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曖昧と決断

曖昧が苦手だ。そして、決断することも苦手だ。
しかしながら、家事は曖昧と決断の連続だ。

お湯からもやし を引き上げるタイミングですら、決められないのだ。
いや、何なら「沸騰したお湯に、もやしを入れるタイミング」から迷っている。

「沸騰した」とは?
科学的には1気圧100度だが、そんなことは自宅のキッチンでは表示されず、お湯から泡が出てきている状態を言う。
しかし、細かい泡がブツブツしている状態から、
大きな泡がグラグラ出ている状態まで、
泡のサイズは加熱した時間によってだいぶ違う。
「沸騰した」と一言で言うには曖昧すぎる。
毎度温度を測れば良いのか。それはそれで面倒くさすぎないか。

夏になるたび、イグサのラグを買い換えたいと思っている。しかし、綻びが見えるとは言え、まだ使えるラグを捨てるのも、次に敷く気に入ったラグが見つかってないのも決断を遅らせる要因になる。

だいたい、「ラグが使える」と「ラグが使えない」の境目がわからないのだ。曖昧すぎる。
油をぶちまけるような、どうしようもない汚れがつけば、それは「使えない」のだろうけれど、普通に暮らしていたら、そこまでの状態にはならないのである。縁の布の縫い目の綻びは直せてしまった。
ということは、まだ使えるのか?

いつ、もやしを引き上げたらいいのか、いつラグを買い換える決断をしたら良いのか、全然わからないまま、今年の夏も始まった。

ありがとうございます。新しい本代になります。