異常性癖ノーモフィリア(普通偏愛)

久しぶりに投稿します。(内容も語彙も大人向けです)

特に日記みたいなものを書くわけではありませんが、今回は人間の異常性癖の一つとして、「ノーモフィリア(普通偏愛)」について綴ります。

「ノーモフィリア(普通偏愛)」とは、「普通が好き」な人のことです。

(定義:標準・規範・正常とされる状態への病的愛好。例えば慣習や信条・信仰、ルールへの服従。一神教的な伝統がソドミー(同性愛やアナルセックス)を処罰する等、特定の伝統・文化から見た「異常」を排除したがること)


当然、異常性癖であるため、日本人が異常と認識した人間を排除する「いじめ」の原因となる考え方ではありません。


【危険な点】

「普通への偏愛」は性行動の一種であり、厳密には「衝動的・強迫的性行動」の一種に分類されています。

ーーCASE1ーー

普通への偏愛とは「慣習的・宗教的または法的権威によって決められた基準を、性愛的に遵守している状態」です。こうした種類の〔衝動的・強迫的性行動〕は、ペア〔つがい〕関係への著しい干渉を引き起こす可能性があります。


現代に投映してみると、ペアのパートナーが好奇心や諸事情によって、宗教の慣習から逸脱した行為を行おうとした場合、互いの方針にズレが生じます。

宗教の信者だけに限ったことではありません。無宗教が多い日本人でも、「普通」を愛するものと、「普通からの逸脱」がペアになれば、関係に問題が生じます。



ーーCASE2ーー

メリーランド州やコロンビア特別区、またアメリカ合衆国の多くの州で、オーラルセックスやアナルセックスが違法として、実行に移すと有罪になります。

理由は、オーラルセックスやアナルセックスをする人は、病的であり、異常性格に相当するという考えが文化的に存在しているからです。





「普通への偏愛(普通偏愛)」は、別の言葉で表現すると、「正常愛好」、「正常性愛」、「完璧主義」、「権威主義」、「伝統主義」、「保守主義」、「同性愛恐怖症」(ホモフォビア)といいます。



最後に、人間には、育った環境の文化的考え方から、「普通」と「異常」の区別を形成します。

現代では、「グローバル化」を念頭に置いて、多様性・異文化を認め合うことがグローバル社会への適応手段として必要とされています。


読者さんたちの周りにも、「普通」にとらわれて、個人的な感覚で「異常」を排除しようとする方はいませんか。

現在、それは「ノーモフィリア(普通偏愛)」として、病的であると医学的に認識される時代となりました。

世界史を振り返ると、そのような自分が属している文化や宗教の正当性を盲信することで、精神的に救われようとした動きが人間にはあります。

グローバル化が叫ばれている現在、なかなか「異文化理解」という、本来はグローバル化のための手段にすぎないものがゴールになってしまっているのも、人間が本能的に、「疫病の原因ともなりうる異物を遠ざける」、「救いを求めて文化や宗教に盲信的になる」という性質が根付いているからかもしれません。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?