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ここはどこ? 私はだれ?

昨日述べたように多くの人は地元愛や郷土愛に溢れていて、ぼくのようにそれがない人間は、かなりの少数派だと思う。
また、ぼくは客観的かつ冷静に自分のことをつまらない人間だと思っているので、ここで嬉々として自分自身のことをあまり綴ろうとも思わない。しかし、この話は文脈的にも書いた方が伝わり易い気がするので、少し自身のことを述べさせていただくことにする。

ぼくが生まれ育ったのは京都府北部にある福知山市というところで、京都府は縦に広いため北部と南部ではいろんな面で随分と違う。
「京都」と聞いてほとんどの人が思い浮かべるのは京都市のことで、それはまた大抵、洛中と呼ばれる範囲のことを指す。
一般的にイメージされる神社仏閣や紅葉、老舗、「いけず」と揶揄されるものなども含めそれらは京都市内のことであり、だから「そうだ 京都、行こう。」というのも正確には、「そうだ 京都市内、行こう。」あるいは「そうだ 洛中、行こう。」ということになる。
また、よく耳にする「はんなり」という上品な形容詞も京都市への言葉であって、北部でそんな印象を持ったこともない。

同じ京都府でありながら京都市というのはやはり独特な文化であり、そのため使う言葉も結構違ったりする。
よく知られるように、例えば「言っておられた」を京都市民は「言ってはった」「言うてはった」と言う。これが福知山市や舞鶴市、綾部市といった北部では語尾が「ちゃった」になって、「言うとっちゃった」となる。
「〜しておられた」は、京都市民なら「〜してはった」、北部の市民は「〜しとっちゃった」という具合。
地元の言葉なのに、今では間違っていないか不安になったり違和感さえ覚えるな。

これだけ京都市民である時間が長くなると、「言うてはった」「〜してはった」と普段から自然と出るようになる。
ところがぼくは、市内に出てきた頃から現在まで「何処の人?」と尋ねられることが多かった。それは東京へ行くようになってからもそうだし、つい先日は生粋の京都人である年配男性との会話の中でも言われた。

「あー、だからあんまり関西の言葉が出えへんのやね」

男性からそう言われたのは、ぼくの妻が東京の人であることを伝えたときだった。「そうかもしれないですね」と返事はしたけれど、実際は違う。
彼女と知り合う前からぼくの使う言葉はずっと変わっていない。

関西人が東京へ移り住んだ際に関西弁を使わなくなったり、下手な東京弁でも使おうものなら「裏切った」「東京に魂を売った」などと冗談まじりに糾弾されることがあるけれど、ぼくの場合はこれとも違う。だから「~さ」や「〜じゃん」とも言わない。もちろん、関西人であることを伏せようとしているわけでもない。

ぼくが関西弁を押し通すでもなく、かといって東京の人に合わせるわけでもないのは単純に、丁寧に話そうといった意識が働いているからだと思う。
特に初対面や知り合って日の浅い人に対しては当然そうなるし、そこを意識し会話をすれば自然と方言は鳴りを潜めることになる。

また、先述の通りぼくは土地に対する執着心がない。だから地元愛に溢れる人たちに比べると関西人である意識が希薄のような気もする。ぼくのことを何処の馬の骨かわかりかねる人がおられるのは、きっとこういったことが理由なんだと思う。
そしてその根底には、そもそも生まれてくる場所は選べないのだから、関西人でも京都人でも何でもええよ、いいよ、くらいにぼくが思っていることがあるのかもしれない。

以前、東京でタクシーに乗った際、女性ドライバーさんから早々に「関西の人でしょ。イントネーションでわかりました。懐かしいわー」と言われたことがある。
その女性はタクシードライバーをしながら吉本に所属し、お笑い芸人をしていると自己紹介をしてくれた。そんな珍しい経歴もあって目的地までの車中、ぼくらは四方山話に花が咲いた。

もちろんお互いの話ことばは、流暢な関西弁だった。


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