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井の中の蛙、大海に出て「無知の知」を自覚する

ぼくは小さな街で生まれ育ったので京都市へ出てきたとき、うわっ、めっちゃ都会に出てきてしもうた、と緊張したものだった。
京都市の繁華街である河原町を初めて歩いたときなどは、キョロキョロしていたら田舎者だとバレてしまうんじゃないか、というアホな自意識からまっすぐ正面だけを見て歩き、よく迷子になったものだった。
その後、大阪はもちろん、名古屋や福岡へ遊びに行ってもその街の大きさに打ちひしがれた。そして書くまでもないけれど、その最たる場所が東京になる。

東京は人口が圧倒的に多く分母が大きい分、やはり大企業をはじめ優秀な頭脳や人材、ありとあらゆる優れた人やものが集まる。それは感情論を抜きにした現実として、食べものやお笑いだってそうだし、これはおそらくどの業界にも当てはまることだと思う。

誰もが、というわけにはいかないだろうけれど、だからこそ若くてそういった機会のある人は、東京などに出ていろんなことに挑戦したら良いのにな、と思う。
住み慣れた地元にいただけでは経験できないようなこと、会えなかったような人に会えたり、その価値観に触れることのできる可能性がある。

そのときには、きっと自分が井の中の蛙であることも思い知らされることになる。ぼく自身も言葉や知識だけでなく体感や経験として身の程を知り、ずっとゲコゲコ言っていたけれど、それこそが自分にとって何ものにも変え難い価値のある経験になった。
それに環境を変えるなんて機会も人生でそんなに何度もあるものでもない。歳を重ねてからでは難しいからこそ、若くて身動きが取れるうちにそういった環境へ身を置いて挑戦するのも良いことだと思うのだけれど。
現状の居心地の良さから知らない世界に触れないというのは、やはり視野を狭くしているようでもったいない気がする。

もちろんこれは関西の人に限ったことでもなければ、東京へ出ることがすべてといった話でもない。この話の本質は、東京や都会といった場所のことだけでなく「大海=自分の知らない世界」のつもりで述べている。

それから余談だけれど。
アンチ東京の人が昔から言いがちな「地方の人は温かくて優しく、東京の人は冷たい」って、これ。
これが偏見であることも、それこそ東京で暮らしてみればわかる。
ぼくは東京で暮らしている間、幸いなことに嫌な人に会った覚えがない。そういった人もいたのかもしれないけれど、忘れているくらいなので取るに足らない程度のことなんだと思う。それに仮にそういった人がいたとしても、それは地方出身の東京人だったのだろうとさえ思っている。

東京であれ地方であれ良い人もいれば嫌な人も一定数いるわけで、場所で一括りに偏見を持つのであれば、個人的には地方や田舎の方がよほど嫌な人が多い印象があるんだな。


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