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交通事故に遭う/白檀の香り

交通事故に遭う

 
 珍しいことだと思うが、保育園の時の同級生と連絡をとっている。同級生の一人がフェイスブックを通じて当時の同級生に連絡を取り(私は最初新手の詐欺かと思った)、二十年ぶりくらいの同窓会が開かれた。十人ほどが集まって、皆わずかにしか覚えていない保育園の頃の記憶を探り探りで話し合い、懐かしんだり、そんなことあった?と驚いたりした。
幸いなことに集まったメンバーはいい子ばかりで、楽しい時間を過ごせたので私たちは定期的に会うようになった。
 真冬のその日も、私は同級生たちとパジャマパーティーを開催していた。楽しいパーティーは深夜まで続き、終電がなくなったので私と友達はタクシーで帰ることにした。私は着替えるのが億劫だったのでパジャマのままコートを羽織ってタクシーに乗り込んだ。深夜であることに加えて酔いも手伝って、私はタクシーに乗り込み行き先を告げるとすぐに寝てしまった。
 しかし、私はすぐにとてつもない衝撃で目を覚ました。寝ぼけた頭では何が起こったのか瞬時には全くわからなかった。え?何事?と言おうとした瞬間、口からポロリと何かが落ちた。よくよく見るとそれは紛れもなく私の前歯だった。私は手元の自分の歯を確認してから前歯が痛いことに気付いた。
「お客さん、大丈夫ですか!?」
 とタクシーの運転手さんが言った。私のことなら全然大丈夫ではない。なんせ前歯が折れているのだ。起きていた友達が状況を説明してくれ、私は自分が交通事故に巻き込まれたということを理解した。
 これはここから何かと長期戦になるな。
 そう思った私はタクシーから降りると近くにあったカラオケにトイレを借りに行った。行く途中、タクシーにぶつかってきた男子学生が
「大丈夫ですか!?」
 と言って寄ってきたが、なんせ私は前歯が折れているので『大丈夫じゃないです』と返答した。真冬の冷たい空気が、神経丸出しの前歯に沁みた。そしてカラオケのトイレで用を足し、折れた前歯を眺め、これ、くっつくんだろうかと考えた。折れてすぐだったらくっつくと聞いたことがあるが真偽のほどはわからない。私はくっつくことを願ってティッシュで大事に前歯を包んだ。
 そしてタクシーまで戻るともう警察と救急車が到着していて、周辺が物々しい様相を呈していた。救急隊の人に、
「事故に遭った方ですか!?」
 と訊かれて、はい、と答えると救急隊のお兄さんは私が普通に歩いていることにビビっていたようだったが、とりあえずすぐに救急車に乗せてくれた。救急車では何度も名前や年齢や住所を訊かれて、意識のハッキリ度を確かめているようだった。
 私と友達は深夜の病院で診察してもらえる順番を待った。すぐに多分意識のない人が運ばれてきて、バッチリ意識がある私たちは後回しになった。そして順番が来て診てもらえたが、特に所見はない、大丈夫とのことだった。私は、
「いや、前歯が折れてるんだけどな」
と思った。医者は、歯は歯医者に行ってくれと言った。私はそりゃそうかと思った。
 警察の人が、
「タクシーのトランクがとんでもなく凹んでたから車はすごい勢いでぶつかってる。ちょっとズレてたら死んでたよ。骨折しててもおかしくない、ラッキーだったね」
 と言った。いや、どうしてみんな私の前歯の件をなかったかのように言うの?と私は思った。私は骨こそ折れてないけど前歯が折れていた。
 警察の人が、
「今回の事故はどちらかが信号無視していないと起きない事故なのに、両方とも信号無視していないと言っている」
 と言って、解決に時間を要すると言われた。それからしばらくの間私は前歯が仮歯のままだった。事故を起こした原因がどっちかわからないうちは、正式な歯が作れないと保険会社に言われたのだ。
 仮歯は仮すぎて、ふとしたことですぐ外れた。食事をしている時。笑った時。しゃべった時。私の仮歯はさまざまなシーンで綺麗な放物線を描いて口から吹っ飛んでいき、その度私は前歯なし女になった。その様子が友達にウケて、
「お願いイツキ、一生そのままでいて」
 と言われたこともあった。前歯がある人は呑気である。
 前歯がない、というのはまあ間抜けで、どれだけ化粧をしてヘアスタイルを整えおしゃれをしても、どうしても面白くなってしまう。私は前歯がない状態で友達の結婚式に参列したこともあるがまあ恥ずかしかった。ドレスアップしておいて前歯がないとか、ふざけているのかよ、という見た目になってしまう。
 そうしてしばらくあまり入っている意味のない仮歯生活を送った後、ぶつかってきた学生が非を認め、私は無事本番の歯を入れることができるようになり、自分で負担する必要がないので一番高い歯を入れてやった。事故から十年近く経つが、高かった本番歯は今でもまるで最初から私の前歯だったみたいに活躍し続けている。
 

