あんみつとコーヒー
三國さんとのイベントは夜だったので、仕込みを終えると結構な時間がある。
ここで姐さんの「お茶でもしてきたら」という心遣いで、ぼくらはご近所のごく普通の喫茶店へ行くことになった。三國さんと二人で喫茶店という思いがけない展開に、ぼくは若干緊張しながら椅子に腰を掛ける。
「世界のミクニ」は、喫茶店で一体何を飲まれるのだろう。
まさか、メロンクリームソーダやミックスジュースということはあるまい。おそらくコーヒーだろうと見当をつけたぼくは、注文の際「同じものを」と言うことに決めている。
店主と思しき年配の女性が注文を取りに来られた。
「何にします?」
「あんみつは、あります?」
えええええっーーーーーーー
「あんみつ、ありますよ」
「じゃあ、ぼくは、あんみつで。あんみつ、好きなんだよね」
ポカ〜ン。誰か、このときのぼくのアホ面を撮影して後で見せて欲しかった。
そしてぼくは、見当が外れた上にあんみつが苦手という自分の不甲斐なさを呪った。仕方がない、予定変更である。
「じゃ、じゃあ、ぼくはコーヒーをください。ホットで」
最初こそ、まったく想定外のあんみつに狼狽えたものの、実は話に花が咲き随分と盛り上がった。いくら三國さんが気さくとはいえ履き違えてはならないと自分に言い聞かせていたものの、こんな機会こそもう二度とないと思ったぼくは、ここぞとばかりにいろんな質問をした。
著名な料理人さんたちのことや、名古屋へ出店されたときの話など、メディアでは見聞きできないようなおもしろい話をたくさん聞かせていただいた。
「えええええっー」
「やっぱり、そんなことになっていたんですね」
「ところで・・・」
「すっげぇー」
「そういった場合は、どうされるんですか」
「ヒェェェ〜〜〜〜」
と、まぁ興味津々なぼくは終始こんな感じだった。
スターシェフ故に、これまでもインタビューやお客さんから幾度となく同じような質問を嫌というほど受けてこられたことは想像に容易い。そう思うと多少の申し訳なさや躊躇いはあるものの、やはり今日しかないぼくは矢継ぎ早に質問をした。
もう、あれもこれも訊きたくて仕方がない。
けれど、三國さんはイヤな顔ひとつされないどころか、他愛もないような質問でさえそこから話を広げ丁寧に語ってもらえる。当然、ここでの話が専門誌などに掲載されるわけでもない。
なんて贅沢な時間なんだろう。
三國さんの経験されてきたこと、積み上げてこられた実績は圧倒的だった。だからこその説得力あるお話で聞いていて楽しいのだけれど、それを鼻にかけることもなければ、時に真剣に、時におもしろおかしく話される。
「長くやってるとね、上り坂もあれば下り坂もあるし、それに”まさか”という坂もあるんだよ」
そんな話をされる三國さんも楽しそうだった。
それにしてもこの気さくさや親近感は何なのか。
そこで思い出したことがあった。
鎌倉に「カルヴァ(CALVA)」さんという、とても美味しいお菓子とパンのお店がある。
田中さんご兄弟が営まれていて兄の聡さんがパンのシェフを、弟の二朗さんがお菓子のシェフをされている。ちなみにお二人の経歴や実績、実力は現役時代のぼくより遥かにすごい。
お兄ちゃんの聡さんは昔、「ミクニ マルノウチ」でパンのシェフをされていたときに神戸のコムシノワさんへ研修に来られ、そのタイミングで知り合った。ぼくが三國さんとお会いするずっと前のこと。
で、興味津々なぼくは田中さんに、オテル・ドゥ・ミクニでの仕事や三國さんのことをあれこれと訊いたものだった。
その話の中で特に印象に残ったものがある。
「三國シェフは、自分のところの人間であってもシェフになった人(お菓子やパンのシェフ)のことを尊重していて、ものすごく立ててくれるんですよ」
先述の結婚式での嬉しい言葉や喫茶店でのこと、この夜のイベントや打ち上げでぼくが抱いた親近感は、きっとこれだったのだと思う。
ぼくは、田中さんのように実力でシェフになったわけではない。誰かから評価をされてシェフという立場になったのでなく、「自分で店をやったら結果的にシェフになってしもうた」という ”なんちゃって” である。
シェフになりたいだけなら、自分で店さえすれば誰でもなれる。社長になりたいなら会社を作れば誰でもなれる。言ってみれば、ぼくはそんな感じだ。ぼくの場合、店がしたかっただけでシェフと呼ばれたかったわけでもないから、そういった肩書きや呼称は使わなかったけれど。
それだけに、もしシェフだと尊重されお心遣いいただいたのであれば、なんだか心苦しいやら申し訳ない気持ちにもなる。
それでも、こんな貴重な経験をさせてもらえたのがシェフだったからだと考えると、「 ”なんちゃって” であってもシェフになって本当に良かったな、オレ」と思っている。
つづく
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