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連載小説 サンタドロップス 1-13まとめ


今年もまたこの季節がやって来た。

俺が一番嫌いなこの季節。

紅葉で華やいだイチョウ並木はすっかり枯れ木と化し、街路樹は煌びやかなイルミネーションで飾られた。そこら中に定番のクリスマスソングが鳴り響き、街は赤と緑の装飾で彩られる。

カップルがやたらと多い気がするのは、もう何年も彼女の居ない俺だけだろうか、クリスマスなんて無けりゃいいのに。

俺は雑踏の中にいた。二股の道路に挟まれた丸い塔の様な建物に大きなサンタクロースが描かれている。

「サンタなんていない、サンタは俺だ!いつまでもガキみたいな事言ってんじゃねえ」

小学五年の時、父親にこう怒鳴られた。この瞬間、俺の心の中に存在していたサンタクロースは消滅した。

「チェッ!何がサンタだ、バカヤロー」

俺は吐き捨てる様に言った。

スクランブル交差点の信号が青になり、四方から一斉に人々が横断を始めた。すれ違う人達全てが鼻と口をマスクで覆っている。あの新型バイアルスが流行り出して僅か二年も経たずに、この世界は全く違うニューワールドになってしまった。

この世はすっかり変わった、マスクの下の素顔を晒す事は今やタブーで、人前でマスクを取る事は裸を見せる同然に恥ずかしい事に思える。

群衆に紛れて俺は交差点を渡り始めた。こちらに向かって一直線に歩いて来る一人の女に目が行った。

綺麗な目をした女だ、白いロングのワンピース、ピンと背筋を伸ばし、颯爽と歩いている。女が一歩歩く度に裾がヒラヒラと揺れる。

マスクの下に隠された顔はどんなだろう、きっと美人に違いない。俺は女のスカートの中を覗き見る様な罪悪感を感じながらマスクの下の素顔を想像した。

女は俺の事になど目もくれず、早歩きで真横を通り過ぎた。俺は振り返り女の後ろ姿を見送っていた。はあ、声を掛ける度胸も無いか、どうせ高嶺の花だ、と不甲斐ない自分に失望した。

俺は再び前に向き直り歩き始めた。と、目の前に腰の曲がった老人がいる。うわっ、ぶつかる、俺はのけぞるように足を止め、あぶねーなあ、と言うと、危ないのはそっちじゃろ、ちゃんと前向いて歩かんかい、と老人は言い返した。

それにしても汚え爺さんだ、禿げ散らかした頭から落武者の様に垂れ下がったボウボウの白髪。上下ツナギの汚い作業着を着てスボンのチャックは全開だ。

悪かったねえ爺さん、チャック開いてるよ、と言って俺は横を通り過ぎようとした。すると老人は手を広げて俺の行く手を遮りこう言った。

「チャック全開はワシのスタイルじゃ、社会の窓は常に開けておくんじゃ、今何が流行っとるか知っとかんとな、ワハハ。ところでお主、さっきワシの事バカヤローって言ったじゃろ、サンタに向かってバカは失礼じゃぞ」