白檀の香り


 ある夜、保育園の同級生、ソナちゃんから電話がかかってきた。ソナちゃんから電話がかかってくるのは珍しい。私は本能的に嫌な予感がした。
「ハルナちゃんが亡くなった」
 とソナちゃんは言った。え、ハルナちゃんってあのハルナちゃん?私は動揺した。ハルナちゃんは保育園の同級生仲間だった。
「どうして」
 私は尋ねた。
「自殺だって」
 ソナちゃんは答えた。『嘘でしょ』とだけ言って、私は絶句した。
 ハルナちゃんは、とても明るくて、すごく可愛くて、誰にでも優しくて、とてもじゃないけど自死と縁があるような子には思えなかった。私は到底信じられないまま葬儀に参列した。
 私の神社があった地域は割と住んでいる人にやんちゃな人が多めの地域だったので、中学校にギャルが多くいたことは知っていたけど、葬儀に現れたギャル達はアラサーになってもなおギャルのままで私は驚愕した。盛りまくった派手な髪とネイル、ブランドバッグ、喪服ではない黒いふんわりスカート・・・私は葬儀に参列する際のマナーを親から教えられていたし、失礼がないように自分でも調べていたので、それらをしないギャルのマインドよ、と思った。でもギャル達は、葬儀中皆めちゃくちゃに泣いていて、見た目とハートは関係ないのかもしれないと思った。
 ハルナちゃんは、自分で首を吊ったとのことだった。ハルナちゃんが首を吊ったのは何度目かで、それまでは元彼に『今から死ぬ』と連絡していて、それで元彼が救助に行って間に合って助けられていたらしいのだが、その日だけは元彼は助けに行けなかったらしい。その元彼くんが、
「俺のせいだ!」
 と泣きながら大声を出していて、友達たちが
「お前は悪くないよ」
 と慰めてあげていたけれど、きっと彼は今後一生その罪の意識を背負って生きていくのだろうな、と思った。
 お経を唱えてくれたお坊さんが、
「家に帰ってから髪から服から焼香の白檀が香り、その時あなたが何を思うか何を感じ取るか」
 と言っていた。
 私は家に帰って喪服を脱いで、裸で呆然としたまま、白檀の香りを嗅いだ。そして、ハルナちゃんは今どこにいるのだろう、と思った。
 私は、とても居心地のいい場所にいてほしい、と思った。そして、こうして天国という概念が作られていったのだろうなとも思った。私は神様を信じて来なかったけれど、その時ばかりは願わずにはいられなかった。どうか、ハルナちゃんを、もう何も苦しむことのない、平穏な場所に連れて行ってあげてください、と。私は私の中に作り出した神様に祈った。こうして宗教も作られていったのかもしれないと思った。
 それから私は神様はこの世にいるとかいないとかじゃなくて、きっと人それぞれの中に神様がいるのだ、と思うようになった。

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