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日比谷で再開します 4.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

こうして東宝さんが運営される商業施設、日比谷シャンテさんのリニューアルオープンに伴い、この3月からぼくらはお世話になることになった。

だから最近では「日比谷、日比谷」と頻繁に口にしたり文字にする機会が増えたけれど、ぼく自身はこれまで日比谷とは何の縁もゆかりもない。
そもそもこのお話を最初にいただいたときだって、「日比谷って、どこにあるの?」という何とも間の抜けた質問をするぼくに「西山さん、”銀座・有楽町・日比谷” と覚えたらいいんですよ」とスタッフが教えてくれたけれど、それを聞いてなおピンとこないくらいだった。

思い返すと新宿出店が決まったときも「新宿ってどこにあるの?その三丁目には何があるの?」と訊いていたほど現実感が伴わなかったし、昨日この話を元新宿スタッフとしていたら「そういえば私が面接のとき、新宿三丁目にいてすぐそこに伊勢丹があるのに西山さんは『伊勢丹ってどこにあるの?』って言ってた」と笑われた。

新宿出店以来、友人や知人、お客様、リーシングの方など本当に多くの方々から何度もされた質問がある。

「どうして新宿だったの?」

「どうしてマルイさんだったの?」

この質問はその後、何回も何年も続いたものだから「どうして」「なんで」と訊かれる度に「呼んでくださったのが新宿のマルイさんだったから」と早口で条件反射のように繰り返してきたぼくは、まるでパブロフの犬だった(この辺りの経緯もいずれ書こう)。
もちろん渋谷の店も今回の日比谷も「どうして?」と訊ねられたら同様の答えになる。

その立地を選んだ理由を訊かれる際、特に取材などでは本来なら「住み慣れた街だから」とか「好きな街だから」といった方が物語性もあって良いだろうなと思うし、実際にお店をされている方はそういった理由が多いと思う。
ところがぼくの場合、これまでにも書いてきたように「そこへ呼んでくださった会社があったから」というなんとも主体性に欠ける理由にどうしてもなってしまうけれど、こればかりは仕方がない。

そういえば日比谷に決まったとき、いつもの屈託ないスタッフから「日比谷ですか・・・西山さん、日比谷の人はプチメックなんて知らないですよ。プチメック?何それ?パン屋さんなの?ですよ、きっと。また一からですよ」と戒めらしき言葉をかけられた。
だから広い東京で店を出すときには、それがどこであれ「新参者ですが宜しくお願い致します」という気持ちになる。

 東宝さんといえば、ぼくにとってはやはりゴジラだ。
「日比谷って、どこにあるの?」と言っているようなぼくも東宝さんと聞いたときには「ゴジラ!」と体温が2℃くらい上がった気がした。
これまで東宝さんとは何度も話し合いや打ち合わせをさせてもらったけれど、直近の打ち合わせでは何と「シン・ゴジラ」のプロデューサーを務められた方が同席され、その後の会食までご一緒させていただくという幸運にも恵まれた。

まだ何も始まってもいないのに、もう思い残すことがないような気持ちになってくる。

夢中であれこれ質問をし、シン・ゴジラの制作秘話や庵野監督、白組のお話などを聴かせていただいたぼくは、こう切り出してみた。

「ところで店名なんですが・・・『シン・プチメック』ってどうですかね? 」(`・ω・´)キリッ

「そこまで寄せてもらわなくて結構ですよ」
と、あっさり却下。

そんなわけで新宿時代からのお客様、日比谷では昔の名前で出ています(きっと、ぼくより若い世代の人にはわからない)。
そして日比谷のみなさま、東宝さま、これから宜しくお願い致します。



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