「あの、俺急いでるんですけど」

俺はムッとしながら老人に言うと、

「まあ待て、バカヤローは許す、ワシはサンタじゃ、今日はお前にプレゼントを渡しに来た」

「え、サンタ?」

「そうじゃ、ワシはサンタクロースじゃ」

俺は老人を足元から舐める様に見上げ、何を言ってんだ、この汚い爺さん、サンタだなんてボケちゃってるのか、と思いながら横目で老人を蔑むように見た。

「爺さん、どう見てもサンタには見えないよ、サンタは赤と白の服を着て、トナカイのソリに乗って」

「あのなあお主、今時のサンタはあんな格好しとらん、あんな服動きづらくて仕事にならん」

自称サンタの爺さんは自分のハゲ頭を擦りながら続けた。

「それにトナカイのソリなど乗らん、軽トラよ、軽トラ!アレは一番便利じゃ、プレゼントも沢山積めるしな」

「爺さん、サンタクロースなんている訳ないだろ」

俺が言い返すと、

「まだ信じとらんようだな、ほれ、周りを見てみい」

自称サンタの爺さんは顎で俺の左右を指しながら言った。

周囲を見渡すと、交差点を渡る群衆は皆まるで一時停止ボタンを押されたかのように動きが止まっていた。

「お主以外にワシの姿は見えとらんのじゃ、時間が止まっとるからのう」

俺は現実とは思えない状況にキョトンとしていると、サンタの爺さんは作業着のスボンのポケットをガサガサと探りながら言った。

「お主は小学五年までサンタクロースを信じていた、サンタを信じていた少年の最長記録じゃ、サンタ界隈でお主は有名人じゃぞ、これはプレゼントじゃ」

サンタの爺さんはポケットから四角い赤い缶を取り出して俺に差し出した。

昔舐めた事のある見覚えのある赤い缶、ドロップスの缶だった。

「ほれ、受け取れ」

とサンタの爺さんは手を突き出した。

俺はドロップスの缶を受け取り眺めていると、

「なんじゃ、がっかりした顔じゃのう、もっと良い物が貰えるとでも思うたか」

サンタの爺さんはニヤリと笑いながら続けた、

「まったく人は皆、年取るごとに欲深くなるのう、赤子の頃はドロップ一つでも大喜びじゃ、でもそのドロップはただのドロップでは無いぞ」

俺は顔を上げてサンタの爺さんを見た。

「そのドロップはな、願いの叶うドロップじゃ、願いを込めて舐めると何でも叶う、但し一粒に願いは一つじゃ」

サンタの爺さんは人差し指を立てて言った。

「一つ注意がある、私利私欲に塗れた願いはだめじゃ、たとえ叶うても後で手痛いしっぺ返しが来るからな」

「あ、ありがとう、サンタの爺さん」

と俺が言うと、

「ようやくワシがサンタだと信じてくれたのう、おっといけない、仕事に行かんと、軽トラ路駐したままじゃ、最近はサンタ界のポリスも駐禁厳しいんじゃ、ではサラバじゃ、良い人生を送れよ」

そう言い残すとサンタの爺さんはニコリと笑って俺の目の前から突然消えた。

爺さんが消えたと同時に固まっていた群衆が一斉に動き始めた。俺はスクランブル交差点のど真ん中に立ち尽くしていた。

青の歩行者信号が点滅し赤に変わっても、俺は一人交差点のど真ん中に突っ立っていた。動き始めた車からけたたましいクラクションが鳴らされた。ハッと我に返った俺はドライバー達にペコペコ頭を下げながら交差点の対面まで渡り切った。

多くの人々が行き交う繁華街の歩道で、俺は今しがた起きた出来事を頭の中で整理していた。

俺の手の中にはドロップスの缶がある。さっき交差点の真ん中でサンタの爺さんから貰った物だ、ということはあの出来事は夢ではない。

俺はもう一度ドロップスの缶を眺めた。よく見ると昔食べたドロップスと商品名が微妙に違う。缶には「サンタドロップス」と書いてあった。

缶を振ってみると、カラカラと音がする、ぎっしり詰まっている音ではない。俺は缶のフタを開け、左の手の平に中のドロップを振り出した。

カランカランと缶の中から三個のドロップが出てきた。赤、緑、白、の三個のドロップ。缶を振ってみたがもう音はしない、この三個しかドロップは入っていない様だった。

何だよ、食べかけじゃん、と俺は呟いて、手の平の三個のドロップを落とさないように缶の中に戻した。

ワンルームのアパートの安っぽいシングルベッドに寝転がり、俺はドロップスの缶を眺めていた。

何でも願いの叶うドロップってか、願い、そうだなあ、何にしようか、とぼんやり考えていた。

俺はドロップスの缶の蓋を開け手の平の上で振り出すと、コロンと赤のドロップが出て来た。よし、試しに一個舐めてやろう、俺は赤のドロップを口に放り込んだ。

子供の頃食べた甘くて懐かしい味、ごく普通のドロップだった。まあダメ元だ、ならば凄いお願いをしてみるか、俺はドロップを舐めながら目を閉じた。

"あの日スクランブル交差点ですれ違った、綺麗な女が俺の彼女になりますように"

