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読書感想文①綾辻行人『十角館の殺人』

リコメンド情報


オススメしてくれた人:大学の時の知り合い。いつもなんかめっちゃ映画見てる。

オススメしてくれた時のコメント:何も知らない状態で読め

ネタバレなしサラッと感想

実は、綾辻さんの作品は『Another 』しか読んだことがなくて、『十角館の殺人』も書影とタイトルだけは知っていたものの、全くなんの情報もない状態で読み始めたので、本書を手に取った時も「とつの……?とかく……かん?」と満足にタイトルも読めない状態だった。
それが、ものの4ページほどで「読み方は『じゅっかくかん』だ!!」になる、必然性の高さ。この「必然性の高さ」というのが、『十角館の殺人』の魅力を語る上で、最も重要な要素になる。

まず、あらすじを紹介したいが、おすすめしてくれた人が言った通り、これは前情報を仕入れないで読む方が楽しめる。どんな推理小説も多かれ少なかれ、登場人物たちと同じ足並みで事件に追いかけられる方が楽しいものだが、この作品は特にその傾向が強い。なので、公式に紹介されている以上のあらすじを語るのは野暮だ。

「ミステリー研究会に所属している七人の男女が、かつて不気味な事件が起きた孤島の洋館に閉じ込められ、そこで次々と殺人事件が起こる」

これだけで、十分だと思う。

この本は、古典芸能だ。型にハマっている。それでいて、ちょっとはみ出てる場所もある。そのはみ出てる部分が、謎をさらに面白くしている。他者の介入が不可能な不気味な洋館に集まった七人の男女、次々に起こる不可解な殺人事件、探偵と犯人の対決。まるで子供の頃に手に取った、アガサクリスティーや江戸川乱歩を読み進めている時のような、重厚なミステリの世界が読み始めから読み終わりまでずっと続く。これが推理小説だ!とガッツポーズしたくなる。
ガッツポーズをしていたら、唐突にちょっとはみ出す。気分良く「古典芸能」を楽しみたいこっちとしては、どういうこと?と一瞬驚くのだが、この「はみ出た部分」が実は一番面白い。枠の中と、外。この絶妙な取り合わせで、話はどんどんと進んでいく。

それでいて、とにかく、1ミリもずれない。始まりから終わりまで、登場人物たちも、推理の内容も、1ミリもずれずに終わりを迎える。物事の一つ一つに必然性があり、放たれた矢が尾を引いて、そこに落ちる様子を眺めているような、そんな美しさが込められている。初めから最後まで練られた、ロマンのある推理小説だった。

本当に面白かった。この高揚感は久しぶりだなぁと思ったし、同時に、読み終わった後に微かな寂しさが残る。

寂しさが残る物語は、優秀だと思っている。
これから誰かに「面白い推理小説ある?」と聞かれたら、確かにこれを挙げるだろうなという予感がする。

有名な作品だし、コミカライズもされているので、特にSNSが発達した最近なんかは、情報を得ないというのが大変難しくなっている。
だから、早く、どこかでネタバレされる前に読め。これはマジ。

この後に詳しい感想を書こうと思っているけれど、読んでない人は絶対に見てはダメ。それは人生の損失につながります。









ネタバレあり詳細感想

叫んだ。具体的には二回叫んだ。
どこで叫んだかは、既読の人には大体予想がつくと思うけれど、二回目は大ネタの「ニックネームが明かされるところ」。
新装版で読んだのだけれど、ページの演出も含めて「これマジで言ってんの!?」の大混乱状態でした。ページを捲ってすぐに一行だけ、あのセリフを印字するの憎い。わかってる。すごい。
そもそも読み始めた時に、ニックネームと本名を照らし合わせる術がないから、ここで一つ仕掛られてるよなぁという予感はあった。角島に行った人間を誤認させられてるんじゃないかと思いながら読んでたけれど、各々に結構な量の独白文があって、だから「ここじゃなくて、死体の客観的情報と、私が持ってる情報が誤認させられるやつだなぁ」と思って、注意深く読み進めてたら「お前か!!!」ってなった。言われてみれば、ヴァンの地の文なかったねぇ……。完全にカーのキャラがノイズになってるのも併せて、上手いと唸らざるを得ない。初めに、風邪引いてんのどう考えても怪しいやんってメタ読みしてたけど、館が燃えたところで頭パーンってなって忘れてた。
そういえば、実は「十角館なんてわざとらしい名前つけてるわけだから、どうせ角数が違うんでしょ」と思って、図解の出っぱり数えたりしてた。滑稽。九角なんやと思ったんや……!
そういえば、実は「カップの角の話題がわざわざ出てるわけやから、一つだけ角数が違うんでしょ」と思ってたけど、これも九角なんやと思ってた。減らしがち!

