなこととか、気になっていることを人よりも持っていることは、誇れる気がする。それは、誰かとたくさん話したいという気持ちの現れなのかもしれない。
自分だけの世界じゃつまらなくて、誰かから聞いたことや、勧められたことをもらって生きていたい。自分が選んだ花を植える人が好きな人もいれば、誰かが好きだといった花を植え、それにどんな魅力があるのか見つけるのが好きな人もいる。たまたま私は後者だっただけだ。
短所を挙げるなら「飽き性」だけど、それは表面的なことで、本当のところ、短所だなんて思っていないのかもしれない。まだ見たことがないものがたくさんあって、そこには人によって見る場所が違う魅力があって、私だけの楽しみをそこに見つける。
短所の裏側には、誰かの「楽しい」を受け取れるという長所が隠れていたことを、最近しみじみ感じたのでした。
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