俺はドロップを舌の上で転がしながら、溶けて無くなるまで何度も何度も願い続けた。

あんなにお願いしたのにも関わらず、クリスマスが過ぎ、年が明けても俺には彼女が出来る気配すら無かった。年末年始の短い休暇を終えた俺は、再び会社とアパートを往復するだけの単調な日々が始まった。

あれから何度スクランブル交差点を渡っただろう。でも、あの女に再び会える事は無かった。それでも俺は今日も僅かな期待を抱きながら交差点を渡っている。

何がサンタだよ、あの爺さんやっぱりエセじゃん、俺は爺さんにドロップスを貰った交差点の中央付近を歩きながら呟いた。



俺は大手とは呼べない中堅企業のサラリーマンで営業の仕事をしている。何となく大学に入り、何となく就活して、何となく内定を貰ったのが、この会社だった。

特にやりかった仕事では無い。だからと言って他にやりたい事も無い。生活の為にただ漫然と仕事をする毎日だ。

就職して早五年が経つ。営業成績は普通、仕事はそれなりにこなしているつもりだ。でも変わり映えしない日々の繰り返しには、ほとほと嫌気が刺していた。

毎朝行われる朝礼と言う退屈で無意味な儀式を終えると、社員達は次々と外回りに出て行く。

俺はポツンと離れた窓際の席に一人座っている緑川課長を見た。緑川さんは俺の以前の上司だった人。入社仕立てで右も左もわからない俺に、緑川さんはとても優しく丁寧に仕事のイロハを教えてくれた。

今の緑川さんの役職は担当課長、担当課長とはほぼ出世の見込みの無い人に与えられる、課長とは名ばかりの部下を持たない管理職だ。

緑川さんが担当課長になった経緯には、実は俺が深く絡んでいる。俺が起こした重大なミスを緑川さんは全て被ってくれた。会社に大きな損失を与えたとして、緑川さんは出世コースから外れてしまった。

今の俺の上司は緑川さんとは全く正反対の最悪な上司だ。部下の手柄は横取りするくせに、ミスは全て部下に押し付ける。上司には胡麻を擦り、部下はこき使う。

そいつは緑川さんより年下にも関わらず、下克上で課長に昇進すると、途端に緑川さんにタメ口を聞き始めた。こういうタイプが出世するのがサラリーマンの世界ならば、俺はおそらく出世出来ないだろう。

ああ、また緑川さんと一緒に仕事がしたいな、と思いながら窓際の緑川さんを見ていると、俺の視線に気付いたのか緑川さんがこちらを向いた。

俺と目が合った緑川さんはニヤリと笑ってピースサインをした。

俺はアパートの鍵を開け誰もいない真っ暗な部屋に帰って来た。電気を点けテレビのリモコンをオンにする。別に見たい番組がある訳でも無いのに、静けさを紛らわす為、部屋に居る時は常にテレビを付けっ放しにするのが習慣になった。

同じ様な一日がまた終わろうとしている。ただ慌ただしいだけで何か成長したのかと言われたら、何も変わらない。不快な疲労感だけが身体に残る。新入社員の頃、緑川さんと一緒に仕事していた頃の様な充実感は感じられない。

テレビではお笑い芸人が何やらハイテンションで捲し立てているが、全く聞いてないから面白くも何とも無い。

俺は万年床のベッドに倒れ込んだ。安物のベッドは少し動くだけでギシギシと軋む。

テレビの前のローテーブルの上に転がっているドロップスの缶が目に入った。そう言えばサンタの爺さんは私利私欲に塗れた願いはダメだと言ってよなあ、と赤い缶を眺めながら思った。

あんな綺麗な女を彼女にしたいなんて、私利私欲塗れだよなあ、よし、それならば、俺は身体を起こしてドロップスの缶を手に取った。

蓋を開け、中のドロップを手の平に振り出した。カランと音がして緑のドロップが出て来た。俺はそれを口に放り込み目を閉じた。

"緑川さんに再びチャンスが訪れて、また一緒に仕事が出来ます様に"