実はそれより前に一回目を叫んでいる。
場所は、本土パートの島田刑事の「やっぱりお前か」。(※記事公開後にセリフ間違ってるのに気がついて直しました。ごめんなさい)
うわーーーーー!!!ってなった。このセリフは、名探偵が登場する時の合図なので、まさか島田さんが名探偵だったなんて!と大興奮でした。そもそも、この小説を読んでいる間、私はずっと「名探偵」を探していた。
というのも、島パートで「探偵」と「犯人」が提示された以上、美しい推理小説ならば、必ず探偵を用意しているはずで、それなのに現れる気配がなかったからだ。

島パートは、一つの「夢の舞台」だった。
不気味な噂と曰くが残る古びた洋館。
そこに集められた七人の男女。
突如テーブルに現れた、殺人ゲームのプレート。
目の前で次々に死んでいく友人。

『十角館の殺人』は、この、まるで「ミステリ用にあつらえた舞台」のような島パートと、それと並行して、日常の地続きに存在するリアルな本土パートが進行する。
エラリイがどれだけ、それらしい名探偵の振る舞いをしていようと、彼は「夢の舞台」の住人にすぎない。孤島の探偵にはなり得るが、『十角館の殺人』を紐解く名探偵にはなれない。だから、探偵役が名乗り出ないことに、とてもヤキモキしていた。それが、満を辞しての登場。憎い台詞回し。彼がそうだとは言わないが、状況証拠が彼を「この物語の名探偵だ」と指し示している。
この演出がとても好き。下手したら、「ヴァンです」よりも好きかもしれない。

ツイッターでも言ってたけれど、実はエラリイが好き。彼の最期も含めて、エラリイというキャラクターが好ましい。
エラリイは結局「ミステリの舞台」の中で死んでいった。彼はもともと、ミステリを一種の知的遊戯だと考えていたし、ミステリはミステリとして、謎を解き明かしていくことを徹底していた。
だから、どれだけ優秀な推理をしても、エラリイが犯人に辿り着くことはない。
本島の「名探偵」すら知り得ない、十一角目の部屋すらを見つけることができた彼は、それでも犯人に肉薄することはない。ミステリの舞台の中で、仕掛けに囚われて死んでいった彼の生き様は、推理小説をエンターテイメントとして享受する私たちにどこか似ている。
殺人の中に潜む哀愁や慟哭には耳を傾けず、難解な仕掛けに挑みながら、そのトリックを解き明かす快感を覚える時、私は確かにエラリイだ。彼は、理想とする舞台の、理想とする装置の中で、トリックに打ち勝ち、そして生身の殺人犯に負けて死んでいった。この美しさが、私の胸を打つ。

解説に『そして誰もいなくなった』に、名探偵を挟む余地を与えた作品という講評があったけれど、そこにもなんとなく、綾辻さんのロマンというか、矜持というか、そういうものを感じる。推理小説に犯人の独白を聞く「名探偵」は必要。それが推理小説のロマン。

これは余分な情報なのかもしれないけれど、『十角館の殺人』を読んでみて、これが好きな人ならこれも好きかも?と思った作品を挙げていく。

小野不由美さんに『黒祠の島』という著書がある。
編集者の男が、離島で行方不明になった作家を探す話で、その足跡を追っていくうちに、島の奇妙な風習と不可解な殺人事件に行き当たる。小野さんらしいホラーとミステリが入り混じった、ザワザワとした手触りの良作である。
『屍鬼』のテイストもどこかに感じ、また小野さん特有の「建物怪談」にみられる「住人たちの歴史と足跡を追いかける」面白さ。これらが詰め込まれている。
小野さんの本は、選ぶものによっては「怖くて寝られない。泣く」といったものがあるけれど、これは安心して人に勧められる方のやつ。たぶん。
そういえばちょっと前に『緑の我が家』読んだけど、これは怖くて泣いた。ティーン向けといって安易に選ぶと、夜にトイレに行けなくなるのが小野さんの素晴らしいところだと思っています。

伊坂幸太郎さんの『アヒルと鴨のコインロッカー』
主人公が知り合いに「隣に住むブータン人のために広辞苑を盗もう」と誘われて本屋に行き、間違って『広辞林』を盗んでしまう話。
有名な作品で映画化もされているから、もしかしたら内容を知ってしまっている人も多いかもしれないけれど、触れたことがないなら原作をぜひ読んでほしい。これも、何も情報を入れずに、とにかく真っ新な状態で読め!という本なので、詳しくは紹介しないけれど、私はやっぱりこれが伊坂幸太郎の最高傑作だろうと思ってる。



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