見出し画像

「かゆいところに手が届く仕事をしよう」

私が日常の中で感銘を受けた考え方や言葉について発信する内容となります。ノンフィクションです。

はじめに

高卒で就職した最初の仕事、グランドハンドリングスタッフとして働いて5~6年経った時に、私を立ててくれた上司より貰った言葉です。当時の20台前半の若造の私にはそこまで響いてなかったんですが、退社するとき思い起こされた言葉について記事にします。職種に聞き馴染みのない方は、バックナンバーを参照いただけると有難いです。

作業服に詰めたマニュアル

たくさんポケットが備え付けられている作業服に、IDやら無線機やらを紛失しないためのストラップを付けて携行していました。新人のうちは仕事のマニュアルをお尻のポケットに詰めてました。A4サイズの書類を持ち歩くわけにはいかないから、百円均一で買った、手のひらサイズの「写真のアルバム」に、A4サイズのマニュアルが書かれた用紙を畳んで綴じてました。毎日変わる飛行機の運航状況に関するものや、機密情報まで何でも。だから私や同僚のぺらっぺらだったはずの「写真のアルバム」は一瞬で7~8cmまで膨れ上がります。

体で覚える

仕事には強制的に慣らされることになります。絶えず降りてきては飛び立つ飛行機に乗り込み、現場で仕事を叩きこまれるからです。マニュアルを見ながら仕事することはほぼできないので、合間で予習、現場で知識を使う、体を動かすことを連続で行うことで、叩きこまれるからです。刀鍛冶が刀を叩いて叩いて鍛えて研ぎ澄ますような、そんな毎日でしたね。

命にかかわる仕事

空港内で働くことは、他人の命にも自分の命にもかかわるような仕事だということを教わりました。今では飛行機事故で命を落とすようなことは限りなくゼロで、もう二度と人類が遭遇したくないことです。私たちの仕事の範囲では、車同士の事故とか、重機を扱う上で想像できる事故のリスクと隣り合わせだからか、生半可な気持ちで空港内には居なくて、本当の意味で「本気」で仕事をしています。パソコン仕事をしていて誰かに怒られるようなことはあっても、怪我をしたり、死んでしまうことはあまり考えられないでしょう。

「かゆいところに手が届く仕事をしよう」

だから先輩たちはよく見ています。外見で見えるところから内側、真剣なことからどうでもいいことまで。常に気遣っていることが、常に気を張っていることが当たり前のスキルになっています。幾度となく、マニュアルに無いような気遣いを、先輩の行動や言葉からいただきました。先輩は「かゆいところに手が届く仕事をしよう」と言うのです。

例えば、ある荷物をキャビンアテンダントに渡すとして、「ああ、そこらへんに置いといてください」と言われたとして、置く場所が「そこらへん」の地面なのか、柔らかい椅子の上なのか、硬くて丈夫なテーブルの上なのか。正解はおそらく「無い」んです。その瞬間の相手は特段どうとも思わない。でも後になって、私たちの居ないところで、色んな理由で感謝しているかも知れません。その感謝は求めるものじゃないけど。「目に届く場所に置いておいてくれたから、忘れずに済んだ」「柔らかい場所に置いておいてくれたから、壊れずに済んだ」「硬くて丈夫なテーブルに置いておいてくれたから、落ちずに済んだ」。粋じゃないですか。

要するには「気遣い」ですが、未来を読むかの如く、前述の「おいて」は「予め」「未然に」「備える」などの要素が含まれていると思うんです。

さいごに

この考え方は私の「仕事におけるネガティブ」に繋がっています。私は先輩ほど研ぎ澄まされた感覚が無いので、「何でもかんでもネガティブに考えて、備える」ことしかまだできませんが、大切にしたい考え方です。