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”イズムの継承” という落とし穴

下の世代へ伝えようとしてもなかなか上手く伝わらない、いわゆる〇〇イズムの継承 。
これは人を雇用し、それなりに長年続いている会社やお店であれば多くの人たちが陥る落とし穴だと思っている。

ぼく自身は、独立への最短距離だと考え小さなお店ばかりを選び働いてきたので、実はそういった立場になったこともなければ、それで考え悩むといった経験もない。
そんなぼくが実際にその立場にいる人たちの苦悩といったものを理解することはできないし、理解しようとも思わない。
これは突き放しているわけでなく、ぼくの中で一定の答えが出ているためで、それが昨日の文末にある 「でも、そんなん無理やし、必要もないで」になる。

〇〇イズムの〇〇には人名が入る場合が多く、カリスマ性のある人やスポーツ界だと偉大な記録を残された選手だったり、これが会社や事業所だとそのほとんどが創業者の名前になる。

イズムを主義や流儀とするなら、そりゃ長年経営されている会社なら多少なりともあるでしょうと思うけれど、それに継承という言葉が付くとぼくなどは ”厄介な言葉だな”と感じてしまう。

〇〇イズムの継承、と見聞きするとき、多くの人は大抵それを高尚で尊く、素晴らしいことと好意的な受け止め方をされると思うけれど、ぼくは、それって本当に必要なの?仮に必要だとしても足枷になることもあるよね?と懐疑的になる。

ぼくがいま読んでいる本の中に、進化論で知られるイギリスの自然科学者チャールズ・ダーウィンの名言とされる言葉が出てくる。

「最も強い者が生き残るのでなく、最も賢い者が残るのでもない。唯一生き残るのは変化する者である」

これも言った言っていない、正しい間違いだの諸説あるようだけど、ぼくは進化論に興味があるわけでもなければ、言った言わないはどちらでもいい。
ただ、お店や事業をしていく上で、この言葉は的を得ていて良い言葉だなと思ったし、それが正しいというよりも大切なこと、本質に思えた。

経営にはルールはあっても、どんな時代でも成功するといった普遍的や絶対的な正解、経営術なんてものは恐らくない。

独立した元スタッフへの言葉と、経営のこと 2.

これだけ変化の激しい現代にあって、創業者の主義や流儀を継承することが本当に会社やお店の未来にとっての最適解なのか。

一応、ぼくも創業者だけれど、そのぼく自身がこう思っている。

「そもそも創業者は、本当にそれほどまで有能なのか」

つづく

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