一族郎党、新興宗教信者


わたしは過去貧乏すぎるゆえ、

一家七人で地域の神社の奥に住んでいた、

という話を前回まで書きましたが、

そもそもどうして一家で地域の神社の奥に住むほど貧乏だったのか、

というと、

「両親ともに無職だったから」

というシンプルな答えに行き着くのですが、

「じゃあなぜ両親ともに無職だったのか」

というと、

「両親がともに『貧乏であれ』という教えの新興宗教信者だったから」

という今度はあまりシンプルではない答えになります。

じゃあなぜ、両親ともにそんなハードスタイルの宗教信者だったのか?

というと、

「両親の一族がみんなその宗教信者だったから」

という、

一部あるところにはある、

でもないところには全然ないであろうスタイルの親戚環境が関係してきます。


親、そして親戚にとって、

最も重要なのは常に「神」でした。

どんなものよりもとにかく優先順位が上に来るのが、「神」でした。

親戚の家に遊びに行く、ということは、

宗教行事(色々な儀式)に参加することとイコールでした。

幼い頃は、なんせ親戚が父方も母方もみんなそうなので、

それが普通と違うということには当然自覚がなく、

そんなものなのだと思っていました。

でも、いつきも知性ある人間ですので、ある時から気付き始めるのです。

「どうやらうちの親戚や親は他とは違うっぽいぞ・・・?」

ということに。


まず、いつき家には「クリスマス」が存在しませんでした。

いつきは三十代半ばなのですが、いつきが幼少の頃にはもうすでに、

「クリスマスにはご馳走を食べてサンタからプレゼントがもらえる」

という風習が、もうかなり我が国JAPANには馴染み深くなっていたのですが、

そこはうちの親はキリスト教ではない別の宗教をガチガチに信仰しているものですから、

「うちにクリスマスなんてないよ」

と言い切り、

幼い子どもの「サンタさん」という存在への夢を早々と、そして粉々に打ち砕き、

当然12月25日の朝にプレゼントが枕元に置かれている、などということもないわけですので、

保育園のクリスマス会には幼少期にも関わらず「無意味・・・サンタなんていないのに・・・」という虚無の心で参加し、

同じクラスの子が「サンタさんにプレゼントもらったー!」

という話を聞くにつけ、

「ふん、サンタさんなんていないのに・・・」

とその子をちょっと下に見つつもすごく羨んだりしていました。

私はサンタへの諦めが早々についていたのですが、

ピュアな弟なんかは親の無慈悲な「うちにクリスマスはない宣言」を受けてなお、

12月24日の夜には枕元に靴下を置いて寝たりしていましたが、

うちの両親は割とクズめですので、

そんな弟の様子を見ては笑ったりしていました。

クズ親め。

そんな親のおかげで、

無事弟は全身タトゥーだらけピアスだらけの、

完璧なアウトロー人間に育ちました。

本当にありがとうございました。


次回、

「一族郎等、新興宗教信者・後編〜お年玉が、ない〜」

に続きます。




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