緑のドロップは俺の口の中で少しずつ小さくなって行く。舐めながら俺は何度も何度も繰り返し願った。

俺は、外回りから会社に帰って残務整理をしていると、三田君、今日少し飲みに行かない、と緑川さんが声を掛けて来た。

はい!喜んで、俺は二つ返事をした。あのバイアルスのせいでここ何年か飲みに行けて無い。増してや緑川さんのお誘いとあらば断る理由など何処にも無い。

緑川さんと俺は、以前良く仕事終わりに行った馴染みの居酒屋に向かった。久々に会ったマスターはとても喜び四人掛けの席に通してくれた。

向かいの緑川さんとアクリル板で仕切られているとは言え、四人用のテーブルにゆったりと座れるのは悪く無い。これだけはあの憎きバイアルスがくれた恩恵とも言えるのだろうか。見知らぬ客と相席で肘を突き合わせながら飲んでいた昔が嘘の様だった。

緑川さんと俺は中ジョッキで乾杯するとグイグイと一気に飲み干した。久しぶりに味わう居酒屋の雰囲気に二人とも話が弾んだ。少し酔いが回って来た頃、緑川さんは俺にこう切り出した。


「三田君、実は君にお願いがあるんだ」

「お願いって何ですか」

「三田君は野球やってたんだろ?実は息子の太郎が野球チームに入りたいって言い出したんだ。今度家に来てキャッチボールでも教えてやってくれないか」

と緑川さんは言った。

そう、俺は子供の頃からプロ野球選手になるのが夢だった。小学校から夢中で白球を追い続け、高校は甲子園常連の野球の強豪校に入った。

部員数が百人を超える強豪校でのレギュラー争いは、それは熾烈な物だった。俺はそこで自分のレベルを嫌という程思い知らされた。

それでも俺は、努力さえすればレギュラーになれると信じ、毎日遅くまでグランドに一人残り、人の何倍も練習した。

でも生まれ持った才能のある奴には絶対に勝てなかった。そしてオーバーワークで肘を痛めた俺は公式戦に一度も出る事無く高校生活を終えた。

俺はそこで野球を辞めた。生まれて初めて味わった大きな挫折だった、その時俺は、人生とは無情で不平等な物だと悟った。

「太郎君は今何年生ですか?」

「小学三年生だよ」

「わかりました!太郎君のコーチ引き受けましょう、但し僕はスパルタですよ」

「ハハハ、了解!太郎に覚悟しとけって言っとくよ、じゃコーチ料は家で晩飯とビールという契約でどうだい」

「よろこんで!」

こうして俺は緑川さんの息子、太郎君の野球のコーチになった。

それから俺は毎週末、緑川さんの家に行き、近所の公園で太郎くんに野球を教えた。何の偶然か俺が野球を始めたのは小学三年生の時、そして太郎くんも小学三年生だった。

俺は週末が来るのが楽しみになった。部屋とコンビニの往復だった俺の週末は一変した。コーチと言えども野球はやっぱり楽しい。

太郎くんは緑川さんの息子だけあり、とても素直で正直な子だった。野球センスも良く教えた事をスポンジの様にどんどん吸収しぐんぐん上達した。肩も強く下半身もしっかりしていて、俺が子供の時より間違いなく上手だった。

自分が叶えられなかったプロ野球選手になるという夢を託すかの如く、俺は自分の持っている全ての技術を伝えようと熱心に太郎君を指導した。少し厳しい事も言ったが太郎君は決して諦めたり不貞腐れることは無かった。

野球の練習が終わると、緑川さんの自宅で晩御飯をご馳走になった。緑川さんの奥さんはとても明るく優しい人で、女優の様な切れ長の大きな目をした美人だった。そして何より料理がめちゃめちゃ美味い。結婚するなら絶対にこんな人がいいと俺は思った。

「三田のおにいちゃん、来週の試合見に来てね、ぼく絶対に打つから」と太郎君が言った。

「OK!それは楽しみだな、がんばれよ」

ああ家族っていいなあ、暖かい家族団欒の仲間に入れて貰えた俺は、この上無い幸福感を感じていた。


つづく




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